引っ越し前夜 [日々]
公園のアジサイは今が盛りですが
わが家のアジサイはまだこんなものです。買った鉢植えから庭に植えて4,5年、花が咲くようになって2.3年目でしょうか。庭に根付いたので安心してしまい、元の鉢植えのアジサイは今年枯らしてしまいました。
今週は気がついたらもう金曜日でした。夜、PCに向かったものの眠くて眠くて、何度も居眠ってしまいあげくにマウスを机から落としてしまう始末。あきらめて昨夜は眠ってしまいました。
今日は朝から家の裏の休耕地の草刈りをしていましたが、最近、草刈り機の調子が悪くて思うように刈れません。エンジンがかかり、歯も回転するのですが草に当たるとすぐ回転が弱まってしまいます。動力は伝わっているのですが、弱くてトルクがありません。
それでも午前中いっぱいかかって半分ほど刈ったのですが、刈りづらいうえ仕事がはかどりません。午後、近所の農機具店に持ち込みました。個人で田んぼをしていたときからお世話になっているところです。
店主が留守だったので置いてきました。今日中には無理かと思っていたら、わりに早く連絡があったので引き取ってきました。何でもマフラーが詰まっていたのだそうです。時々、エンジンを思い切り吹かしてやるとこんなことにならないそうです。
夕方から草刈り再開したので刈り終わったのは6時半頃になりました。でも今は日が一番長いとき、まだ1時間くらいは明るさが残っていますが、こちらの体力が持ちません。夕ご飯の支度もできかかっているようでした。
お伝えしてから今日まで粘ってきましたが、ブログの容量がとうとう999MBになりました。新しいブログサービスを探すのも面倒ですし、so-netの無料会員でも別のブログをあと数本立てられるそうなので、このままそちらに移行することにします。
新しいアドレスはこちらになります。タイトルも現実に即したものに変えてみました。
[ほぼ金曜日のそらへい] http://sorahei-s2.blog.so-net.ne.jp/
今後ともよろしくお付き合い、お願いいたします。
さて、どうしたものか [日々]
お祭りも終わり、ゴールデンウィークも終わってしまいましたが、今年は好天に恵まれて雨が降ったのは一日だけでした。その前に4月の大半が雨だったので、その裏の晴天続きなのでしょうね。夏とは違って、湿気がないのでさらっとした初夏の陽気、新緑も鮮やかです。
人は贅沢なもの、これだけお天気が続くと今度はたまには一雨欲しくなります。しかしこの好天、当分崩れそうにありません。天気予報によると来週、気の早い台風6号が接近するまで雨はなさそうです。晴天が何日も続いて、台風でやっと気圧配置が変わって雨が降るなんて、まるで夏ですね。
遅れていた畑の準備もこの晴天続きの間に終えることができました。そして先日、今年も夏野菜の苗を植えました。例年通り、トマト、ナス、キュウリ、ピーマン、シシトウ、唐辛子、サツマイモ、スイカと言った顔ぶれです。
里芋、ショウガは4月中に植え付けを終え、トウモロコシは種を蒔いたのが芽を出しています。エンドウ、イチゴは実が採れ始め、タマネギも一部収穫しています。ソラマメはもう少し先のようです。
畑、ずいぶん続けているような気がしているのですが、調べてみるとようやく7年目になるようです。初めは怖いもの知らず、ビギナーズラックで面白いように採れましたが、続ければ続けるほど難しさを実感するようになってきました。
ここ2.3年、なかなか思うように採れなくなっています。トマトは実がなっても尻腐れ病に見舞われたり、虫に食われたり、ナスはなぜか初めのうち採れなくて途中から急に採れ出したり・・・毎年続けるうち畑の土がメタボになって来ているのでしょうか。
先日の祭りの日、とぼとぼと歩いて自宅に帰る途中、藪の手前の草むらでたくさんのシャガを見かけました。この花、初めて見たときは、異様な花に思えたものです。調べてみると、案外ポピュラーな花だったことが分かりました。
