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一人生えのニンニク [その他]

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 写真は去年のニンニクを収穫したときのものです。今年も収穫は6月に入ってからになると思いますが、我が家、今年はニンニクを栽培しませんでした。

 私がニンニクを栽培するようになってまだ3、4年ほどしか経っていないと思います。我が家はもともとあまりニンニクを消費しませんでしたから興味がなかったのですが、ある年、畝が余ったので挑戦してみることにしました。

 ニンニクは栽培期間の長い作物です。そのわりに初心者でも作りやすいと聞いていたのですが、初めて作った年は、脇芽やつぼみ取りの処理を間違えたりしました。

 2年目、3年目、前年採れた球根を増やしていけば良いので、経費もかからず初心者でも堅実に採れる作物でした。ただ一畝作ると、とても我が家だけでは消費しきれません。食べ切れない分は、人にもらってもらったり、飯米を保存している缶の中に入れて虫除けに使ったりしていました。

 そのニンニクを今年なぜ栽培しなかったのかと言うと、いつも私の作るニンニクをおいしいと言ってもらってくれていたNさんともう会わなくなったからです。ここ数年の我が家のニンニク作りは、家のためと言うより喜んでもらってくれるNさんのためにおこなっていたと言ってもいいようなものでした。

 しかもNさんのお宅ではニンニクだけでなく、塔立ちしたときにできるつぼみまでもらってくれました。これを炒めて食べるとおいしいのだそうで、わざわざ道の駅などでも買い求めておられたそうです。

 Nさんは私の前の職場の同僚でした。ニンニクを植え付ける頃は毎年、9月末から10月にかけての頃なのですが、去年のちょうどその頃、職場は存続の危機に陥っていたのでした。

 私やNさんなど高齢者はもう駄目だろうという空気が流れていて、皆、腹を括っていました。実際、私もNさんもロッカーを整理して離職したのでした。そのとき、Nさんが自分に言い聞かせるように「仕方がない、仕方がない」と繰り返していたのを印象強く覚えています。

 私は、そんなときに半年先に成るニンニクの話などもできず、ただ互いの健闘を誓いあって別れたのでした。私はそのとき、もうNさんと会うことはないような気がして、畝作りまでしていたニンニクの栽培をあきらめてしまったのです。

 畑には、去年のニンニクの球根が残っていたのか、植え付けていた畝の近くで一本だけ一人生えしているニンニクがあります。先日、ちゃんとつぼみまでできていたので切り取りました。

 私はその切り取ったつぼみの処置に困りながら、Nさんは今頃どうしているのかなぁと畑の真ん中で思うのです。

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スイカズラ  [その他]

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 スマホで撮った画像をさらにトリミングしているので画面はぱっとしませんが、先週の日曜の田植えは良いお天気でした。去年は帽子や苗箱が吹き飛ばされる強風の日でしたが、今年はからっと晴れ上がって、絶好の田植え日和でした。

 おまけに苗渡し、苗運び作業は若い人が多くて、よく動いてくれたので年寄り組の私は助かりました。去年は人が少なくて、一日中立ったりしゃがんだりの連続、翌日には筋肉痛に見舞われたのでした。

 5月連休から始まった営農の田植え、今年は晴天に恵まれてあと明日と明後日を残すだけです。私はもう一日、明日の出番が残っています。先週、楽だった分心配ですが、残り少ないそうなので追われることは無いと思うのですが、どうなるでしょうか。

 さて、今日はキーボードの話の続きです。以前、取り上げたのはいつだったか調べてみたら半年前、去年の10月でした。そして10月と言えば、職場のことでごたごたしていた時期でした。

 あれからもう半年あまりが経ったのですね。おかげで私を誘ってくれた同僚は、無事社員に登用されました。私は残念ながら60歳を越えているのでアルバイト契約のままですが、こればかりは致し方ないですね。

 新しい職場にも慣れ、ほっとしたと言うわけでもないのですが、前回のキーボードの記事で取り上げた東プレREALFORCEをとうとう買ってしまいました。

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 テンキーレスです。以前使っていたFILCO107J-AJと言うキーボードがコンパクトタイプだったため癖がついてしまって、フルキーボードに向かうとうまくモニターと正対できなくなってしまいました。その違和感が嫌でテンキーの無い幅の狭いタイプを選びました。型番はNG0100 REALFORCE91Uになります。

 2万円を超すキーボードがあるリアルホースの中では安い方ですがそれでも15,000円前後します。普通のキーボードだと10台くらい買えてしまうかも知れませんね。

 少し散在しすぎと思われるかも知れませんが、パソコンへの入力装置、できるだけスムーズでストレスのないものが欲しくて、いろいろな形式メーカーのキーボードを試してきました。今回、ようやくたどりつけた気がしています。

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 今まで使っていたコンパックのフルキーボードと比べると奥行きは同じなのですが、左右がかなり短くなります。コンパックのキーボードも最近のキーボードの中では重い方ですが、リアルホースは箱から取り出した時点で違いました。ずしりとくる存在感がありました。

 USBポートに繋いで打ってみました。打ち出してすぐ違いが実感できました。キーの動作に節度があります。軽く押しただけでスコッと下がり、力を抜くとすっと戻って次の打鍵に備えます。

 その節度感がちょっとした快感で、あまりの気持ち良さに意味もなくなにか文章を打ちたくなったりします。この感覚、ヨドバシカメラの店頭で試打した時には分かりませんでしたね。

 10年以上、メカニカル式キーボードを使っていたのですが、リアルホースはメンブレン式と比べるとメカニカル式に近いですね。メカニカル式キーボードも確かに打ち心地がよくて、リズムに乗ると快感ですが打鍵時のキーのはね返る力が強い気がします。その点、リアルホースの方がより静かでしかも疲労感が少なく感じられます。

 アマゾンなどのレビューを読んでいると、打鍵音が以前はスコスコと良い音がしたそうですが、マークに赤文字が入ってから中身が少し変わったそうで、打鍵音が安っぽくなった、と言うようなことが書いてありました。私は前のバージョンの音を知りませんが、確かに音自体は快感に繋がるほどではないですね。

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 東プレのリアルホース、もう何年も前からずうっと気になっていた存在でした。ただ、そのお値段がキーボードとしては尋常じゃ無かったので、ちょっと手を出せなかったのですが、もう少し前に買っておいても良かったかなぁと今は思いますね。

