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酒場ナルシス [マッチコレクション(ジャズ喫茶)]

 そのお店の名前は、ひらがなだったのかカタカナだったのか、例によって古い記憶はいつも曖昧です。マッチのデザインの文字からひらがなと思い込んでいたのですが、最近見つけた資料ではカタカナになっていました。

 そういえば細く暗い露地の途中に、うっすらと「ナルシス」と言うカタカナ文字の看板が灯っていたような、その看板を確かめないと思い切って中に入れないようなそんな露地だった気がします。

なるしす a.JPG 辻まことがデザインしたナルシスのマッチ

 1970年代初めの話です。私は大学をやめて上京していました。そのころ遊び仲間に、高校の同級生で東京の某大学生だったharaがいました。彼は卒業後もしばらく都内で働いていたので、ほぼ4年ほど、付いたり離れたりしながら二人でよく遊びました。

 私は、どちらかと言うと引っ込み思案で慎重派、お酒もあまり飲めない方でしたので、彼がいなかったら私の東京生活はかなり単調なものになったと思います。私が開拓するのはせいぜいジャズ喫茶か喫茶店、名画座くらいでしたから。

 それに比べると、haraは物怖じしない性格で、どこへでも好奇心の赴くままに首を突っ込んでいきました。どこからそんな情報を仕入れてくるのか、当時まだ珍しかったハンバーガー店、美しいママさんが一人でやっている小さなスナック、バニーガールがいる華やかなお店などを開拓してきては私を誘うのでした。

 そんな彼がある日、面白いところを見つけたと誘いに来ました。場所は新宿歌舞伎町です。ジャズ喫茶や映画館に行く以外、あまり縁のないところです。しかも私は昼間専門でした。

 そのお店はコマ劇場とジャズ喫茶「木馬」あたりの入り組んだ狭い路地の途中にありました。扉を開けると左手にカウンターがあり、右手にボックス席、20坪あるかないかの空間です。照明を落とした室内は、けばけばしさのない落ち着いた雰囲気でした。

 初めて行ったとき、私たちは二十歳そこそこの子供、間違って入ってきた客と思われたのか、あまり相手にされなかったような気がします。カウンターの中には、細いきれいなママさんとママさんのお母さんがおられました。

 二人ともそれほど豊かでもなかったので、頻繁に通えたわけではありませんが、半年に一回くらいの割合で、10人も座ればいっぱいになるカウンター席に腰掛けました。新宿歌舞伎町の夜のお店、しかもスナックとかキャバレーとかではなくて落ち着いた大人の雰囲気がするバーと言うだけで、私たちは結構舞い上がっていたと思います。

なるしす b.JPG 裏面?

 いつの間にか、ママさんのお母さんは見かけなくなり変わりに女性が一人手伝いに入っておられました。名前を失念してしまったのですが、レイ子さん(とりあえず仮名でそう呼ぶことにします)とかそんな名前だったと思います。落ち着いた大人の女性でした。

 そのうちママさんもあまり見かけなくなって、私たちは一人でお店に出ておられたレイ子さんとお話しすることが多かった気がします。まだ社会経験も浅い私達を相手に、どんな話をしていただいたのかもうほとんど忘れてしまいましたが。

 お客は常連のサラリーマンの人が多かったでしょうか。ちょっと正体不明の感じの方もいた気がしますが、総じて品の良い客筋だったと思います。そのころすでに有名だった、唐十郎さんが以前来ておられたことがあったそうです。

 さすがに歌舞伎町のバーです。時々ギターを持った流しの人が入ってきたりしていましたね。私はここで初めてブルーチーズというものをいただきました。他の人が注文しているのを珍しがったら、レイ子さんが「ブルーチーズも知らないなんて」と出してくれました。

 あるとき常連らしき隣席の客とお喋りしていて、話がなぜか男色の話になり妙に盛り上がってしまい、当時それ系で有名だった西口へ行こうと誘われたことがありました。レイ子さんが引きとめたので、この話はお流れになったのですが。

