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 [読書]

 ちょっと怠けている間に、風薫る5月の暦も進んで残すところあと一日となってしまいました。ほんの少しの時間の違いなのに6月と言うとうっとおしい梅雨のイメージです。実際、5月末のこの数日、爽やかさをすっかり通り越して夏の気候になってしまいました。 

 今日は最近読んだ本の話でもしてみたいと思います。他の本を読んでいると堀辰雄「風立ちぬ」が出てきました。そういえば昔読んだけれど、どんな内容だったか忘れています。気になって再読したくなりました。

 「風立ちぬ」と言うと、今の人はジブリの「風立ちぬ」を連想するでしょうか。


 それとももう少し前の世代の人たちだと、やはりこちらでしょうかね。

 

 何度もタイトルが映画や歌に使われているくらい、この「風立ちぬ」という言葉には人を惹きつける魅力があるのではないでしょうか。ポール・ヴェレリの詩「風立ちぬ、いざ生きめやも」から取られています。私も高校生の頃、この言葉に惹かれて読んだような気がします。ほとんどストーリーを覚えていませんがキーワードとして恋人とか肺結核、サナトリウムという言葉が浮かぶだけです。


風立ちぬ

風立ちぬ

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/13
  • メディア: Kindle版

 ジブリの「風立ちぬ」で、小説も著者の堀辰雄も再度脚光を浴びたのではないかと思います。ジブリの映画は見ていないのですが主人公二郎はゼロ戦の開発者堀越二郎と堀辰雄をごっちゃにした人物なのだそうです。

 映画の舞台も大正時代だそうですが、堀辰雄が生きた時代も大正から昭和にかけてです。堀辰雄は明治37年生まれで没したのが昭和28年、48歳という若さでした。

 ただ読みなおしてみようと思っても、もう私の手元に本がありません。それで本屋さんに行ったのですが、文庫の棚を探しているうち、ひょっとしたら青空文庫に入っているのではないかと思い、スマホで検索してみたらありました。 

 この本が出版されたのは大正か昭和のはじめでしょうか。それから何十年かたって、文庫化されたものを私は読みました。それからまた40年あまりが経って、今では手元の小さなスマホで電子書籍として読めるようになるなんて、誰が予想したでしょうね。

 さて読みなおしてみて、ストーリーをほとんど覚えていないのは年月のせいばかりではないと気づきました。この小説、ストーリーらしき展開がほとんどありません。冒頭の絵を描いている場面から、恋人(婚約者)の父親との会話を経て、あとはずうっとサナトリウムでの二人の生活が描かれているだけなのです。

 いまどきのストーリー展開がめまぐるしい小説からすると物足りないこと甚だしい作品です。文章の調子も古典とまでは行きませんが、少し古臭さを感じます。

 ただ、物語の中で刻々と描かれている信州の風景の描写は美しいと思いました。信州のサナトリウムから見える浅間山、雲、風、光、単に描写するだけでなく、主人公とその婚約者の心理が投影されています。そこにこの小説の一番の美点があるように思いました。

 この時代、結核は死の病でした。そんな中、主人公の婚約者も空気の良い信州のサナトリウムで療養することで病を癒やそうとしますが病状は逆に深まっていきます。

 章の断片をつなぎあわせたようなこの小説は、若い時読んだ記憶ではセンチメンタルだったと思ったのですが、今回読みなおしてみてそれとは対極であることに気づきました。この小説では、恋人の病やその死を、泣くでもなく嘆くでもなく淡々と描いています。涙や悲しみという言葉も出てきません。 

 タイトルとともに美しい自然描写の中で、淡々と描かれる二人の生活、死への恐れは通奏低音のようにあるのですが、二人の心理の機微が美しい音色のように奏でられます。小説というより一遍の詩、あるいは静かなバロック音楽のようでした。 

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5月あれこれ [日々]

_DSC0333.JPG麦畑

_DSC0479-001.JPG田植えを終えた水田

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 4月は珍しく出かけることが多かったのですが、月が変わって5月はまた元のように近く回りをウロウロしているそらへいに戻っています。