 ふにゃふにゃした打ち心地のメンブレン式を使っている人はリアルホースの打ちやすさに驚かれると思います。メカニカルキーボードを使っている人もわりとスムーズに移行できるのでは無いかと思います。ただ、ノートパソコンを使っている人は、このキーボード、ストロークが深いので合わないかも知れません。

 裏底にスタンドがついていますが、スタンドを立てるとこちらの手首も立て気味になって、手首に負担がかかる気がします。私はスタンドを立てないで寝かしたままで使っています。

 静かですし、打ちやすいのでストレス無く打ててます。これで打ち損じも減ってくれると思います。ただ、キーボードが東プレのリアルホースになったからと言って、誤字脱字が減るわけでもなし、ましてや良いブログ、良い文章が書けると言う保障はないのですが。



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 我が家にスイカズラは無かったのですが、鳥が運んで来たのでしょうか。今年初めて桜の木の下、ナンテンの木に絡んで花を咲かせました。別名ニンドウ(忍冬)




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V8 [その他]

 雨続きで気温も上がらない日が続いていましたが、16日は雨も上がって朝から良いお天気でした。5月に植える夏野菜の畝の準備ができていなかったので、少し湿り気味ではありましたが比較的乾いている畝に石灰を蒔いて耕しました。

 16日は一日お天気良さそうだったので、作業は午後にした方が地面も乾いて良かったのですが、午後は用事があり作業は前倒しとなりました。

 

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 4月16日は山中愼介選手の8度目のタイトルマッチが、大阪府立体育館で催される日でした。前にも言いましたように彼は私の中学の同級生の息子さんなので、普段はボクシングに縁のない身なのですが、今回も去年に引き続き、仲の良い同級生10名ほどで応援に行きました。

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 会場の大阪府立体育館は大相撲3月場所で有名な会場です。27年3月31日までは、愛称BODYMAKERコロシアム」 と呼ばれていたそうですが、契約切れでこの4月1日からは元の名前に戻ったそうです。

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 府立体育館に入るのは初めてのことです。

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 入ってみると、去年の大阪城ホールに比べるとコンパクトで2階席からでもリングがずいぶん近くに見えました。大阪城ホールが16,000人収容、府立体育館は3,000人あまりだそうです。

 タイトルマッチに先立って、この日はもう一つの注目の組み合わせ、辰吉丈一郎の次男、辰吉寿以輝選手のプロビュー戦も組まれていました。

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 白いトランクスが辰吉寿以輝選手。立ち上がりは、さすがに少し硬さが見られましたが・・・

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 右ストレートがヒット。

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 結局、寿以輝選手のノックアウト勝ち、大事なプロ初戦をノックアウト勝ちしてほっとしているように見えます。

 その後も何戦かあって、8時、いよいよ本日のメインイベント、WBC世界バンタム級タイトルマッチ12Round山中愼介対ディエゴ・サンティリャンです。TV放映もあります。

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 対戦相手のディエゴ・サンティリャン選手はアルゼンチン出身で27歳、同級7位で現在23戦無敗、15KOだそうです。「幽霊」と言うあだ名があるらしくて、なんとなく不気味です。

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 赤コーナーからいよいよ山中チャンピオンが登場です。会場一体がものすごい歓声に包まれて、いつも感じることですが挑戦者は完璧なアウェ、気の毒なくらいですが異国ではしかたありませんね。もちろん彼の紹介にも申し訳程度、拍手はありましたが。

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 今回は、NikonV1 2とマウントアダプタに300ミリ望遠を付け満を持してのスタンバイです。

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 立ち上がりは、両者見合いが多く、チャンピオンは少しずつ間合いを詰めて、獲物を狙うように虎視眈々とチャンスをうかがっているように見えます。

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 回が進むにつれ、対戦前の予想に反して、チャンピオンと挑戦者の間にはかなり実力差がある事が分かってきました。試合は、終始チャンピオンがリードしていて挑戦者はチャンピオンの左を恐れているように見えました。

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 ラウンドガールのお嬢さんもバッチリと行きたい所ですが、全体に少しぼやけ気味です。

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 今回の相手には、右のジャブもけっこうヒットしていました。

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 5ラウンドを過ぎると、興味はチャンピオンが何時倒すかだけになりました。私は7回と予想したのですが、やはり7回が始まって間もなく、チャンピオンの左が挑戦者の顔面にヒットして彼は尻餅をつき起き上がれませんでした。

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 勝利の瞬間、皆総立ちになってしまい、落ち着いて写真を撮れませんでした。もっとも私も興奮してましたが。

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 ベルトと愛息、愛娘を抱いて、笑顔のチャンピオン

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 試合が終わると、私たちは試合前の心配はどこへやら、チャンピオンの勝利を口々に喜び合い、彼の父親の心情を思って、我がことのように安堵するのでした。そして、それからは今度は私たちのメインイベント、祝勝会と称して、大阪の夜の街に繰り出したのでした。

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 有名な法善寺横丁でしょうか、奥に夫婦善哉の文字も見えます。この奥に水掛不動があるのでしょうか。

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 くいだおれ太郎、店も人形も中国人の手に落ちたそうですね。

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 道頓堀川です。

 大阪の夜は深く長く続きます。私たち還暦過ぎの老人たちのグループは、都会の夜、消えないネオンサインに刺激を受けながら、負けじとその森の奥深くに分け入ったのでした。

 


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今年の三が日 [その他]

 三が日もとうに過ぎて、もう一月も九日ですが、毎日寒いですね。冬は寒いのが当たり前とは言え堪えます。例年ですとこの時期、毎朝強い霜に悩まされるのですが、今冬は霜が少なくて風が冷たく強い日が多い気がします。

 今年は、元旦と二日連続して積雪に見舞われました。元旦の積雪だけでも15センチ余り、それが二日連続ですから参りました。京都では61年振りだったそうです。

2015-01-03 06.51.28.jpgお陰で家の裏は一時期、ちょっとした雪国状態でした。

 さてさてそんな寒い中、我が田舎の年末年始ドタバタ劇のレポートです。年末に今年役を務めていたお寺の勘定がありました。会計報告はどうということはなかったのですが、新役員を決めなければならず、それまで下工作してあったにも関わらず、土壇場で一悶着。