このブログを始めたのが畑を始める1年前の2007年7月になります。歳は56歳ですが、禁煙をしたりいろいろなことを始めだした頃で、年の割に生き生きしていたように思います。
と言うかそれまでの生活が職場の倒産という形で途切れて、また新しく仕切り直し、今までと違う新しい世界の展開に刺激をいっぱい受けていた時期だったと思います。
私の今の生活はその頃、開かれたものの延長上にあります。 さすがにその頃ほどの生き生き感のようなものはありません。ややもすると、その頃の感動をなぞっているような気がすることがあります。
さて、ブログを始めて8年になろうとしています。その間、何回も休みながらもほぼ週一回を目標にブログをアップしてきました。初めのうちはテーマを絞って、ジャズ、オーディオに限定していたのですが、徐々にネタ切れになってきて、結局は生活全般になってしまいました。
そのブログ、今回で382記事になるようですが、so-netブログの容量が限界に近づいてきました。今回の記事を書き始める前、残り8MBしかなかったのですが、不要な画像ファイルを削除してなんとか11MBまで増やしました。しかし、遠からず満杯になってしまうのは目に見えています。
さて、その場合どうするのか。以前、満杯になったらそれを機会にso-netブログを止めると言うようなことを書いたような気がします。最近はましですが、その頃はso-net凄く不安定で、うんざりしていたのです。
今は、so-netを続けて、「そらへいの音楽館(2)」を立ち上げるべきか、このまま有料会員になって行けるところまで行くべきか、あるいは最初の宣言通り、so-netをここで一端やめて、別のブログを立ち上げるべきか、迷っています。
春祭り [日々]
今日から新緑の5月ですね。当地では毎年5月1日は地元のお宮さんでお祭りが執り行われます。昔はお祭りというと、各家は巻き寿司などのご馳走を作ったり、嫁いだお嫁さんや奉公に行っていた人たちが藪入りと言って一日だけ田舎に帰って来たりして賑わったものですが、今は神輿が出るだけになりました。
我が組は今年宮守当番に当たっているので、前日から祭りの準備に狩り出されています。また昨夜は宵宮がありました。そのあと一晩、神輿が拝殿に出たままになっているので、交代で見張りの泊まりをしました。
私の順番は、今朝からです。朝、6時前、少し眠い目をこすりながら宮さんまで歩いて行きました。このところの晴天続き、今日は7月並の気温が予想されていましたが、それは昼間のこと、朝はひんやりしています。シャツにベストを羽織って出かけました。
早朝の山道は静かです。上空を帰りそびれたらしい鴨が三羽並んで飛んでいたと思ったら、小学校のプールの横を通るときバシャッと水音がしました。今頃なんだろうと見ると、先ほど飛んでいたらしい鴨が二羽、プールに飛び降りて泳いでいました。
参道の坂道は新緑の木々に覆われて、野鳥の声が賑わっています。さすが晴れた日の早朝です。広がった葉の影に隠れて姿は見えませんが、たぶん鳴き声の主はシジュウカラやヤマガラたちでしょう。
本殿の囲いの一部が修復されて新しくなっています。
早朝の人気のない社はしんとして、いつもの石橋も静まりかえっています。
昨夜泊まっていた人がドラム缶に薪をくべて私たちが来るのを待っていてくれました。彼いわく、次の宮守の時は警備会社に頼もう、でした。
昨夜の泊まり当番は若い人たちでした。皆それぞれ仕事を持っています。彼らの間でそんな話が出たのでしょうね。
さて、我々が交代しても、これと言ってすることはありません。神輿の渡御が始まるのは11時過ぎです。まだ総代さんも見えないので、何をしたら良いのかも分かりません。境内をうろついてみたり、社務所の中に入ってお喋りをして時間をつぶしました。
少しずつ朝日が当たるエリアが広がっていきます。
本日の主役の神輿です。私が子供の頃は樽神輿でした。それではあんまりだというので約40年ほど前にこの神輿が新調されました。一応子供神輿なのですが、重くて子供だけでは担げません。
