マッチコレクション2「さかき珈琲店」 [マッチコレクション(その他)]
マッチコレクション第2弾は、35年ほど前(いつも古い話で恐縮ですが)私が西荻窪に住んでいた頃、一時期よく通った喫茶店のマッチです。
当時私はジャズ喫茶だけでなく、普通の喫茶店もよく行きました。今は☆バックスなどの洋物巨大チェーン店が幅をきかせていますが、当時は街角にいろんな個性の喫茶店がたくさんありました。
もちろん、当時(1970年代)でもチェーン店や大型店がありましたけれど、圧倒的に個人経営のお店が多かったように思います。年配のご夫婦でやっておられる店、ママさんが常連さんとおしゃべりを楽しんでいる店、ちょっと気取ったマスターがいる珈琲専門店、黒く濃いコーヒーを出す白い割烹着を着た老婆が営んでいる店などユニークな店がたくさんありました。
そんな中、私が行く喫茶店の条件は、静かで気楽な時間が過ごせることでした。もちろんコーヒーがうまいことは言うまでもないのですが、もう一つ大事な条件に漫画誌、とくに週刊少年マガジンと週刊少年サンデーが置いてあることでした。
当時、少年漫画誌の世界は、新興の週刊少年ジャンプの時代にすでになっていたと思いますが、少し古い私は相変わらずマガジン、サンデーに固執しており、マガジン、サンデーを読んでからジャンプやモーニング、アクションなどを読むのでした。
漫画誌を買うのはもったいないし、場所も塞ぎます。その点喫茶店なら好きなコーヒーが飲める上に、いろんな漫画が読めます。おまけに夏なら冷房が効き、冬なら暖房が効いているのでたいへん重宝しました。あとはコーヒーを運んでくれるウェイトレスさんが、可愛ければ言うことなしでした。
「さかき珈琲店」はそんな私のわがままな希望をかなりかなえてくれるお店でした。西荻窪駅北口から、女子大通りを吉祥寺方面に向かい、最初の突き当たりを右に曲がって少し歩いた右側にありました。アパートから歩いても5分とかかりませんでした。
ストリートビューでこのあたりを何度かうろついてみるのですが、さすがに見つかりませんね。たぶん、今はマンションか何かになっているのだろうと思います。
「さかき珈琲店」は住居の一部がお店になっていたと思います。一階の入り口から店内にかけての外装、内装が丸太のログハウス風で、営業は家族でやっておられるようでした。鼻の下にひげを生やしたマスターがカウンターでコーヒーをたて、その妹さんらしいお嬢さんがコーヒーを運び、たまにお母さんがお店を手伝っていました。
店内はそこそこ広くて、カウンター席と、テーブル席の他に、店の奥の方に森の小屋のような丸太木で囲んだ別室がしつらえてあり、大きなテーブルとベンチ、それに作りつけの書棚がありました。
書棚には漫画の単行本シリーズがたくさん並んでいました。私は週刊誌の少年マガジンやサンデーなどのお気に入り連載を読み終えると、その書棚から野球漫画の単行本を手に取りました。
ちばてつやさんの弟でちばあきおさんの「キャプテン」でした。もともとちばてつやさんのファンでしたが弟さんのあきおさんの漫画も地味だけど味わいがあって好きでした。今まで飛ばし飛ばし読んではいたのですが、ここには全巻が揃っているのでもう一度通して読んでみることにしました。
ちばあきおさんの漫画を読まれたことがある方はご存知と思いますが、漫画としては地味なストーリと絵だと思います。スポーツもの独特の根性ものでもないし、野球漫画おきまりの魔球も出てきません。登場人物たちはどこにでもいそうな等身大の野球小僧たちでした。
ある場面で、主人公のキャプテンが緊張してバッティングボックスに向かうナインのひとりに、相手ピッチャーの呼吸に合わせるようにとアドバイスするシーンがあって感心しました。そんな地味な場面を丹念に描いている漫画に出くわしたのは初めてでした。
「さかき珈琲店」には週に一回くらい通っていたでしょうか。「キャプテン」を全巻読み終えると次は同じ著者の「プレイボール」を読みました。そこの書棚にあるちばあきおさんの漫画はそれですべてでした。「プレイボール」も読み終えてしまうと、他に読みたい本が見つからなかったので、それからは文庫本を持参するようになりました。
コーヒーを運んでくれるこのお店の娘さんは、さわやかな感じのするお嬢さんでした。その頃、まだ二十歳過ぎだったでしょうか。目元が涼やかで、色の白い整った顔立ちは美人だったと思います。まっすぐな髪が背まであり、すらりと姿勢が良くて、立ち居振る舞いの静かな人でした。実際はいろいろなおしゃれをされていたのでしょうが、洗いざらしの綿のシャツやスラックス姿が印象的に記憶に残っています。