 陽気が良くなってきて外での用事が増えてきました。草刈り、夏野菜の植え付け、田植えとここのところバタバタしています。皆さんのところへの訪問も滞りがちです。


2014-05-10 08.44.00.jpg

 先週は営農の田植えでした。お天気は良かったものの風の強い日で、帽子を飛ばされたり風に煽られて田んぼに落ちそうになったりしました。

 今年は田植機が更新されたので、作業はスムーズと言うかハイピッチで進み、予定より一時間早く植え終えることが出来ました。ただスピードが上がった分、苗渡しなどの補助作業は追われる始末、結構忙しかったです。一日中、しゃがんだり立ち上がったりする動作の繰り返し、翌日は案の定、太もも裏が筋肉痛に見舞われました。

 単調な補助作業の合間、畦際の野草や飛び交う野鳥が気になったりしますが、他の人の手前、作業をサボって写真を撮るわけにも行きません。後日、日を改めてカメラを持って出かけました。

ジシバリとシロツメクサ.JPG ジシバリシロツメクサ

カタバミとモンシロチョウ.JPG カタバミモンシロチョウ

タガラシ.JPG タガラシ 山で見るキツネノボタンに似ていますが田の畦なのでタガラシかと。

ニガナ.JPG ニガナ

ノニガナ.JPG 同じような黄色い花が続きますがこちらはノニガナ

ウマノアシガタ.JPG ウマノアシガタ

カラスノエンドウ.JPG カラスノエンドウ、動物の名前が続きます。

スズメノテッポウ.JPG カラスとくれば、こちらはスズメノテッポウ

アメリカフロウ.JPG アメリカフロウ

スイバと麦畑.JPG 麦畑を背に風に揺れるスイバ

ニワゼキショウ(白).JPG おなじみのニワゼキショウ

ニワゼキショウ(紫).JPG 紫のニワゼキショウ

マツバウンラン.JPG マツバウンラン

ムカシトンボ.JPG ムカシトンボ? 夏日の暑い日だったからでしょうか、もうトンボです。

さえずるヒバリ.JPG 麦畑でも水田の畦でもヒバリがひっきりなしにさえずっていました。

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 昼前の上りの電車が天井側のトンネルに吸い込まれていきました。

 両親や昔の人達は、野良仕事に時計は持ってきませんでした。電車(当時は汽車かジーゼル機関車)の行き来で時間を計っていたのです。お昼前の電車が通ると、母たち女の人は早めに仕事を切り上げて昼飯の支度に帰ります。父たち男の人は、支度ができるまで野良仕事を続けてから帰りました。

 私も昼前の電車を切りに家に引き上げることにしました。

_DSC0543-001.JPG    

 家に帰ってくると、なんと一羽のヒバリが迎えてくれました。苦労して田んぼで撮ったヒバリよりずっと手前で撮ることが出来ました。

アカバナユウゲショウ.JPG 休耕地のユウゲノショウ

ヒョウモンチョウとハルジオン.JPG ハルジオンヒョウモンチョウ 

アゲハとハルジオン.JPG ハルジオンとアゲハ

_DSC0654.JPG 野草の間ではフランス菊も洗練されて見えます。

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白川郷~奥飛騨 [旅]

_DSC0081-001 - コピー.JPG

 いつも近所周りでウロウロしているだけのそらへいにしては、先月珍しくお出かけが続きました。ボクシングのタイトルマッチ観戦とは相前後しますが、その前の土日、岐阜、白川郷、奥飛騨方面に行ってきました。残念ながら個人旅行ではなく、小さな規模の団体バス旅行でした。おまけに私は幹事でした。

 天気は週間予報では雨だったのですが、実際には金曜日にまとまって降ってくれたおかげで出発の土曜の朝は晴れました。その後、目的地はずっと曇り。二日目の帰りが雨になりましたがすべて行程を終えた後だったのでなんとか濡れずに済みました。

 せっかく暖かくなってきたのにわざわざ寒い方に行くというのもなんだか悪いような気がしたのですが、私が幹事になって長いこと待たせていたせいか、皆さん楽しみにされていたようです。

 東海北陸自動車道を進むにつれ、私達のところでは昼間はもう10度を割ることはなくなっているのに、道路際の温度計は7度とか6度をさしていました。車窓の桜が咲きかけていたり、道端に汚れた雪がまだ残っていたり、こんもりした山の向こうに富山や岐阜の雪を頂いた高い山々が見え隠れしていました。

 