 一時はどうなることかと思いましたが、なるようになると腹を括って望んでおりました。最終的には無事落ち着くところへ落ち着いて、やれやれでした。

 その翌日、まるでビジネスの世界かと思えるほどのタイミングで、今度は宮守の引き継ぎがありました。十数年に一度、回ってくる宮守当番に今年我が組が当たるのです。

 もっとも引き継ぎと言っても、今まで宮守を務めていた隣の組と一緒に掃除をするだけなのですが、この日から我が組が来年の年末まで一年間、神社で催される様々な儀式の準備手伝いから掃除まであたることになります。

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 暮れの27日、28日に新年を迎える準備をしました。手水舎の水皿、竹を取って来て割って工作です。柄杓は新しく買い揃えます。手ふきの布巾はこの歳厄年の方々が用意されます。

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 門松も見よう見まねでこしらえました。枠に土を入れ、松、竹、梅、紅白の南天や葉ボタン、熊笹など縁起もので飾り付けをします。この門松、せっかくこしらえたのですが残念な運命をたどります。

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 蔵の入り口にもしめ縄が飾られました。このしめ縄、以前は手で編んでいたのですが今回、市販品を買うことになりました。藁の確保、縄を編める人、その機械の調達等困難になってきたからです。

DSC_0737.JPG 裏山で採ってきたウラジロ、少し大き過ぎて目障りですね。

 本殿脇で総代さんが、今年厄年の方々の名簿を張り出しています。米寿、喜寿、還暦、初老、金婚や新婚の祝いで寄進されている方々の名前が並びます。これも以前は筆書きでしたが、今やパソコンの筆文字になっています。

 皆で手分けして一通り飾り付けを終えると今度は別のもう一つの社に移動です。私たちの集落はそれほど大きくもないのに社が三つもあります。成り立ちは詳しくは分からないのですが、そのうちの一つは別の組の方々が宮守をされています。

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 拝殿や社務所がある向こうの社に比べると竹藪と林に囲まれたこちらの社は質素です。しかも周りの環境のせいか、少し作業しただけで芯から冷えるのに驚きました。

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 作業の時間や日取りを決めたり段取りを仕切るのはこの時、組長にあたっている人が行います。実は十数年前の宮守の時は私が組長でした。皆さんが作業しやすいように準備に気を配ったり、様々な意見を調整してまとめるのがけっこ大変で気疲れしました。

 今回も、放っておくと皆さん思い思いのことをやってしまったり、それぞれいろいろな意見が噴出して組長さん、そのたびに右往左往されて、苦労されてましたね。

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 とりあえず、あらかたの準備が整うと後は大晦日です。大晦日は午後から集まって、拝殿に幕を張ったり、テントを立てたり、お供えものを飾ったり、境内や参道を掃除したりします。

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 準備をすっかり終えると、夕方には一旦家に帰り、それぞれ年越しそばを食べたり、紅白歌合戦を見たりしてつかの間の大晦日気分を味わいます。そして夜10時、再び神社に集合です。

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 みんな防寒着を着てモコモコの状態です。これから元旦の朝まで火を焚いて泊まりをするのです。神社が2つあるのでふた手に分かれます。私は大きい方の神社でした。

 予め刻んであったスルメと昆布とお神酒を用意して、参拝者に振る舞います。実際お参りは除夜の鐘が鳴り、年が明けてからですが、今年はどうしたわけか思いの外参拝者が少なかったのです。

 除夜の鐘のあと、ちょっとした波があると後はぱらぱらでした。例年なら区の役員さんや組長さんが揃ってこられるのに、今年は半分程度しか姿がありません。今年の大晦日、そんなに寒かったでしょうか。

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 前回私が組長をしたときは、大勢のお参りがあって驚いたものでした。不信心な私はそれまで年越しの新年に参ったことが無かったのです。三日に新年祭が催され、集落の者はそのときにお参りするのでそれで良いと思っていたのですが、どうも近年は当時の私のような考えの人が増えているようです。

 人影はどんどんまばらになって一時半を過ぎるとぱたりと止んでしまいました。これは例年同じです。それで我々も御神酒をしまって店じまいとしたいところですがそうはいきません。総代さんからは本殿に供えられている御神酒の番をしてもらわなくてはと言われ朝まで夜通しすることになっています。

 前回、私が組長をしていたとき、お参りが無くなったら引き上げたいと言うと、総代さんがお参りの人のために宮守さんにいてもらうのではない。神さんにかがり火を焚いてもらうためにいてもらうのだ説明されました。かがり火と言うにはドラム缶の火でお粗末とは思いましたが、御神酒の番よりは説得力がありました。

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 結局、夜が明けて朝の7時過ぎにやっと解放です。家に帰り、少し仮眠して10時頃、これまた恒例のお寺参り、住職や檀家の人に挨拶して昼に家に帰ると、コタツの上に年賀状が届いていると言った案配です。

 元旦の午後、それまで降っても溶けていた雪が夕方になるとあっという間に積もってしまいました。車も木々も何もかもこんもり丸まってしまう積雪です。積もった雪に定規を指してみたら15センチ以上ありました。

 正月二日は何も予定がない日だったのですが、この積雪で神社の周りが埋まってしまいました。三日には新年祭が執り行われます。お参りいただく方々の足下を確保するため、雪解けをして欲しいと総代さんが言ってこられたので、また皆して出かけました。

 ところが、なんとその日の夜にまた雪が降ってしまい、雪解け前と同じくらい雪が積もってしまいました。溶けずに残ったところは30センチくらいの高さになっていました。

 三日の朝は7時半の集合でしたが、この雪のため7時前に出ていっせいに雪かきです。この日は元々用事が多いので一軒二人の動員がかかっていました。全員で本殿周り、拝殿周り、参道と人の通るところを中心に雪かきです。

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 背景が光って見えるのは朝日が当たっているのだと思います。

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 せっかく作った門松も皆さんにお披露目する間もなく、こんな有様です。しかも今年は故あって明日には片付けられる運命です。

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 9時から拝殿で祈祷が始まります。まずは集落の役員とか組の代表者がお祓いを受けます。この頃になると、白い雪景色に青空が映えて気持ちの良い天気になってきました。