あまりおしゃべりもせず淡々と仕事をこなしていた印象なのですが、私が彼女がここの娘であり、マスターの妹とわかったのは、店内での会話のやりとりからだったと思うので、それなりにおしゃべりはしていたのでしょうね。
私と彼女の会話はコーヒーの注文のやりとりだけでした。ただ一度だけ、私が店を出たあとを追いかけてこられたことがありました。忘れ物を届けに追っかけてくれたのでしたが、あいにく私のではありませんでした。
私はその頃、わりと平穏な生活を送っていた気がします。他に好きな女性でもいたのか、あるいは初めっから諦めていたのか、彼女を恋愛の対象と考えることはありませんでした。ま、同じコーヒーを飲むなら、彼女のようなウェートレスがいる店がいいなぁ、と言う程度でした。もっとも、私があまりに足繁く通っていたので、ひょっとしたら店の人達には、勘違いされていたかも知れません。
「さかき珈琲店」へ通うようになってどれくらいたった頃でしょうか。ある時、お店のお母さんがいつも一人でひっそりコーヒーを飲んでいる私を不憫にでも思ったのでしょうか、こっちにいらっしゃいよ、とカウンター席をすすめてくださいました。
私は、戸惑いましたが断る勇気もなかったので、読みかけの文庫本を持って、カウンターに向かいました。そこにはすでに3.4人の常連さんがいました。
はっきり覚えていないのですが、そこでお母さんとひげのマスターと二言三言会話したような気がします。内容は忘れてしまいましたが、多分学生かどうかといった内容だったと思います。
さて、誘われるままにカウンターに座ったものの、そのあとどうしたらよいのか困りました。ふつうの大人なら、何か世間話を周りの常連さんに対してするのでしょうが、そういうことが嫌で、隅っこで一人文庫本を読んでいたような私ですから、ただ気まずい沈黙に陥るだけでした。
常連客たちも私の出方をはかっているようで、妙な沈黙が流れていました。結局、私は無駄なあがきは諦めて、持参していた文庫本の続きを読むためにページを繰りました。するとしばらくして常連さんの一人が、何もここで本を開かなくても良いだろう、と言うようなことを皮肉っぽく言いました。
その後、何回か行ったのか、それともそのことがきっかけで行かなくなったのか、はっきりした記憶がないのですが、私の足は「さかき珈琲店」から遠のいてしまいました。
それからどれだけたった頃だったでしょうか。私の生活は穏やかな時期を経て、苦しい境遇に陥りはじめていました。ジャズ喫茶どころか普通の喫茶店にも行けないくらい生活が困窮していたのです。
その日も自炊するために、西荻駅北口にあるスーパー西友の食料品売場で、単身者用にカットされたキャベツを物色していたところ、「さかき珈琲店」の娘さんとばったり出会ってしまいました。
私は、見られたくないところを見られたようなバツの悪さを感じました。その頃の苦しい境遇を悟られてしまったような、自分がひどくみすぼらしく落ちぶれて映っているような気がしたのです。
反対に彼女は、前とちっとも変わっていませんでした。相変わらず色が白くてきれいで、爽やかでした。少し大人っぽくなったように見えたのは、その横にいたお似合いの若者のせいかもしれません。
初め私に気づいて視線を止めた彼女は、すぐに何事もなかったように視線を流すと、となりの若者と楽しそうに笑いながら私の傍らを通りすぎていきました。私はそれまで彼女のことはすっかり忘れていたし、その前も彼女に対して何も期待したわけでもなかったのに、なんだか軽いショックを受けている自分に気づきました。
いろんな思い出が詰まった喫茶店のマッチなんですね。私も最近はコーヒーチェーン店に入ることが多くなりましたが、学生の頃によく行ったアットホームな喫茶店が恋しくなることがあります。
by ケンタパパ (2011-07-08 22:08)
いやあ、場面は違えど、誰もが経験した類の青春の1ページ。
ほろ苦く、でも清々しく。だから胸の奥にそっと仕舞っておきたい。
そんな印象を強く持ちました。
恋愛の対象としては考えてなかった・・・
それはどこかにゴマカシがあるように、ぼくには思えました。
いや、ゴマカシというのは適切性を欠くかもしれません。
どこか抑圧されたものがあるが為に、対象から敢えて外して考えた、
自分の中の何者かが外すことに成功していた、という感じでしょうか。
大きな括りで言えば、これは間違いなく恋愛だと思いますが、
確かに、具体的なイメージであったかどうかは?かもしれませんね。
そんな頃が懐かしいですね。
これぞ旧き良き時代という気がします。
