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63歳のハローワーク [日々]

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 10月半ばに冬鳥のジョウビタキの雄を見かけました。去年は10月28日に見かけているので10日以上早いことになります。今年は夏の終わりが早く、少しずつ季節が前倒し気味に進んでいるのでしょうか。

 そう言えば、今年は例年以上にカメムシを多く見かけます。こういう年は雪が多いのだと、近所の人たちは物知り顔に言い合っています。わが里山は、晩秋に向けて、紅葉の準備を進めているところです。


 今より一月ほど前、金木犀の香りが辺り一面に広がって、その黄色い小さな花弁が木の下に敷き詰められ始めた9月末、私は突然職を失いました。正確に言うと、職場は廃業に追い込まれ、そこに勤めている全員が解雇と言うことになったのです。

 あまり詳しく書くといろいろ差し障りがありますので、私の身に降りかかったことだけを書くことにします。

 私は10年前にも長年勤めた会社が破産して解雇の憂き目に遭っているので、これで二度目と言うことになります。一度もそういうことに遭遇しない人が大勢いる中で、二度も三度もそういう目に遭う人間がこの世には少なからずいるのでしょうね。

 ただ、私にとって今回が前回と違うのは、前回は倒産までの日々が真綿で首を絞められるように辛く苦しかったと言うことです。止めることも進むことも出来ず、進退窮まった日々でした。だから倒産を知ったとき、正直ほっとしたものです。

 もちろん通い慣れた職場を去る寂しさ、毎月の決ったサラリーと積み上げたキャリアを失うつらさはありましたが、それ以上にもうここへ来なくて良いという解放感の方が強かったのです。

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 それに比べると、今回の職場には大きな不満はありませんでした。再就職してからのこの10年あまり、給料は下がりましたが日々はそれなりに楽しく過ごせていました。

 また、時間にゆとりが持てるようになって、オーディオ熱が復活したり、写真で野鳥を追いかけたり、畑作業を楽しんだりする余裕のようなものが生まれました。貧しくとも生活に彩りと膨らみが出たように感じていました。

 それが私たち従業員はあずかり知らない事情で、職場を去らなければいけなくなってしまったのです。夏の終わりの頃から不穏な噂は流れていたのですが、一方で希望的観測もあったので、まさかの急展開でした。 

 職を失うと言うことは、ただ単に仕事がなくなり給料が入らなくなるだけではなく、それまでの生活、毎朝起きて出勤するところ、そこでのあれこれ、仕事を終えて家に帰ると言った一連の流れを失うことでもあります。その喪失感はなかなかのものでした。

 
 
 長年勤めた職場を定年で辞めていく人の気分もこんなものだろうかと思いました。ただ、定年は自分でそのときを読めますが、私の場合は急だったのでよけい寂しさや悔しさが募りました。

 まだまだ働くつもり、いや働かなければいけないので、果たして60歳を越えて新しい職が見つかるかどうか不安です。ただいつまでも感傷に浸っていても仕方ありません。いくら嘆いてみても、もう以前の生活に戻ることは出来ないのですから。

 あきらめると今度は以前の時ほどは、追い込まれていない自分に気づきました。10年前と比べると、子供たちも独立し、年金もわずかですが受けているので経済的、精神的にも今の方が楽です。歳を食っている分、不安もありますが反面、失うものはありません。

 離職票を持ってハローワークに行きました。約10年ぶりに行く地元のハローワークは、建物はもちろん、室内のレイアウトから、その頃からはやり出した検索用のパソコンの台数まで何ら変わっていませんでした。

 受付からいろいろな手続きまで、以前来たときよりスムーズに感じられたのは、役所の手際が良くなったと言うより、こちらが経験済みだからでしょうか。それにしても60歳を過ぎて尚、またハローワークに来るはめになるとは思ってもいませんでした。

 受付を済ませ求職票などに必要事項を書き込むと、一番奥のカウンターで別の職員と対面します。そこで私が書いた求職票を元に、40代の男性職員がいろいろ質問しながら私のデーターをパソコンに打ち込んでいきます。

 用意してきた失業手当の振込先銀行口番号は無駄になりました。なんと10年前のデーターがいまだ残っていたのです。別のハローワークへ行った同僚は、3年間しかデーター保管していないと言われたそうなんですが。

 投げかけられる質問に答えながら、手続きは順調に進んでいっているように見えました。あるとき、その男性職員はキーボードを打つ手を止めて、一瞬、画面に見入りながらひとりにやっと笑いました。その後、彼は何も質問しなかったので、そのときはそれがどういう意味か分からずやり過ごしたのですが、後でその笑いが凄く気になりました。

 以前はそのテーブルで給付の時期や額を教えられた気がしたのですが、今回は2階の認定手続きの部屋に案内されました。そこも見慣れた場所でした。ただ以前は壁に掛かった黒板に失業手当不正受給の事例が載っていましたが、今回はそれがホワイトボードに変わっていました。

 今度は30歳前後の若い男性職員が応対してくれました。失業手当を受けると年金が止まるが、どちらにするか問われます。失業手当は60歳を過ぎていると、給付の単価上限が60歳前の人より一日あたり千円ほど安くなります。ここでも60歳以上は不利になっています。

 職員が手元の電卓を叩いて試算してくれました。その結果、年金額より多かったので失業手当を選択しました。私の場合、会社都合なので一週間の待機を経るだけで、28日後支給されます。もちろん、以前の収入に追いつくはずはありません。昔のように、年金も同時に受け取れたらかなり助かるのですが。


 それから2週間後に雇用保険の説明会がありました。説明会場はいっぱいの人でした。少しは改善されているのでしょうが、失業者の数、相変わらずですね。若い女性の姿が目立っていましたね。全体に若く、私のような高齢者は数人でした。

 約2時間の説明会が終わって会場を出ようとする時、担当者に次の仕事が決ったのでどうすれば良いか質問している人がいました。白髪の目立った年配の人でしたが、私にはひどく羨ましく思えました。その人を横目に会場を出て行きながら、自分にもそんな日が来るのだろうかと、10年前に思ったことをまた思ったのでした。

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