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 続いて今年の厄年の方々がお祓いを受けます。私たちはお供えものを総代さんの指示に従ってあげたり下げたりするお手伝い、ずっと外にいると足のつま先が痛くなってきます。 

 祈祷は一時間ほどで終わり、私たちはお昼前には引き上げることが出来ました。昔はこの後、各組でオコナイという田舎の新年会が開かれたのですが、今は三が日を外し適当な日に外へ出かけるようになりました。

 田舎というと、風景だけを見ているとのんびりして見えますが、とくに催しの多い正月とかお盆は、何かと用事が多いですね。とくに今年のように役が当たっていると正月どころではありません。

 昔は、こういう行事に携わる人たちのほとんどは農業で生計を立てていたので農閑期の冬の作業、しかもすべてが手作りでした。しかし、今は皆さん勤めや商売を持っているので大変だと思います。

 我が集落の社はすべて無人です。お隣の集落、そのお隣の集落も神主さんはおられません。普段は宮守と総代で用を済ませ、祈祷の時だけ神主さんに来ていただいているのです。

 これから田舎も少子高齢化が進んでいきます。お寺にしても宮さんにしても、いつまでこんな風に続けられるのかなぁと思いますね。人数が減っていけば行くほど、残った人の負担は増えていくわけですし・・・

 

(掲載した写真は、NIKON1 V2とスマホ(SONY SO-04E)で撮ったものが混在しています) 


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キーボード [その他]

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 秋らしいお天気の良い日が続いたかと思うと先週に続いて今週も台風の襲来が予報されています。今回の台風も大きいそうです。最近は台風のたびに何処かが浸水している光景が当たり前のように報道されていますが、何事もなく通りすぎていってほしいものです。

 いずれまた、詳しく報告できる事があると思いますが、私事、ちょっとばかり落ち込む事件がありまして、あまりのことに落胆したり、憤ってみたり、はたまた楽観的な希望を持ってみたり、そんな落ち着きのない日々を過ごしておりました。

 そんなある日のこと、無聊を慰めるために、部屋回りを片付けたりパソコンの掃除などしていました。とくにキーボードが汚れていたのが気になりました。

 キーとキーの間のホコリや汚れは取れにくいものです。クリーニングシートを挟みこんで、行ったり来たりを何度か繰り返してやっとなんとか綺麗になりました。

 しかし、その後ブログやメールを書いたりしているとミスタイプがいつも以上に多いのが気になりました。おかしいなと思って、よく見てみたらキーボードのAが打鍵されていなくて、母音の無いアルファベットが頻繁に出てきます。

 タッチタイプの場合、Aは左手の小指で押すので力が入りにくいのですが、それにしてもミスが多すぎます。確かに意識して左手小指に力を込めて押すと入力されるのですがいつもそんなことしていられません。

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 これが私の愛用キーボード、FILCO107J-AJ、二台目です。一台目も同じようにAが打ちにくくなる現象で壊れてしまいました。買って一年も経っていない頃の故障だったので個体差と思うのですが、二台目はもう何年も使っています。それまで不調はなかったので、今回の故障の原因は直前の掃除のせいと思います。掃除のはずが逆にホコリをキーの間に入れてしまったのかもしれません。

 パソコンを使いはじめの頃は何のこだわりもなく付属のキーボードを使っていました。ある時筆記具にこだわるようにキーボードにもこだわってみたくなっていろいろ探しました。いざ探してみるといろいろな種類、メーカーがあるのですが、田舎の量販店ではありきたりなメーカーの同じようなキーボードばかりです。

 大阪に出る用事があって、ついでに日本橋の電気街に寄ってみました。さすがにいろいろなメーカーのキーボドが並んでいてしかも試打できるようになっでいました。片っ端から打ちまくって、気に入ったのがFILCOのメカニカルキーボードでした。

 メカニカル式キーボード、打鍵するとカチカチと音がします。クリック感がはっきりしていて非常に気持ち良いのです。カチカチ音も静かな事務所などでは顰蹙ものですが、自室で自分だけで使う分には誰にも迷惑をかけません。

 これを使うと普通のキーボードは(メンブレン式)打鍵感がふにゃふにゃして物足りなく思えるようなります。音は圧倒的にメンブレン式のほうが静かなんですが。

 キーボードには他にパンダグラフ式というのもあって、こちらはノートパソコンによく使われています。キーストロークが浅く、打鍵するとパシャパシャと軽い音がします。

 メカニカルキーボードはタイプライターのように打ったらカチャカチャと音がするので、いかにもキーを打って文章を紡いでいる気がして気持ち良いのです。その辺のところがキーボードにこだわる人に人気があるのだと思います。

 ただ歳のせいか最近、その重い打鍵感が煩わしく思えたり、以前は音楽のように快適に聞こえたカチャカチャ音がうるさく感じられるようになっていたのです。そんな私の気持ちを察するようにキーボードは壊れたのでしょうか。


  • 東プレ REALFORCE 108UBK /静電容量無接点/変荷重/108キー/USB SJ08B0

    東プレ REALFORCE 108UBK /静電容量無接点/変荷重/108キー/USB SJ08B0

    • 出版社/メーカー: 東プレ
    • メディア: Personal Computers
  •  静かで軽いキーボードというと、東プレREALFORCEが有名です。以前から気にはなっているのですが一台、1万円代半ばから2万円以上もするのでずっと躊躇しています。プロ用として銀行などで広く使われているそうです。

 REALFORCEをAmazonでポチっとしようかと思いながら、壊れたFILCOのキーボードの代わりに、押し入れから取り出してきたのがCOMPAQのキーボードです。FILCOを使う前、気に入って使ってました。

 今は違いますが昔、COMPAQのキーボードが評判だったことがあるそうです。なんでもNMB(ミネベア)と言うメーカーの人気キーボードと同じもので、COMPAQがOEM供給先だったそうです。

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 このCOMPAQキーボードはずいぶん昔に◯◯◯・オフで300円で買ったものです。評判のキーボードとわずかに型番が違うのですが、型番からしてNMB製に間違いはありません。

 ジャンク品の山の中から探しだした時は、煙草のヤニで黄色く変色していました。それを洗剤で洗い落としました。ボディからカバーが少し浮いていて、打鍵するとそのたびに振動音がしました。分解して隙間に緩衝材を詰め込んでカバーをきっちりはめたらビビリ音ピタリと止みました。