初めの趣旨は子供神輿と言うことで、子供会が主催、子供の親たちで運営すると言うことだったのですが、5月1日は平日なことが多くなかなか担ぎ手が集まりません。
いつの間にか役員さんで担ぐようになっていましたが、それもだんだん困難になってきて、数年前から台車に乗せて回るようになりました。
ようやく拝殿にも日が当たるようになってきました。環境音楽のように野鳥の鳴き声がずっとしています。しかし社を囲む木々は背が高く鳥の影さえ見えません。
9時過ぎ、総代さんが来られて神輿が出る際の儀式の準備が始まります。私たちにあれこれと指示を受け、言われるがまま動きます。もっとも掃除や拝殿の幕張などおおかたのことは昨日しているので、今日は昨日準備したものを並べたりするだけでした。
10時すぎ、少しずつ区の役員さんたちが集まってきます。授業を早く終えた子供たちも祭りの法被を着て集まり出しています。親の姿も見えますがほとんどがお母さんたちです。
台車の上に載せられ、出発の時を待つ二基の神輿。
お揃いの法被を着て、出発を待つ子供たち。
11時が過ぎて、詔や役員さんたちの挨拶が終わり、いよいよ神輿の出発です。いつもは涼しい境内も、木漏れ日と言うには強い日差し、ずいぶん暑くなっていました。
石橋を渡っていく神輿。
途中、幼稚園の前を通ります。可愛い園児たちがお出迎えです。
子供たちが神輿のロープを引き、役員さんたちが神輿が乗った台車を押して集落をくまなく回ります。途中何回か休憩と簡単な昼食の時間があります。すべてが終わるのは3時をすぎるでしょうか。
私たちは宮守なので神輿についていく必要はありません。神輿を送り出すと、また人気が無くなってがらんとした境内に鳥たちの声が戻ってきます。私たちは社務所に入って再び神輿が帰って来るまでお茶を飲んだりお喋りをしたりして時を過ごすのです。
最後の輝き [日々]
雨の予報、夕日に照らされて今年の桜の最後の輝き
先週の土曜の午前、晴れ間と満開がほんの一瞬だけリンクしました。 それ以外は今年の桜、雨で始まって雨で終わったような気がします。
一週間が経ちました。気温が低かったせいか桜の花は散りながらもまだ枝に残っています。8日の小中学校の入学式にも何とか間にあって、残った花たちは枝の上でけなげに笑っていました。
桜の花、年によっていろいろな咲き方をして、私たちを喜ばせたり、嘆かせたりしています。ある年は、ウソの襲来を受けて蕾を減らしてしまったり、またあるときは、春の嵐にあって蕾のまま散ってしまったり、毎年様々な開花の姿に一喜一憂する私たちです。
桜ばかりではありません。見る側の私たちの状況も毎年同じとは限りません。仕事が忙しくて、通勤の車の中からしか見られなかったり、風邪を引いてしまって鼻をぐずりながら満開の桜を見上げてみたり、入院中の病院の窓から眺めることもあったかも知れません。
咲く側も見る側も毎年同じでないところがいいですね。そして何年かに一度、お互いの条件が一致して、晴れやかな気持ちで満開の桜を仰ぐことがあるのでしょうね。
桜の時期を過ぎると4月ももう中旬ですね。あと一月もしないうちに夏野菜の植え付けが始まります。今年はこのところずっと雨続きでまだほとんど畝の準備ができていません。
そんな中、黒マルチ逆さ植えのジャガイモの芽が出てきました。キタアカリは揃って芽が出たのに、隣のダンシャクはまだ少ししか芽が出ていません。 ちょっと心配していたら、sarusanさんに目が揃わないのは毎度のことですと言われてほっとしました。揃うまで気長に待つことにします。
休みの日が雨だと畑仕事もできないので部屋で本を読んだり音楽を聞いています。このところ齧り始めたハイレゾが気になります。当たり前ですが、普段聞いている圧縮音源のitunesより、ハイレゾ音源の方が音はいいですね。情報量が多い分、臨場感があるのに刺激的ではありません。音が柔らかくしかも耳に心地良いのです。
flacよりもDSDを聞きたいのですが、DSD録音されているのは新しい演奏者の新しい録音ばかりなので、どの音源を購入すれば良いのか迷います。