もう戻ることが叶わないと分かっているからこそ、戻ってみたいなあ、
と考えるのかもしれませんね。
by song4u (2011-07-08 23:04)
ケンタパパさん
こんばんは
画一化された喫茶店は、資本の論理が具現化したのに過ぎないのだと思います。大手チェーンは自分対のエゴを顧客に押しつけているだけなんだと思います。 もっといろいろ楽しむ場があって良いはずですね。
そういう意味ではむしろ豊かさは失われているのかも。
by そらへい (2011-07-09 00:02)
song4uさん
こんばんは
おっしゃるとおり、自分を対象外に置くことによって
ようやく平静を保つことが出来たのだと思います。
恋愛と言うのなら
至極、淡い恋愛でしたね。
そんなときを確実に自分は過ごしたのですが
それは過ぎしこと
戻れるはずもありませんし、戻る気もありません。
もし出来るのなら、これから出来ることは
老いらくの恋くらいですね。
by そらへい (2011-07-09 00:07)
電話番号の"395"の3桁を見て、一気に懐かしい気持ちになりました。
いつから4桁になったんだっけなあ。
マッチの裏、クルっと返すとこのイラストってすごく可愛いですね。
さかき珈琲店でしばしのタイムトリップってイメージでしょうか。
そらへいさんの淡い恋のようなストーリーの挿絵にピッタリかも☆
私は東京に帰ると必ず下北沢の紅茶専門の喫茶店に寄ります。
このお店がなくなったらどうしようって感じです。
by FUCKINTOSH66 (2011-07-09 05:08)
その西友の近くの床屋で働いておりました。 3丁目です。^^
もっとも、私は80年代に入ってからですが。
静かで住みやすい街・・・だったかな?
by たいへー (2011-07-09 07:43)
場面を難なくイメージできるは、似たような空気感の中で似たような経験をしたのかも知れませんね。カウンターに誘われたときや、妹さんに町で出会ったときの微妙な気持ちの変化の描写がお見事でよく分かりました。「キャプテン」「プレイボール」は僕も大好きで夢中で読みました。中学生だったと思います。ちばあきおさんの新作をもうよめないのが残念です。
by b.b.mk2 (2011-07-09 08:03)
ちばあきおサンのキャプテン、記憶してます。
お兄さんとはまた違う世界で良い漫画でした。
最後はちょっと残念な事になってしまいましたけど
今でも思い出せる作家ですね。
by muzik (2011-07-09 08:30)
またまた青春の一ページを記したショートストーリーに感動です。
実は、私はまさにこの頃このすぐ近くの恩師の家に書生よろしく入り浸っていました。
いやー、超懐かしいです
ひょっとしたら街中でそらへいさんとすれ違っていたかもです
by 駅員3 (2011-07-09 08:52)
1970年代、 20代ですよね、
こんな気持ちになれる子に出会わなかったな~~
この頃はホントに貧乏でしたよ(今でも貧乏ですがね (^-^)。)
by himanaoyaji (2011-07-09 08:53)
FUCKINTOSH66さん
こんにちは
東京、今は4桁でしたか、
すっかりかける用事もなくなって全然気づいていませんでした。
そういえば、こちらでも二桁から三桁になった時期ありましたね。
ジャズ喫茶のマッチなどと違って、なんの変哲もない既製品のデザイン
と思ってましたが、今見ると味わいがありますね。
とくに裏のSLのイラストは夢を感じさせます。
お気に入りの喫茶店が、少なくなりましたね。
とくに地方は喫茶店自体が本当に少なくなりました。
コーヒーや軽食だけではやっていけないのでしょうね。
by そらへい (2011-07-09 14:42)
たいへーさん
こんにちは
へえ、あの近くですか。
私はその頃、何処の散髪屋さんに行っていたかなぁと
思い出そうとするのですが、思い出せないですね。
一件だけ、女子大通りの突き当たりあった店は覚えてます。
中央線沿いの中でも、住みやすいところだったと思いますね。
by そらへい (2011-07-09 14:46)
b.b.mk2さん
こんにちは
ありがとうございます。
どなたにも似たような経験あるのでしょうね。
ちばあきおさんの「キャプテン」「プレイボール」は
読み継がれていく漫画でしょうね。
その後の作品をもう読めないのが残念ですね。
by そらへい (2011-07-09 14:49)
muzikさん
こんにちは
いくつも代表作や作品のバリエーションがある
漫画家ではないのですが、「キャプテン」「プレイボール」だけで