_DSC0050-001 - コピー.JPG  最初の目的地は郡上八幡でした。私達のところではすでに散っていた桜が満開でした。

_DSC0005.JPG ちょうど春祭りの時に出くわしました。露店なども出ていて祭りの気分盛り上がっていたのですが、私達は郡上八幡博覧館を見学して次なる目的地、合掌造りで有名な白川郷に向かいました。 

 

 白川郷の集落は桜の季節と言うことでしたが、まだ5分から7分咲き程度で少し早い感じでした。それよりもここには以前にも来ているのですが、世界文化遺産に指定されたからでしょうか、あまりの変化ぶりに驚かされました。 

_DSC0075-001 - コピー.JPG 桜並木の奥の駐車場に並ぶ観光バスの多さを見てください。約15年ほど前に訪れた時の記憶に、このような大規模な駐車場はありません。そして駐車場から橋を渡って集落に入るようになっているのですが、その橋も記憶がありません。合掌造りの集落には違いないのですが、同じ所へ来たという気がしませんでした。

_DSC0073-001 - コピー.JPG  その橋はごらんの有様です。地元の人に聞くとほとんどが東南アジアの団体客だそうです。まるで街中のようにたくさんの人たちとすれ違います。皆、padやスマホで写真を撮っていますが、話している言葉は理解できません。

 合掌造りの家々のほとんどが、民宿かお店になっているのにも驚きました。以前来たときは、ここまで観光化されていなかったように思います。家の中に入ることができ、中で作業をしているお婆さんとお喋りが出来たのでした。

 それでも合掌造りの里は絵になりますね。カメラを持ってきていたので、夢中になって写真を撮っていたら幹事であるにもかかわらず、バスの集合時間に遅れてしまいました。

 

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_DSC0129.JPG 水芭蕉が咲いていたので合掌造りをバックに撮ってみました。

 

 その日の泊まりは奥飛騨温泉郷、新穂高温泉ホテル山月でした。シーズンとシーズンの間のせいか空いているように感じました。ここでも東南アジアの方がおられましたね。

 総檜造りの湯船はゆったりしていて、お湯は温めでしたがゆっくりと寛ぐことが出来ました。食事はボリューム感が相当ありました。柔らかい飛騨牛を堪能しました。食べるのに忙しくて、写真を撮り忘れ、後で人の膳を慌てて写しました。

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 部屋は広々としていて、いくつもの間がありました。団体旅行の窮屈さを感じることもなく幹事としても一安心でした。 

 

_DSC0251-001 - コピー.JPG 翌日は、朝から新穂高ロープウェイです。子どもたちが小学生の頃、夏休みに家族で来たことがあるのですが、そのときなぜか、ロープウェイに乗れなかったので今回楽しみにしていました。

_DSC0253-001 - コピー.JPG ロープウェイは、結構混み合ってました。途中しらかば平駅で二階建てロープウェイに乗り換えます。登山姿の方が数名ここで降車して登山道の方に歩いて行かれました。 

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_DSC0287-001 - コピー.JPG まだたくさん雪が残っていて、頂上駅に向かうにつれ深さと白さを増していきました。 

_DSC0314-001.JPG ロープウェイの車内アナウンスによると、白樺のような裸の木はダケカンバというのだそうです。たまにクマやエゾシカ、ウサギ、テンなどが姿を見せることがあるそうですが、残念ながら見かけることはできませんでした。 パンフレットにはライチョウホシガラスのイラストがありましたが、もちろんこちらも見ることはできませんでした。

_DSC0301-001.JPG 頂上の西穂高駅の屋上デッキは標高2156mです。気温はマイナス2度でした。そこから見る北アルプスの絶景です。もっと晴れて青空があるということがなかったのですが、バスの運転手さんによると全く見えないこともあるそうなので、少しでも見えてよかったと思います。

 同行の皆さん方も山育ちとはいえ、こんなに鋭くて高い山々には馴染みがないので感嘆の声を上げておられました。満足していただけたようで幹事としてはほっと胸をなでおろした次第です。

_DSC0318-001.JPG 

 幹事ですと雑用なども多くて、それほど旅行楽しめないものですが、今はほとんど支払いは旅行会社になっていますし、段取りも旅行会社まかせです。バスの中での人数把握までバスの運転手さんがしてくれたので思ったより楽でした。

 最後に白川郷の写真をスライドにして久しぶりにYouTubeにアップしてみましたのでよろしかったらご覧になってください。


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