e-onkyoサイトのアルバム一覧を開き、気になったアルバムの視聴を繰り返して、散々迷ったあげくこのアルバムを選んでみました。バイオリン小品集、AVE MARIA/寺下真理子という奏者のことは何も知りません。
夜更け、窓の外では静かに春の雨の音がしています。優しいバイオリンの音色が私の部屋に満ちていきます。
ちなみに今読んでいる本はこちら、音楽と音楽の世界をモチーフにしたミステリ小説、なかなか面白いです。
桜咲く [日々]
何かに合格したわけでもないのですが、桜が咲きました。つい一週間前、当ブログで開花間近の蕾の写真をアップしたのですが、それからすぐに開花して、あっという間にもう満開間近です。
家の桜です。写真を撮った日は満開に少し間があったのですが、この時しか晴天が望めませんでした。実際はこの週末あたりが満開になると思うのですが、天気予報はあまりよくないようです。
今年は当地の桜、開花が例年より早かった気がします。いつもなら同じ地域でも遅めなのですが、今年はほとんど一斉だったようです。
いつもなら桜が咲く頃は散っているコブシが今年はまだ咲いています。
ユキヤナギも
レンギョウも
皆一緒です。おかげで墓地に続く里の道は、ごらんの通りいろんな花で賑わっています。
モクレンもそうです。
今年はモクレンの背景に淡いピンク色の桜を添えることができました。
反対に桜に焦点を当てるとこんな具合になります。
宮守当番、まだ続いています。一年、長いですね。
神社のカエデに止まっていたのはカシラダカでしょうか?
天井川沿いの桜並木、生憎の天候で花見をする人影はありません。
密を吸うヒヨドリ。メジロを探したのですが見つかりませんでした。ウグイスはやはり声ばかりでした。
天井川にかかる一本橋
特徴的な鳴き声がして、イカルがいました。
天井川のトンネルの上から見下ろした旧街道筋
道ばたのスノーフレーク
ツクシもまだ頑張ってます。
神社にかかる石橋
今年はずっと忙しくて、気がついたら4月、桜の季節になっていました。
風邪を引く [日々]
一週間前の21日、こんな具合だった我が家の桜
今日はここまで成長していました。今日の天気予報で、近畿地方では滋賀県だけまだ開花の報告がないようでしたが、この蕾の色を見るといつでもオーケーという感じがします。
今日は朝こそ冷えましたが風もなく穏やかな良いお天気でした。このところ天気の変化が激しくて先日は朝から雪や霙が降ったり、雷が鳴ったりした日がありました。それに伴って気温の変動も激しくて身体が付いていきません。
先週の日曜日、珍しく風邪を引いてしまいました。その日は4月を通り越して5月のような陽気の日でした。お彼岸のお墓参りをしていたのですが、なんとなく気分が優れなくて夕方になるにつれ身体のあちこちが痛くなってきました。熱を測ってみたら37度2分と微熱です。
それから夜にかけて熱は少しずつ上がって37度8分まで達しました。喉が痛くなったり、身体の節々が痛くて不快ですが病院はお休みです。売薬を飲んで眠りました。
翌朝、薬のせいか少しすっきりした気がしました。熱も37度ほどに収まっていたので、ま病院にいくほどでもないかと思っていたら、また夕方から夜にかけて調子が悪くなってきました。再度熱を測ってみたらなんと39度という表示です。驚いてもう一度計り直してみてもやはり39度です。
始め高を括っていた妻も39度に驚いて、もう一つ別の体温計を持ってきました。こちらは元々調子が悪いのですが参考に測ってみたら38度2分と表示されてました。いずれにしても熱が高めなのには違いがありません。すぐに近所の診療所に行くことにしました。
受付をして診察を待つ間に熱を測ってくれましたが、ここでは37度3分しかありませんでした。診察のさいに医師に家では39度あったというと、驚いて脇の下に手を当てて見てくれましたが、39度はありませんね、あっさり言われました。