 このキーボードはメカニカルではなくメンブレン式ですが、パソコンに付属している同型のものに比べてボディがずしりと重いです。そのせいか打鍵感がしっかりしていてふにゃふにゃ感がありません。もちろん音は静かです。またメカニカルほどキーストロークが深くないので、指をキーボードの上ですべらせることができます。

 いつか評判の東プレREALFORCEが欲しいとは思っていますが、使ってみたらCOMPAQのキーボード、今のところ不満はありません。お金も無いことですし、とりあえず壊れるまではこれで行こうかなと思っています。300円で買ってきて蘇らせた愛着もありますので。

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手塚治虫展 [その他]

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 空を見るともう秋ですね。今年の夏は、いつもの粘り強い残暑もなくて腰砕けのまま終わってしまいました。そして、気が付いたらもう9月も半ばです。今月初めての更新になります。


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 子どもたちの夏休みに合わせるように、「手塚治虫展」が7月12日から8月31日まで、滋賀県立近代美術館で開かれていました。開催を知ったのは7月でしたから、まだまだと思っているうち、いつの間にか残す期間が一週間を割ってしまって、夏休みの宿題を片付ける子供のように慌てて行ってきました。

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 県立近代美術館に行くのはすごく久しぶりです。美術館は文化ゾーンと言われる静かな森の中にあり、近くには県立高校や県立図書館、県立医大などがあります。館内に入るとアトムが角々で道案内してくれました。

 手塚治虫といえば、私の世代はやはり「鉄腕アトム」でしょうか。昭和20年代から40年代にかけて「少年」と言う漫画月刊誌に連載されていました。

 昭和2.30年代、「少年」は当時数種類あった月刊漫画誌の中で、一番人気があったかもしれません。「少年」を手にして、私が一番最初に見たのは「月光仮面」だったと思います。それから「赤胴鈴之助」「鉄人28号」「矢車剣之介」など人気漫画が目白押しの雑誌でした。私の中でアトムは4.5番目の順位だったような気がします。

 因みにその頃私の愛読誌は「少年画報」でした。読みたい漫画の数では圧倒的に「少年」だったのですが、私はただ「まぼろし探偵」のためだけにこの雑誌を買ってもらってました。もちろん2誌も買ってもらえないので、「少年」を持っている子と見せ合いっこしてました。 

 脱線してしまいましたが脱線ついでに、古い話をもう一つ。テレビで最初に「鉄腕アトム」を見たのは、アニメではなく実写版「鉄腕アトム」でした。家庭にテレビがようやく入りだした昭和30年代頃のことです。外で遊んでいても、「鉄腕アトム」が始まる頃になると飛んで帰ってテレビの前に鎮座したものです。

 それから数年後、1963(昭和38)年に国産初の30分テレビアニメとして「鉄腕アトム」がテレビ放映されました。展覧会の中でもオープニングテーマがエンドレスで流されていて、懐かしかったですね。

 今、小中学校の運動会の季節ですが、私達が中学生の頃、「鉄腕アトム」のテーマ曲がマーチに編曲されて運動会で演奏されていたのを思い出します。 

 ついついアトムの話に力が入ってしまいましたが手塚作品には他にも名作が目白押しです。テレビアニメはテレビオリジナルの「ワンダースリー」、1965(昭和40)年、国産初の30分カラーテレビアニメ「ジャングル大帝」が印象的です。

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 さらに、「悟空の大冒険」「リボンの騎士」「どろろ」と続きますが、この辺になると1960年代も後半、私はすでに高校生になっていたせいか、記憶がやや曖昧です。アニメを見ていても「巨人の星」などスポ根ものを見ていた気がします。

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 1969年、大人向けのアニメ映画として制作された「千夜一夜物語」は、見ていないのですが、高校の体育祭の立て看板にこの絵を描いていたクラスがあって記憶しています。おませというか、背伸びしたかったのでしょうね。

 手塚治虫の漫画作品はその後、子供向けのSFや冒険ものから、哲学的なものへと傾斜して行ったように思います。「ブッダ」「海のトリトン」「アドルフに告ぐ」「火の鳥」「ブラック・ジャック」そして性を扱った「ふしぎなメルモ」は異色です。

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 私は漫画好きだったので手塚作品、主だったものはだいたい読んでいると思うのですが、なにせ多作な作家、全ては読みきれていません。70年代は、音楽や映画と同様、漫画の世界も百花繚乱、充実した時期でした。その中で、手塚作品は深い迷路にハマり込んでいるような印象を受けた記憶があります。

 手塚治虫はあの冒険SF漫画「鉄腕アトム」でさえ、アトムが学校に通うようになって、計算能力も運動能力も飛び抜けているためにかえって孤独感を味わうシーンよりも、世間はアトムの超能力ばかりをもてはやしていると落胆していたそうです。

 その他、「火の鳥」や「アドルフに告ぐ」などだけではなく、アニメ化されたために娯楽作品に思える「ジャングル大帝」や「ブラックジャック」にしても、彼自身はその中に人生の意味を込めています。

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 手塚治虫は1928生まれ。私の両親とほぼ同世代です。当然、戦争をくぐり抜けた世代です。そして当たり前のことですが、彼の作品には戦争が色濃く反映しているように思えます。

 彼は医学博士の資格を持ちながら、不安定な漫画の世界に飛び込んで行きます。その頃漫画といえば、まだ四コマ漫画とか貸本の漫画しかなかった時代です。

 「赤本」と言う世界で、彼は次々とストーリー漫画を発表して頭角を表していきました。17歳ですでにヒット作を連発していたそうです。彼は漫画の世界の開拓者、先駆者でした。

 そしてアトムやジャングル大帝など上質な漫画作品を書き続けるとともに、次はアニメの世界を切り開いていきます。不可能と言われたテレビアニメ番組を独特の工夫で実現にこぎつけます。

 一つの同じ背景に手前の人物だけを動かして動きを表現したり、主人公たちの動作のセルを残しておいて使いまわしたりしてエネルギーと経費の節約に努め、国産初の30分テレビアニメ放映にこぎつけました。お陰で1960年代後半から70年代、午後6時、7時のテレビ番組、どのチャンネルを回してもアニメばかりだった気がします。