 多分、最後に行ったのは、haraが北海道に転勤するのでお別れに行った時だと思います。レイ子さんが、それならこれからはお宅が来てくださいね、と私に向かって言われたのに、その後あまり行けなかった気がします。24歳ころのことです。

 一度satoを連れて行ったのはその後だったかその前だったか、お店に入ってカウンターの一番奥をすすめられました。お久しぶりですねとか、今日はお連れさんが違うんですねと言われた記憶があります。連れが女性じゃないのでかまわない話ですが、そういえばそこで女性客の姿はあまり見かけなかった気がします。 

 

ナルシス.jpg こちらが現在のマッチのデザインらしいです

 

 田舎に帰ってから、上京したおりにそれらしき露地を歩いてみたのですが見つけられず、「木馬」などと同じようになくなってしまったと思っていたのですが、この間、ネットをうろついていたら、その後の消息がわかりました。

 場所を移転して、酒場「ナルシス」はなんとジャズ喫茶「ナルシス」になっているのだそうです。地図を見ても以前の店と同じ通りなのか違うのか判然としません。ただ、以前は一階で今とは露地の反対側にあったような気がします。

 名前が同じで違う店ではないかとも思いましたが、古い方のマッチが同じだったので間違いありません。このマッチのイラスト、独特の味がありますが、辻まこと作なんだそうです。

 若いころ、友人haraと一緒に行った酒場ナルシスはかつて田村泰次郎の小説などに登場した、戦前からある文壇バーなんだそうです。二十歳そこそこの私たちにはかなり背伸びしたお店だったようです。

 いつごろから移転してジャズ喫茶になったのか、記録がありません。私が持っているジャズ批評別冊「ジャズ日本列島1995年版」を見ると、今まで気づかなかったのですがジャズ喫茶「ナルシス」載っていました。

Image0018.JPG

 ママはもちろん、酒場「ナルシス」時代と同じ川島夕子さんです。「ジャズ日本列島」の記事によると、1994年当時のオーディオシステムで10年間鳴り続けているとあるので、少なくともジャズ喫茶としての移転開業は1984年以前と言うことになりますね。 

 かつて私が足しげく通ったジャズ喫茶の大半が今はもうなくなっていて、私が過ごした東京も過去となって久しいのですが、そのころに通っていた印象的なお店「ナルシス」が、今はジャズ喫茶として続いていると思うと、ちょっとうれしくなります。

 ママさんは元気そうです。レイ子さんは今、どうしているのでしょう。近かったら飛んでいって懐かしい話をしてみたいものです。いつか上京する機会があったら、訪ねて見たいスポットがまた一つ増えました。

 

 今夜のYouTubeは川島ママさんが「ジャズ日本列島」のアンケートで愛聴盤の一枚として答えておられるリー・モーガンサイドワインダーです。

 


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kurakichi

オトカム氏の画集どこかにあったような、、、
by kurakichi (2010-11-19 21:12) 

い〜予感

しみじみとした、いいお話ですね。
曲も聴きたいなと思うのに、音が出ません。
PCのスピーカーが壊れているのか、自分がなんか変なところをクリックしてしまったのか・・・残念です(涙)
by い〜予感 (2010-11-20 02:13) 

y-tanaka

ジャズ喫茶、時々見ますが家でレコード聞く方が多いです、
こんど入ってみようかな・・・ 
by y-tanaka (2010-11-20 08:30) 

駅員3

60年代、70年代の青春映画かドラマを見ているように、臨場感溢れて背景しました[ぴかぴか(新しい)]
私もその場に居合わせたかのような気持ちになりました[揺れるハート]
by 駅員3 (2010-11-20 08:52) 

yukky_z

20才そこそこだったのに、また随分渋い所に行って
たんですね。 自分も昔の日活映画とかに出て来る、
「思いっきり背伸びした若い主人公の姿」を思わず
思い浮かべてしまいました^^;
by yukky_z (2010-11-20 15:29) 