どうやら家の体温計二つとも壊れているようです。実際38度や39度あったらもっと目がとろんとしてふらふらしていますよね。一人で病院へ行けないかも知れません。まったく人騒がせな体温計です。もちろん、次の日、薬局で新しい体温計、買い求めました。
診療所で薬をいただいて、ちょっと汗をかいたら翌々日には治りました。霧が晴れたみたいに気分も身体もすっきりして風邪引く前より元気になったような気分です。
約3年振りの風邪です。3年前も3月でした。もっともこの年は珍しく10月にも引いているのですが、昔から3月には弱いのです。気温の差が激しいせいでしょうか。
たった数日、微熱があって身体の節々が痛かったり、喉が痛かったりして不快だっただけなのに、ただそれだけでつくづく普段の健康の大切さ、ありがたさを痛感しました。
「お薬の手帳」と言うのが今はあるのですね。初めてもらいました。診療所の医師にお久しぶりですねと言われるほど久々の病院だったので、薬の飲み方も板に付いていません。
三種類いただいたのですが、皆食後なのでご飯の後に飲んでいたら、一種類だけ足りなくなりました。よく見るとそれだけは毎夕食後でした。薬の飲み間違い、本当は良くないのでしょうね。
迎える [日々]
年が明けて早、一ヶ月が過ぎてしまいましたが、今年の我が家、アップダウンの激しいなにかと忙しい日々が続いています。先月、義母を送って間もなく、月が変わると同時に娘が二人目の子を産みました。
月は満ちていたのですが少し体重が足りなくて、保育器に入っています。体重が少ない以外異常は無く、元気に泣いたり手足を動かしたりしています。
当然ですが、娘がお産で入院している間、2歳10ヶ月になる上の孫を預かることになります。娘は近くに住んでいるので、孫はいつも我が家に遊びに来ています。慣れているはずですが、やはりママがいないといつものようにはいきません。
すぐにママを恋しがるので、なだめたりすかしたり、機嫌を損ねないようにお相手をするのがなかなか大変です。ジイジ遊ぼうとおもちゃを使った遊びにつきあわされます。コタツで寝転がっていても踊りが始まると一緒に踊れと起こされます。テレビやDVDの子供番組、出て来るいろいろなキャラクターを教えてくれるのですがなかなかジイジには覚えられません。
夜、突然目を覚ましてパパ、ママと泣くことがあったりして私も妻もずっと寝不足気味です。仕事に行っている時以外、孫が夜寝付くまで私のプライベートタイムはありません。妻はもっと大変です。でもこれは嬉しい忙しさですね。
送る [日々]
また久しぶりの更新になってしまいました。もう1月も終わりですね。
あまり正月らしい気分を味わえなかった今年の初めでしたが、ようやく落ち着いた日々が戻ってくるようになると、無性に鳥を撮りに行きたくなったり、レコードが聞きたくなったりしました。
飢えこそ究極の欲求ですね。その時、撮った写真や聞いたレコードのことでも報告しようと思っていたら、昨年末から体調を崩していた義母が今月半ばに亡くなりました。
暮れには医者に危ないと言われていて、宮守りと重なるとまずいなぁと思っていたのですが、義母は何とか持ちこたえてくれました。
12月の半ば頃から私たちの呼びかけにもほとんど反応がなかったのに、年が変わると目が開きだして、3日には目をはっきり開けて、話が出来るまでになったのです。
これには私たちも驚いて、一瞬奇跡が起こったのかと思いました。いつも人ごとには冷静な妻も、さすがに自分の親のことになると欲目が出るのか、、この分なら100歳まで生きられるのではなどと私に言うのでした。
それからしばらく、義母は起きたいとかお茶が飲みたいとかわがままを言うまでになっていたのですが、1月半ば、一日中牡丹雪が舞う寒い日、皆に見守られて息を引き取りました。
享年93歳、義父を亡くしてからも元気に暮らしていたのですが、次第に足腰が悪くなり数年前からベッドと車椅子の生活でした。
いつも何かしら冗談を言わないと気が済まない面白いおばあさんでした。なかなか役者で私たちがしばらく顔を出さないと、元気のない振りをしたりボケた振りをするのです。