 一つの分野がある一人の巨人、天才の出現によって、大きく発展することがあります。漫画、アニメ界において、手塚治虫はまさしくそういう存在だったのではないかと思います。

 手塚治虫は1989年2月、胃がんのため60歳という若さで他界しました。この展覧会では彼の生涯に描かれた15万枚のマンガ原稿とアニメーション70点の中から170点の原画、資料、映像を厳選して展示されていました。

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 会場の最後で写真を撮ることが許されたブース

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 彼の創作の秘密が覗けるのではないかと、思わず机上に寄ってしまいました。

 夏休みも最後、展覧会場はさぞ子どもたちでいっぱいと思っていたら、平日のせいか会場は思いの外静かで子供の姿はほとんどありません。途切れない程度の客の流れ、そのほとんどは私と同じか少し若いくらいの同世代でした。

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暑中お見舞い [その他]

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 暑中お見舞い申し上げます

 梅雨が明けてしばらく、雨は降りませんがまだどこか梅雨を引きずっているような曇り空と湿気の多い日が続いていました。今日になって朝から強烈な日差し、空もようやく夏らしい青空と白い雲が広がりました。

 同時に気温も急上昇、今日は36度、37度はざら、岐阜県多治見市では39度を超えたそうです。

 屋外では畑や休耕地の草刈り、庭木などの刈り込み、家の中でもいくつかしたいことが溜まっているのですが、こう暑いと何もする気になりませんね。

 せいぜい熱中症にならないように、日中の作業などは控えて、ひたすら体力温存に務めることくらいしかできません。

 ブログの更新も最近サボリがちです。まだ幾つか書きたいことはあるのですが、なかなかまとめきれません。しばらくのご猶予をお願いします。

 まだまだ暑さが続きますが、みなさまもどうかお体気をつけて乗り切ってください。

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ソフトボール大会 [その他]

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 梅雨とは思えないよく晴れた暑い日曜日、市のソフトボール大会が催されました。ソフトボールにかぎらず、市の行事など普段あまり縁がないのですが、今年は息子がスポーツ委員にあたっていてこの日はその代理出席でした。

 代理と言ってももちろん試合に出場するわけではありません。地域を代表して出場してくれる選手たちのサポート役、つまり荷物運び等雑用係です。

 朝、7時半に集合でした。軽トラにテントやシート、椅子などを積み込み、車で10分ほど離れた会場まで運び込んで設営です。8時過ぎには準備を終え8時半に開会式、そして市長の始球式のあと、やっと試合開始です。

 もっとも我がチームの試合はクジの関係で一回戦は不戦勝、11時半まで試合がありません。 しばらくテントの中で待機です。この日はちょうどワールドカップの日本戦がありました。選手や他のスポーツ委員の人たちは、携帯やスマホのワンセグでサッカー観戦、ソフトボール観戦より盛り上がってました。

 私は一回戦のボール拾いに出ました。さすがにこの歳になるとソフトボールを見ても血沸き肉踊るということはありませんが、もともと野球小僧、嫌いじゃないんです。少しでもボールに触れる可能性のある三塁側に陣取りました。

 しかし、実際に飛んでくると久しぶりなので怖いですね。スピードの感覚がなくて、両手でキャッチしたつもりが胸に当ててしまったりしました。危険なので足で止めたり、とっさに帽子を脱いで帽子で受けたりしてました。

 第一試合はなかなか好ゲームでした。聞くところによるとAゾーンの一回戦の組み合わせは、去年の決勝戦の組み合わせと同じだったらしいです。最終回、去年の優勝チームが逆転満塁さよならホームランで対戦相手を返り討ちにしたのでした。

 続いて行われた試合は、一方は若くて体格の良い人たち、ユニホームも揃った強そうなチームです。対戦チームはまちまちのジャージー姿、その上よく見ると帽子の下から白髪がのぞいている人が何人かいます。平均年齢明らかに高そうです。

 ところが試合が始まってみるとはじめの予想に反して年配者チームのほうが有利に展開しました。確かに年配者チームはパワーもスピードもありませんが、コツコツ当てて内野の後ろにボールを落とします。ムリをせずによく選球しますからフォアボールで塁を稼ぎます。

 その上、この年配チームのピッチャーが素晴らしいのです。ソフトボールはご存知の通り、アンダースローで投げないといけません。どこのチームのピッチャーもこのアンダースローが難しくてフォアボールを連発していましたが、このピッチャーだけがウインドミル投法から素晴らしい速球を繰り出していました。スピード、コントロールともこの日一番でしたね。

 試合は、前半年配者チームがリードして一時はコールドゲームに成るのではと思えるほど点数が開きました。さすがにユニホームチームが追い上げてなんとかコールドの屈辱は免れましたが惨敗でした。

 2つの試合が終わった頃、ワールドカップで日本チームの敗戦が決まっていました。これで選手もスポーツ委員の人たちも、ワールドカップの結果を気にすること無く、心置きなく試合に集中できます。我がチーム、初戦の対戦相手は一回戦で逆転さよなら勝ちをした前年度優勝チームです。

 普通ならとても勝ち目がないと思うところですが、我がチームも20代前半の高校野球経験者を集めています。試合は両チーム2.3本のホームランが飛び出して、リードしたりされたりのシーソーゲームです。全体にエラーも無くて引き締まったいい試合でした。

 最終回、リードされていた我チームは追いつきましたがあと一歩、勝ち越せません。7回を終わって同点、延長はなく、ジャンケンで勝敗を決めるというのがこのソフトボール大会のルールだそうです。実はこの対戦、去年もジャンケンで勝負が決まったのだそうです。去年ジャンケンに負けた我チーム、今年は同じジャンケンで雪辱しました。

 3回戦の相手は、先ほどの高齢者がいるチームでした。普段クラブチームで活躍されている方たちだそうで、守備もそつがありません。4.50代に見えるショートはかなりうまかったですね。

 白髪の背の高い一塁手は明らかに私より歳上に見えました。さすがに体の動きが硬そうですがキャッチングのミスはありません。あとで聞いた話では、ピッチャーは65歳だそうです。私より上ですがなんと連投でした。