お兄さんと同じように後世に名が残る漫画家だと思いますね。
by そらへい (2011-07-09 14:51)
駅員3さん
こんにちは
駅員3さんもお近くでしたか。
あのあたりは、通りは変わりませんが
両側に並ぶ町並みはずいぶん変わりましたね。
多少、時間のずれがあると思いますが
「さかき珈琲店」ご存じなかったしょうか。
by そらへい (2011-07-09 14:55)
himanaoyajiさん
こんにちは
私も貧乏でしたね。
でも必死と言うより
霞を食って生きているようなところがありました。
by そらへい (2011-07-09 14:58)
今となっては、笑えるような出来事でも
当時は真剣に悩んだり、心苦しい事ってありますよね。
なんか、自分の事のように思えてきました。
by しばちゃん2cv (2011-07-09 15:54)
そらへいさん、こんばんは。
学生時代に良く行った喫茶店が御姉妹で経営されており、
自分より6才年上の妹さんに憧れておりました。
ある日、お客さんがいない時ドアを開けると涙を拭きながら「いらっしゃい」と
・・誰にも言えない経営資金の問題でお店が人手に渡る・・・。とのこと・・。
自分が好意を持っていたのは気づいてもらっていたはずですが、
ただそれだけ、6才の年の差は「学生と社会人」の差でもありました。
・・・何も出来なかった助けなれなかった自分が今でもふがいない気がします。
・・・たった一つ持っている喫茶店のマッチ・・・そのお店のマッチです。
by プリウス (2011-07-09 19:45)
しばちゃん2cvさん
こんばんは
若い頃は不器用でかたくなで一途で
今だったらもう少しうまくやれたでしょうかね。
世間を狭く狭く生きていたような気がします。
by そらへい (2011-07-09 19:58)
プリウスさん
こんばんは
若い頃は、年上の人にあこがれがちでしたね。
しかし、プリウスさんの思い出は、淡い恋どころか
ちょっとしたドラマですね。
文面から察するに、そのお店はその後
人手に渡ってしまったのでしょうね。
若いうえの無知、無力の記念のマッチ
大事にとって置いてください。
by そらへい (2011-07-09 20:07)
お店の雰囲気、目に浮かびやす(◎o◎)b
確かに、そのお店はもう無いでやすね。
西荻と三鷹は、比較的 個人経営の落ちつける喫茶店が生き残っているように思いやす。
吉祥寺のように 海外の観光マップにも載る人気の街になると
大手チェーン店の進出が目立ってきやすね。
by ぼんぼちぼちぼち (2011-07-09 21:33)
ぼんぼちぼちぼちさん
こんばんは
そのあたり東京女子大の女学生の方たちも通ったので
学生目当てのお店もあったように思います。
南口、吉祥寺方面に向かう街のはずれの方にも
木造の落ち着いたお店があって
女子大生がよく集っていました。
たしか、踏切が近くにあったような・・・
by そらへい (2011-07-09 21:39)
少し褪せたマッチへの想いは、
そらへいさんにとってとても深いですね。
昔のように、
地味だけど美味しいモーニングセット
をいただける喫茶店は無くなりましたね。
少なくてもわたしが通った喫茶店はもうありません・・・。
過去に戻れるストリートビューでもあれば
わたしもそのあたりをウロチョロしてみたいです♪
by kasumi (2011-07-10 12:12)
日曜の昼下がり、喫茶店にいきたくなってきました・・・
学生のころによく通った喫茶店、かなり年齢がいってるママが
やってる店で、いつも和服にエプロンの洒落たママでした。
その店で大きなアンプでJAZZをかけてくれて、それ以来
JAZZ好きになった店です・・
もう30年以上も前の話で・・
もう今は店は閉店になってとてもさびしい限りです。
by ken (2011-07-10 13:11)
kasumiさん
こんにちは
ジャズ喫茶のマッチ以外のお店のマッチは、数点、
やはりそれなりに思い出があるお店が多い気がします。
モーニングセットという言葉自体がもう懐かしいですね。
かつては街角に、軒を並べるようにして様々な個性の喫茶店がありました。
地方へ行くと、常連さんのたまり場のようになっていて、
そういう店は入っても少し気まずかったりしましたね。
ストリートビュー、過去どころかそこに見えている路地にも入れません。
仕方がないので頭の中で、ストリートビューを自在に操ってます。
by そらへい (2011-07-10 13:51)
kenさん
こんにちは