でも、しばらく喋っているうちに何でもしっかり知っていることや、元気な仕草が出たりして芝居がばれます。また耳の遠さも、大事な事はしっかり聞こえていて、その使い分けの巧さに妻と二人でよく笑ったものでした。
12月、義母が体調を崩して反応が無くなる少し前に言ったことが印象的でした。妻が義母を励ますために、「おばあさんは足以外は何処も悪いところがないのやから元気出しな」と言うと、義母は「老人病や」と答えたのでした。そのときは、そんな言葉をすぐ返せる義母を凄いなと思ったのでしたが、この頃すでに意欲が減退していたのでしょうか。
妻の実家は私たちのところよりまだ少し奥になるのでもっと田舎です。お葬式、宗派は我が家と同じだったのですが、お寺や地域が違うと、やり方も少しずつ違って戸惑うことがしばしばでした。
20年近く前の義父の時は、葬儀は自宅、何もかも手作りの葬儀で大変でしたが、今は葬儀場を借りて葬儀屋さんが何でもしてくれるので、遺族としてはずいぶん楽でした。
ここは、妻の実家の「さんまい」です。さんまいとはどういう字を当てるのか、山に埋葬するから「山埋」でしょうか。義父の時は、ここへ土葬したのですが義母は火葬、骨はお寺の墓に入るのでここにはおりません。
それでも初七日から四十九日までの中陰中、七日ごとに遺族はここへお参りして線香を上げます。かつては、葬儀の列(ソウレンと言いました)が家からここまで歩いて、この場で葬送の儀式が行われました。
棺桶を置く石の台です。私たちの山埋にも似た石がありますがもう少し大きかった気がします。棺を担いだ列はこの石の周りを3回ほど回り、石の上に棺を置いてから、僧侶の引導を渡す儀式が行われます。
山埋の入り口に六体地蔵があるのも、規模は少し違いますが私たちの山埋と同じです。そばを道路が通っていて山埋の入り口は明るく道路から丸見えです。
私たちの山埋の入り口も昔は木々に覆われて鬱蒼としていましたが、今は切り開かれて明るくなっています。ここもかつてはもっと薄暗かったのではないかと思います。
これで私たち夫婦には親と言う存在がいなくなりました。これからは私たちが子供たちから介護されたり、看取られたりする番のようです。
明けましておめでとうございます [日々]
昨年はいろいろな事があった一年でしたが、無事新しい年を迎えられたことを感謝したいと思います。そして、この新しい年が、皆様にとっても素晴らしい年でありますようお祈り申し上げます。
この年末年始も様々な田舎の行事に振り回されてしまいました。そのドタバタ劇については、少し落ち着いたらまたレポートしたいと思います。あまり期待しないでお待ちください。
山の境界周り [日々]
久しぶりの休日のような気がします。休みは最低でも週に一回はあるのですが、何かと田舎の用事などがあって本当に一日朝から晩まで自由という日は少ないですね。
師走に入って年賀状の準備とか暮れの大掃除の用意とか忙しいのは皆さん一緒です。そこにさまざまな役などがあって、年度末が3月の所はまだいいですが、お寺などはこの12月が年度末、総会に向けて役員改選とか会計報告などの準備が控えています。
今日はそんな中、まず何から取りかかろうかと思いながら、とりあえず久しぶりに畑に出てみました。出てみるとそこはそこでいろいろ気に掛かることがあります。
サヤエンドウとソラマメの間引き、大根、ニンジン、里芋、ほうれん草などを収穫、開いた畝を耕して天地返しと言うほどは掘れませんでしたが、とりあえず寒ざらしです。
お天気は良いのですが風が冷たくてご近所は誰も畑に出ていません。鍬を振っているとすぐに身体は温まりますが、歳のせいかすぐ息切れもします。一時間あまりで引き上げて部屋に入りました。
部屋もこのところ荒れ放題です。ストーブを出さないといけないのですがその前に久しぶりにハタキをかけて、掃除機でざっと掃除です。とても年末の大掃除とまではいきません。