 ただ、速いと言っても他の素人アンダースローより速いだけで、野球経験者にはちょうど打ちごろだったのかもしれません。コントロールの良さも打力のある打者には仇になったかもしれません。試合は、若さのパワーとスピードに勝る我がチームの勝ちになりました。

 同世代の私としては、年配者チームにも応援したい気持ちでした。私も機会があったら野球やソフトボールをしたいと思いながら、職場で時々早朝野球、年一回の地域のソフトボール大会に参加していたくらい、それも40代の頃までで、いつの間にかすっかり遠のいてしまいました。

 60歳を過ぎても尚、ソフトボールに熱中、しかも若い人たちに伍してプレーが出来るなんて羨ましいですね。私は拾ったボールを投げ返すのに、自信が無くて下から転がして返球してました。

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タイトルマッチ観戦 [その他]

 桜も終わって緑の若葉が目に鮮やかな季節になってきました。昼間の暑さに比べ朝晩が少し肌寒く感じられるこの頃ですが、なんと明日からはゴールデンウィークの始まりです。

 いつもなら、この時期夏野菜の植え付け準備日、畝作りに忙しい頃なのですが、今年は珍しく出かける用事が重なってバタバタしています。

 そのせいで皆さんのブログ訪問も滞りがちになっておりますが、また時間が取れたらゆっくり訪問させていただきますのでよろしくお願いします。

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 そのおでかけの第一弾、今週の水曜日、大阪城ホールへ山中慎介選手のタイトルマッチ、6度目の防衛戦を観戦に行ってきました。普段はジャズとオーディオ、野草や鳥の写真などを主にしている私のブログのなかで、ボクシングの話題は異質に思えるかもしれませんね。そのへんの理由はこちらです。

 今まで山中選手の試合は東京、または関東地方が中心だったのですが、今回初めて彼の地元、関西で催されることになりました。しかも長谷川穂積選手とのダブルタイトルマッチです。

 地元では早くから盛り上がっていて、私達にもチケットの販売の要請があったのですが、これと言った活動をする間もなくチケットが完売するという過熱ぶりでした。

 その結果、地元や各方面からの応援ツアーのバスが20数台、応援団の数は後援会の発表によると3500人という盛況でした。

 私は同級生と一緒にバスで行きました。バスの中はさながら同窓会の趣を呈していましたね。バスは4時過ぎに会場の大阪城ホールに着いたのですが、我が同級生たちはその前に腹ごしらえと称して近くのお店で勝利の前の祝杯を上げたのでした。

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 城ホールの中に入ると粟生隆寛選手の試合が終わったところでした。館内は思ったより広く明るいので驚きました。40年ほど前、東京は後楽園ホールで初めてボクシングを見た時は、もっと狭く暗い印象でした。大阪城ホールは見事にショウアップされていました。

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 右下の照明、いや明るい頭の人は同級生のYくんです。

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 会場のあまりの華やかさに必要性がないとわかったのか、彼は持ってきたハンチングを深くかぶりなおしました。

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 私の席は、二階の前の方でした。思っていた以上にリングが見やすかったので、これなら望遠レンズと一眼を持ってくればよかったと思いましたが、あとのまつりです。スマホで撮った写真では苦しいのですが、雰囲気だけでも伝わればと思います。

 最初に長谷川穂積選手の三階級制覇がかかったタイトルマッチです。青コーナーの選手が登場するとき、場内は青色のイルミネーションに包まれます。詳しいルールは知らないのですが、どうも挑戦者は青コーナーと決められているようです。

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 チャンピオン、キコ・マルチネス選手の登場は赤です。

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 会場はおおいに盛り上がります。当然ですがほとんど長谷川選手の応援です。もちろん、スポーツのこと、マルチネス選手にも拍手はありますが、あくまで儀礼的なものです。マルチネス選手にとっては完全なアウェイでの試合でしたが、果敢に攻めていってタイトルを防衛しました。長谷川選手にとっては残念な結果に終わってしまいました。

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 タイトルマッチとタイトルマッチの間に時間があったので、別の試合がありました。その間に用を足しておこうと一階へ降りたのですが、トイレは長蛇の列、諦めて一階のフロアに出てみました。後ろから見るとこんな感じでここならスマホカメラでも何とかリングの選手が分かります。

 さて、8時前になっていよいよ本日のメーンエベント、山中慎介選手の6度目の防衛戦が始まります。まずは青コーナー、シュテファーヌ・ジャモエ選手の登場です。

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 続いて、赤コーナー、WBC世界バンタム級チャンピオン、山中慎介選手の登場です。盛り上がりは最高潮です。

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 ゲートの上からスマホで待ち構えて撮ったのが下の写真です。

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 真ん中のまぶしいライトはテレビカメラ用の照明です。その光に向かって両手を上げているのが山中選手です。その後ろ、高く持ち上げられているのはWBCバンタム級のチャンピオンベルトです。

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 山中選手の姿は、たくさんののぼり旗に囲まれて見えなくなります。

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 生で見る試合はテレビとはまた違った迫力と臨場感がありますね。まず、周りの人たちも言ってましたがテレビて見ているより3分が長く感じられました。

 マイクが用意されているのか、ヒットした時のグローブの音やセコンドの声がけっこう聞こえてきます。それと遠いにもかかわらずパンチが実際にあたっているか空振りか、よくわかる気がしました。

 試合後山中選手は第1ラウンドで実力差がわかったと言っていましたが、私達素人にはわかるよしもありません。多分勝ってくれるとは思っていましたが、一発勝負、何があるかわからないのでハラハラドキドキしながら見ていました。

  3ラウンドだったか4ラウンドだったか山中選手の左がヒットして挑戦者がロープまで吹っ飛んだ時、会場は大きくどよめき、やがて勝利を確信する喜びの歓声に変わりました。

 しかし、挑戦者は意外にしぶとくて何度倒れても立ち上がってきます。周りの応援席から、早く倒せという声が飛びます。いくら実力差があると言っても不用意に飛び込んでいってカウンターを食らってはたまりません。 

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 9回、やはり山中選手の左が炸裂して4度目のダウンを奪い勝利が決まった瞬間です。観客のほとんどが立ち上がり手を突き上げてます。拍手が沸き起こり、あちこちでハイタッチしたり握手をする姿がありました。