そらへい

kurakichiさん
こんにちは

オトカム氏、辻まことをそう呼んだりするんですね。
ちっとも知りませんでした。
オトカム氏の画集、懐かしい香りがしてきそうですね。
by そらへい (2010-11-20 16:25) 

そらへい

い〜予感さん
こんにちは

ありがとうございます。
音が出ないのは、YouTubeだけでしょうか。
全て出ないのでしたら、ヘッドホン端子で確認していただくか
コントロールパネルの「サウンドとオーディオデバイス」
をチェック、もしくは
タスクバーの中にあるラッパのマークをチェックしてみてください。
音量が絞られていたり、ミュートにチェックマークが入っているかも?
by そらへい (2010-11-20 16:32) 

そらへい

y-tanakaさん
こんにちは

ジャズ喫茶もすっかり数が減ってしまいましたね。
こちらは田舎なので、昔からジャズ喫茶などありませんが
名古屋では、「グッドマン」と言うジャズ喫茶に入った覚えがあります。
今回の話と同じくらい、ずっと昔の話ですが。
by そらへい (2010-11-20 16:36) 

そらへい

駅員3さん
こんにちは

ありがとうございます。
もっと面白い逸話があれば良いのですが、
あいにく思い出せませんでした。
その場所の雰囲気は今も私の周りに漂っているのですが・・・
by そらへい (2010-11-20 16:40) 

そらへい

yukky_zさん
こんにちは

今の若い人たちとは表現方法は違いますが
こういう感じで当時の私たちも突っ張ってました。
ただし、このころ東映やくざ映画は廃れはじめ
日活はすでにロマンポ○ノになってましたね。


by そらへい (2010-11-20 16:52) 

しばちゃん2cv

記事、じっくり読ませて頂きました。
お金に返られない思い出ですね。
僕は、大阪で学生時代を過ごしてそのときはジャズに目覚めてなかったので、いい店に出会えませんでした。
就職してから、京都に何度も通い、先斗町のブルーノート(ジャスのブルーノートとは関係がありません) やハロードーリーに何度も通いましたが、そらへいさんのような濃密な関係までは届きませんでした。
うらやましいです。
サイドワインダー改めて聞きましたが、クラクラッとなるほどいい曲ですね。できれば、良いスピーカーで大音量で聞きたいです。
トランペットのタンギングが気持ちいい!
そしてジョーヘンダーソンのテナー。リーモーガンより忠実にコードに沿った演奏のような気がします。
バリーハリスは瀟洒なピアノ演奏のイメージがありますが、ここでは強烈にスイングしてます。
ジャケットもいい。(ブルーノートの5000番台でしたっけ?)
ありがとうございました。


by しばちゃん2cv (2010-11-20 19:22) 

そらへい

しばちゃん2cvさん
こんばんは

丁寧なコメントありがとうございます。
このころの私は、東京で、ジャズ、ジャズ喫茶、オーディオ
だけだったかもしれません。時々映画くらいで・・・
京都のブルーノートは1度行ったことがあります。
まだあると言う情報を得たので、数年前探してみましたが
見つかりませんでした。
「ザ・サイドワインダー」本当にいいですね。
私も今、YouTubeでなく自分のCDを聞いてます。
(なぜかリー・モーガンはレコードよりCDのほうが多いです)
かつてタバコの煙がもうもうと立ち込める暗い穴倉のような
ジャズ喫茶でよく聞いたアルバムだと思います。
この曲がお気に入りの川島ママさんは、迸るようなアバンギャルド
な曲や演奏がお好きな方のようです。
ブルーノートは4157番です。


by そらへい (2010-11-20 22:40) 

b.b.mk2

BARなるしす、そして空兵さんの思い出、どちらも深い深~い味わいがありますね。酒がそんなに好きでもなかった僕、行きつけのBARにたどり着いたのは40才の頃でした。BARってのは顔なじみになるかならないかの時期が一番いいですよね。
リー・モーガン、久しぶりに聴きました。あいかわらず作業効率のあがりそうな音楽です(笑)。SideWinder・・・まむしのことでしょうか。
by b.b.mk2 (2010-11-20 23:24) 