ようやっと落ち着いて、コーヒーを入れてパソコンの前に向かいます。部屋の温度は5.5度しかありません。キーボードを打つ手が凍えます。コーヒーカップで暖めながらです。
今回のブログは先週の日曜、山の境界周りをしてきた報告です。年一回、集落の山の境界を管理確認する作業があります。森林組合の役員と構成する組合員の当番委員が行います。私は今年その当番委員に当たっています。
メンバーは総勢10名あまりでした。上は70代前半から下は40歳そこそこという構成です。昔は山行きと言うと、皆さん手に鉈やのこぎりを持って作業着姿でしたが、若い人はハイキングスタイルです。中にはモンベルの登山靴を履いている方もありました。
墓地の奥の道から始まります。ふだんはよく野鳥を探しに来るところです。大勢で歩くせいか、鳥の声はあまり聞こえません。雑木林の中を抜けて、次第に傾斜を強めながら登りが続きます。初めのうちは、賑やかに世間話していた人たちも、登りの連続に次第に寡黙になっていきます。
一番若いKさんです。ちょうどぶれてたので顔をぼかす手間が省けました。彼はさすがに若く、数万円するGPS付きの高度計を腕にはめていて、要所要所で高度を教えてくれました。
登り続けること数十分、ようやく尾根に出ると一息です。尾根をしばらく歩いたところで最初の休憩という声がかかりました。私は動き続けて汗をかいたせいか、休むと一瞬、気分が悪くなりかけましたが、じっとしていると収まりました。
スキーのステッキを杖代わりにして行く人は70代のMさんです。
尾根を上がったり下がったりです。前日が雨だったので傾斜のきついところでは落ち葉が濡れて足が滑ります。私の目の前で、勢い余ってすってんと転んだ方がありました。でも、下は落ち葉の絨毯、少しズボンが汚れただけで怪我はありません。
役員さんたちは毎年来ているのですが、山は何処もよく似ていて、時々道に迷いました。境界を示す杭と木にぶら下げられた赤いテープが目印になっているのですが、それでもその右手を行くのか左手を行くのか、はっきりした道の無い山の中では迷います。
岩場の険しい場所では、誰かが登山道に設置してある鎖が欲しいと言って周囲を笑わせます。近くに生えた木の枝や幹を支えに登るのですが、よく気をつけないと木そのものが腐っていて、持った拍子にはぐらかされることがあります。
雨上がりの暖かいお天気の日でした。見晴らしの良いところへ出ると思わず写真を撮りたくなります。ただし一眼は荷物になるので持ってこず、すべてスマホのカメラです。
中央の三角形にとんがっているのが、今年一月に登った三上山です。ここから見ると低く見えますが400メートル半ば、同じくらいの高さだそうです。左手には、琵琶湖の青い水面が肉眼でも見えたのですが、スマホのカメラでは捉えられていないですね。
これが境界を示す杭です。以前は木の杭でしたが今は半永久的プラスチック製です。今でも集落の境界周りには年度を書き込んだ木の杭を持って回ってます。
頂上も過ぎて行程の半分を過ぎたところにある太鼓岩で寛ぐ同行者たち。
色に乏しい山の中でひときわ目立っていたサザンカの花。
麓の集落です。子供の頃、よくこの山で遊びました。チャンバラごっこなどをして駆け回ってました。あの頃は、山全体が私たち子供の遊び場でした。
そびえる八丈岩、この近くには山城の跡があり、この岩付近は砦のようになっていたのではと言われています。
その岩の下で少し早い昼食です。組合より支給されたおにぎり2個とお茶が昼ご飯です。少し休むと汗をかいた身体が冷えて寒くなってきました。
帰り道に見かけた紅葉とサザンカです。時々ヒヨドリ、ヤマガラ、コゲラの声がしていました。
8時過ぎに登り、降りたのが昼前、行程は休憩を挟んで3時間半でした。以前登ったときは4時間ほどかかった気がしたのですが、役員さんも今年は早いと言ってました。
以前の記憶ではもっとアップダウンがあってきつかったように思ったのですが、今年はそれほどきつく感じませんでした。10年以上経っているのですが、体力が付いたのでしょうか。まさかですね。