 試合が終わったのは8時半過ぎだったでしょうか。それから40分ぐらいでバスに乗らないといけないのですが、私と同級生数名はバスには乗らず大阪に泊まることにしていました。

 総勢8名は祝勝会と称してミナミへ繰り出しました。メンバーの知り合いのお店があるというのでそこへ行くことになったのですがなかなか見つかず夜の街をしばらく徘徊しました。

 都会の夜、しかも飲み屋街を歩くのは久しぶりのことです。深夜になっても人通りは途切れず、ほうぼうのお店の前では若い女性が客を引いています。狭い通りを車や自転車がひっきりなしに通ります。

 ようやく見つかった知り合いのお店を二軒はしごして、ホテルに戻ったのは1時頃だったでしょうか。それから一つの部屋に集まって、また酒とおしゃべりです。本当に皆、よく飲んで食べます。試合を見ていたより飲み、食い、喋っていた時間のほうが圧倒的に長かったことは間違いありません。

 2時、ようやく解散になり自分の部屋に戻りました。ビジネスホテルでの泊まりは久しぶりのことでしたが、テレビやネットを楽しむまもなく、ベッドへ倒れこみました。

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 翌日、せっかく来たから大阪城を見ていこうということになりました。晴れて良いお天気でしたが4月にしては日差しの強い日でした。大阪城の周りは公園のようになっていて、散歩する人があったりランニングする人があったり、大阪では珍しく緑の多いところです。

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 大阪城は子供の頃、学校の行事で来ていると思うのですが記憶がありません。メンバーの中でも覚えているものと覚えていないものがありました。小学生や中学生の見学旅行がたくさんいました。それからここでも外国人旅行者の多さに驚きました。

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 真ん中奥、一番高く霞んでいるのが最近オープンしたあべのハルカスだそうです。そこよりずっと右手、大きなビルの左に細くかすかに一本立っているのが通天閣だそうです。

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 慎介選手、次は念願のラスベガスでしょうか、それとも亀田選手との統一戦?

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 おみやげは慎介選手のスポーツタオルでした。


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草引きの合間に [その他]

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 遅れていた我が家の畑、2月の末にイチゴに追肥をしてマルチをかけました。その後、今年はちっとも葉が大きくならないので心配していましたが、このところの急な暖かさ、今日見てみたら葉は成長し花さえ咲いている苗がありました。

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 エンドウは3月半ばにようやく支柱をして追肥を施したばかりなのですが、もう花が開きました。

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 隣県の京都や奈良ではもう開花宣言があったようですが、滋賀ではまだ聞きません。我が家の桜の蕾、こんな感じです。ここ数日の暖かさで急に丸くなり膨らんで来ました。開花ももう間近でしょう。

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_DSC0042.JPG ナズナ

 エンドウ豆の支柱と追肥を終えてほっと見回してみると、畑のあちらこちらにオオイヌノフグリやホトケノザなどに混じって雑草が青々とはびこり始めていました。

 冬の間、褐色一面だった畑の周りの休耕地もいつの間にか緑が浸食し、春の使者としていつも楽しみにしているオオイヌノフグリやハコベ、スズナ、ホトケノザなど小さく地味な花でいっぱいになっています。 

 休耕地はともかく、畑の中はそのまま放置しておくわけにもいきません。春の使者たちもここではたんに厄介者、容赦無く引き抜きます。

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 草引きをしている畑の奥は雑木林です。鳥たちの声がしきりとしています。雑木林は鳥たちのねぐらになっているらしく、カラスやハト、スズメ、ヒヨドリなどが出入りする姿をよく見かけます。

 時々季節の野鳥、ツグミやモズなども、私のカメラから逃れてこの雑木林の暗がりの中に姿を隠します。その雑木林から今日は雛でも孵ったのでしょうか、ピヨピヨと高く賑やかな声がひっきりなしに続いています。

 草引きや畑作業の時は、ポケットにスマホを入れて畑に出ます。気分によってネットラジオを聞いたり、アプリで音楽を聞いたりします。今日はお喋りがうるさく感じられたので、itunesに保存してあるお気に入りの音楽を聞くことにしました。

 パソコンのitunesフォルダから専用ソフトでスマートフォンにコピー、SDカードに保存して、あとはウオークマンアプリで再生します。ほとんどが5.60年代のジャズです。

 退屈な草引きも好きな音楽を聞きながらだと気が紛れます。ランダム再生にしているのでアニタ・オディやエラ・フィッジェラルドのボーカルからビバップやハードバップの演奏が無秩序に次から次へと流れます。

 ある時、何の曲だったか、ふと何とも言えない懐かしい空気に包まれました。東京のジャズ喫茶で聞いていた匂い、雰囲気が突然蘇って私を包み込んだのです。時間もシチュエーションも違う中で音楽が介在するこの幸福な瞬間に私はひととき浸ります。

 草を引くとき、堅い根に阻まれて草が途中でちぎれてしまいます。ちぎれた草が淡くむせかえる匂いを放ちます。それはまたいつのことか、もっと幼い頃、子供の頃にかいだ匂いを思い起こさせます。

 草引きのような単純労働をしながら、一刻一刻いろいろな事を感じたり思い出したりする瞬間が私は好きです。いえ決して草引き作業が好きなのではありません。無心に何かしているとき、私の心を過ぎるいろいろな思い・・・それらの思い、感情、感覚はまさしく私が今生きている証のように思えるのです。

 もちろん、いつもそんなことを思って草引きや他の作業をしているわけではありませんし、いつも過去の甘味な思い出に浸っているわけではありません。また思い出が常に甘いものばかりでもありません。

 普段、私は欲しいものの多さの割にお金の少なさを嘆いたり、人や物の間をぶつぶつと愚痴などをこぼしながらあたふた生きているのが常なのです。だからよけい、そう言う瞬間が大事に思われるのかも知れません。

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 himanaoyajiさんのところでこちらは土筆はまだとコメントしたのですが、よく見てみたらしっかり生えていました。

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 どなたのブログだったか、苔に落ちた椿の花の写真が印象的でした。我が家には苔むした庭はありません。何の変哲もない地面に一輪、落ちていたのを珍しくマニュアルで撮ってみました。

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 白ばかりだった我が家のスイセン、妻が植えたらしい黄色のスイセンが咲き始めました。

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