ヤスミチ

 こんにちは 晩秋の良い天気です
 若い時の良い思い出ですネ~ 私も同じ頃、大阪での思い出が
 有ります。音楽喫茶です 同僚と良く通いました(田園)コ-ヒ-一杯 で何時間も粘り、生演奏を聞きましたヨ。労音も入ってましたので、楽 しい時でしたネ ステレオ買ったのもこの頃です。今、SONYステレオ テ-プレコ-ダを聞きながらコメントしています。NHKのFM放送の軽 音楽ばかり録音しています。テ-プが8巻程有るのです。聞いていて 懐かしく感じています。聞く事が出来て良かったです。何年も聞いて  いませんでした。大事にして置きます  では また出て来ますネ
       リ-・モガンのJazz聞き甲斐が有りました
   
by ヤスミチ (2010-11-21 12:11) 

そらへい

b.b.mk2さん
こんばんは

私も酒があまり強くないほうで、しかも外で一人で飲むと言う習慣がないので、なかなか行きつけのお店を持つと言うことは難しかったですね。
とくに大人になってからは、車通勤が多かったので、たまにいっぱいと思っても、帰りのことを考えると足が遠のきました。
sidewinder ガラガラヘビらしいですね。
確かに、それくらいインパクトのある演奏です。

by そらへい (2010-11-21 22:22) 

そらへい

ヤスミチさん
こんばんは

ここ3日ほど、小春日和の良いお天気が続きましたが
いま、予報より早めの雨が降ってきました。
ジャズ喫茶と並んで、名曲喫茶もかつてはありましたね。
ジャズ喫茶に比べると、調度が豪華でした。
そして不思議と「田園」と言う名前、多かったですね。
私が良く遊びに中野にもあったように思います。
テープレコーダーが動いてよかったですね。
私も古いテープ、全て捨てたつもりが忘れていたのが見つかって
懐かしく聞きました。
何十年も聞いてなかったのに雑音もなく結構聞けるものですね。

by そらへい (2010-11-21 22:29) 

Studio-Oz

良いですね。
昔行ったなじみの店・・・
僕は、貧乏学生でしたので安い定食屋さんを
思い出します。(苦笑)
メンチカツ定食350円也、ご馳走でしたね。
いつか又、行ってみたいものです。
by Studio-Oz (2010-11-22 07:01) 

たいへー

懐かしいあの店、あの場所、
私も遠い思い出になってしまいましたね。^^;
あの居酒屋、今も元気だろうか・・・
そして、このアルバムは最近我が家にやってきました。
タイトルナンバーはヒットしたようですね。
by たいへー (2010-11-22 16:47) 

ぼんぼちぼちぼち

その頃あっしはまだ小学生だったので とても興味深く読ませていただきやした。
あと10年早く生まれていたら もっと様々な新宿文化を肌で感じられたのに・・・

「しんじく・なるしす」のセンス好きでやすね。
笑っちゃいやすね、フツーなら すっと水仙の一本も描くとこなのに・爆。
「じゅく」じゃなくて「じく」なのが またナイスでやすね(◎o◎)b
by ぼんぼちぼちぼち (2010-11-22 19:29) 

ベルベット

昭和物の収集癖ある私には、マッチはお宝にしか見えません。

残念ながらその当時を想像しか出来ない辛さ(笑)
良い雰囲気、良い会話が出来、当たり前のように、JAZZが流れていたのだろうと、想像致します。

余談ですが、以前リサイクル屋で購入したスクラップブックに沢山のマッチが貼り付けて有りました。おまけにブックの表紙には手書きで、想い出ではなく ”おもひで”と書かれています。

何はともあれ、良い時代だったんだと拝見しておりました。

by ベルベット (2010-11-23 02:04) 