誰にも、それぞれ思い出のお店ってあるものですよね。
和服にエプロン姿のママさんがジャズを聞かせてくれる店
京都では「しあんくれーる」という店のママさんが有名ですが
和服にエプロンだったかどうか忘れました。
あの店で、ゆっくりお茶を飲んで過ごしたいなぁと思うお店
見つかりにくくなりましたね。
by そらへい (2011-07-10 13:56)
年齢を重ねると若かった時のことが少し美化されて思い出されます。
そらへいさん
こんばんは
このブログを読んで
30年前のことがついこの間のように思い出されました。
若い方はノスタルジックという言葉は使わないでしょうが、
今の私にはしっくりくる言葉です。
家族経営の喫茶店のマドンナ(今じゃそんなこと言わないか)
少年ジャンプ(私は買ってました)
ちばあきお(亡くなられたのはかなり後に知りました)
すべてが懐かしいですね。
私は学生時代に下北沢南口駅前の「喫茶マノン」という店で
夕方6時から夜11時まで、3年間アルバイトしてました。
親から仕送りも貰って、バイトで遊ぶ金を稼ぐという
今では考えられないくらいのバカな若者でした。
15年位前に出張で東京に行った時に、
ちょっと時間があったので下北沢に行きましたが、
区画整理をしたのでしょうか、存在の痕跡さえ見出せませんでした。
あ〜来るべきではなかった。
思い出はそのままにしておくべきだった。
そう思ったものです。
それからはあの時の記憶は封印したようなものでしたが、
このブログを読んで、当時のことが次々と頭に浮かびます。
ママさん(なぜかマスターは思い出せない)、娘の京子ちゃん、バイト仲間の藤井くん、吉川くん、隣の牛丼屋の店長、
そして彼女だった友子ちゃん(彼女は早番だったなぁ)・・・
多分当時の悪い思い出は思い出さなくて、
良かった事だけを思い出しているのではないかと思います。
今は辛いことが多いのですが、
10年後には「あの時は良かったなぁ」と言えるようにしたい。
今週のブログからそんなことを考えました。
by 素浪人 (2011-07-10 23:24)
素浪人さん
こんばんは
熱心なコメントありがとうございます。
郷愁というと、昔は良かったになってしまうのですが
私はただ、35年ほど前、こんなことがあったと
記憶の中から取りだしたかっただけです。
皆さん、それぞれ似たような体験があるようですね。
昔の学生さんは、皆
アルバイトに明け暮れてましたね。
下北沢の「喫茶マノン」
ひょっとしたら入っていたかも知れませんね。
「マノン」はもちろん、マノン・レスコーから取ったのでしょうね。
往時をしのぶと、いろいろあれこれ、巡り会った人
すれ違ったままの人のことがとりとめもなく、頭を過ぎりますね。
私もその後何回か、上京したおりに懐かしい場所を時間見て
行ったりしたことがあったのですが、
そこを歩いている3.40代の自分が
いつの間にか20代の自分の目で見ているのには驚きました。
また、すでになくなっているお店や建物を
何度訪れても同じなのに
ひょっとしたらまだあるのではと、訪れてしまったり・・・・
ついさっきまで読んでいた本によると
辛いときとか、ストレスを感じているときというのは
生きている証なんだそうです。
つるつるの人生では
思い出すことさえ出来ません。
ありがとうございました。
by そらへい (2011-07-11 21:14)
おはようございます。
マッチを手に取り蘇る想い出・・・
興味深く拝見させて頂きました。
最近、近所の喫茶店へたまに行くのですが
マスターがビートルズ狂らしく・・・
じっくりと話す機会をうかがっていたりします・・(笑)
by Studio-Oz (2011-07-15 07:46)
Studio-Ozさん
こんにちは
近所の喫茶店のマスターさん
おいくつくらいの方なんでしょうかね。
何か面白い話、掘り出し物の話が
聞けるかも知れませんね。
by そらへい (2011-07-15 19:01)
さかき珈琲店の娘さんがここを見つけてブログで紹介していまいた。
”さかき珈琲店”で検索 トップに表示されて.....
by 通りすがり (2011-11-22 13:32)
通りすがりさん
ありがとうございます。
シンガーになっておられたとは、
知りませんでした。
by そらへい (2011-12-18 23:33)
niceありがとうございます。
とっても素敵なお話ですね。猫が好きな方かと思いました。
「手がドラえもんになっちゃうぞ~!!」
また、是非お茶を飲みにきてくださいませ。
by namie (2013-01-14 12:51)