そらへい

Studio-Ozさん
こんばんは

喫茶店や酒場に比べると、食べ物屋さんは毎日のことですからね。
なじみの定食屋さん、ありました。
給料前に行く店と給料後に行く店が決まってましたね(笑)
味、ボリューム、値段のほかに、ウェイトレスの女の子
おいてある漫画の本なども店選びをする重要なポイントでした。
今は、もう定食屋さん自体が減っているでしょうね。
by そらへい (2010-11-23 19:39) 

そらへい

たいへーさん
こんばんは

東京は新陳代謝が激しいので、なくなっているお店が多いんでしょうね。
以前に上京したとき、懐かしいところを回ってみたことがありますが
ふるさとと同じで遠きにありて思うもの、ですね。
「ザ・サイドワインダー」ジャズアルバムとしてはよく売れたんでしょうね。
わかりやすいと言うか乗りやすい曲ですよね。
ちょっとホレス・シルバーを連想させるところがあるような気がします。
by そらへい (2010-11-23 19:46) 

そらへい

ぼんぼちぼちぼちさん
こんばんは

私が東京をうろついていたころ、ぼんぼちぼちぼちさんは
私のそばをランドセル背負って歩いていたのかもしれませんね。
そうやって考えると不思議なご縁です。
一風変わった、個性的なマッチだとは思ってましたが、
辻まこと作とは知りませんでした。
このマッチ、ママさん自慢の一品なんでしょうね。
しんじく・・・いいですね。
by そらへい (2010-11-23 19:50) 

そらへい

ベルベットさん
こんばんは

今は、味気ない百円ライターに代わってしまって
マッチそのものがありませんものね。
かつてお店がマッチの意匠をこらしていた時代が懐かしいですね。
私にとっても、このころの集めたマッチ、レコードと同じくお宝です。
ジャズ喫茶以外にも思い出のお店のマッチがあって、
いつか紹介していけたらなぁと思っています。
スクラップブックに張られて捨てられてしまう前に。

by そらへい (2010-11-23 19:54) 

ken

素敵なジャス喫茶ですね、ジャズ喫茶は学生の時以来いってません
ね、長野にもあるようなんで探して行ってみるかなと思います。
マッチも素敵ですね、京都に名曲喫茶 夜の窓というのがあって
よく当時の彼女といったのを思い出しました。
高校生の時にいった みつばちという喫茶店でよくJAZZを大きい
アンプでならしていて、そこのママさんにケルンを聴かせていただいた
のがJAZZフアンになるはじめでした
といろいろ思い出しました。
by ken (2010-11-23 21:09) 

そらへい

kenさん
こんばんは

皆さんそれぞれに思い出のお店をお持ちのようですね。
ところでナルシスは、この当時はまだジャズ喫茶をやっていなくて、酒場でした。
現在はジャズ喫茶になっているようです。
私の経歴からすると確かに反対なので、誤解しやすいですね。わがカテゴリーには確かに酒場、バーはありえませんからね。
高校のとき、京都のお店で出入りしていたのは当時ブームだった歌声喫茶、四条河原町?に「炎」と言うお店がありました。
by そらへい (2010-11-23 21:29) 

kurakichi

報告が送れて申し訳ありません。
実は拙サブブログの12月3日の記事とメインブログの5日の記事に貴兄のこの記事のマッチについて関連する内容のものを書きました。
その際貴兄のブログへのリンクも設定挿入しました。
事後の報告となって申し訳ないのですが 問題あれば削除訂正いたしますのでご連絡ください。
by kurakichi (2010-12-04 23:03) 

そらへい

kurakichiさん
こんにちは

リンクありがとうございます。
問題どころか、たいへん光栄に思います。
ところで、貴サブブログはどちらでしょうか
メインブログから入れますか?
by そらへい (2010-12-05 11:27) 

kurakichi

ご許可いただきありがとうございます。
ちなみに私のサブブログはメインページ左カラムのカレンダーの下の Kurkichi's Photos をクリックしていただければ開きます。
よろしくお願いいたします。
by kurakichi (2010-12-05 13:21) 

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