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「朝霧」の思い出 [昔々のこと]

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 長くい夏でした。終わりがあるのだろうかと思えるほど強烈でしたが、この間からの雨を境に案外あっさりと引っ込んでくれました。天気予報ももう猛暑はないだろうと言ってます。

 もっともまだ九月の初め、センチメンタルになったり物思いにふけるほどには秋めいていないのですが、久しぶりに古いお店の話でもしてみようかと思います。

 今回は恒例のマッチがありません。頻繁に出入りさせてもらっていたのにマッチ一つないのは、親しすぎたからか、元々マッチを取り扱っていなかったのかはっきりしません。

 舞台はやはり東京です。ジャズ喫茶に限らず私の話に出てくるお店は30年以上も昔のことなので今は現存しないお店がほとんどなのですが、これからお話しするお店は代替わりし、名前を変え業態を変えながらも今も続いています。

 

  お店の場所はこの地図のあたり、新宿駅東口、人で賑わう新宿通りを伊勢丹のほうに向かい、伊勢丹一つ手前の路地を左に入った一角、人がやっとすれ違えるような狭い階段を上がった二階にあります。

 この辺りは紀伊国屋書店本店もありますし、その裏手にはアドホック、またかつてはジャズライブで有名なPIT INジャズ喫茶「サムライ」などがあって、当時よく歩き回ったところです。    

 その店は「朝霧」と言いました。昼は喫茶店、夜はバーと二つの顔を持つ店でした。経営者は元女優で喜劇役者シミキンこと清水金一の奥さんだった朝霧鏡子さんでした。

 朝霧鏡子さんは、みんなからママと呼ばれて親しまれていましたが、その呼び名にはお店のオーナーの通称以上の意味が込められていたように思います。大変面倒見の良い方でした。

 ママは当時50代だった思います。小柄ながらも年齢を感じさせないファッションで街を闊歩する姿は、さすが元女優と思わせるものでした。

 私はママを知る以前に、ママの甥で「朝霧」の昼の部、喫茶店を切り盛りされていたkazuoさんと親しくさせてもらっていました。彼は、私より1.2歳上だったと思います。笑うと目尻にやさしい皺が寄りました。癖のない整った顔に丸いメガネをはめ、若白髪の混じった縮れ髪を伸ばして後ろで束ねていました。

 kazuoさんはすでに一男一女のお父さんでした。華奢な身体にいつもベストを羽織っておしゃれな人でした。住むところも福生の米軍ハウス、当時文化的な人たちが好んで住んでいた所ではなかったでしょうか。

 一度おじゃましたことがあります。入り口の扉からして網戸と二重になっていて、どの扉も日本のものより大きかったのが印象的でした。室内は開放的でアメリカの映画に出てくる家のようにシンプルでエキゾチックでした。

 私は昼の「朝霧」に、ほとんどお金にならない客としてよく出入りさせてもらっていました。新宿へ出るとつい立ち寄りたくなるのでした。入り口のガラス扉から中を覗いて、kazuoさんが一人で暇そうにしているのを確認すると扉を押して中に入るのです。

 お店の広さは、10坪ほどだったでしょうか。全体に薄暗く路地に面した方に窓、入り口の正面に狭い厨房とカウンター、フロアにはテーブルが4つほどあったでしょうか。入り口の脇の壁面にソファがしつらえていました。

 kazuoさんは狭い厨房で、私はその前のカウンター席に腰掛けて、ただのコーヒーを何杯もいただきながら、取り留めもなく映画や音楽や、芝居、文学、家族や人生の話などをよくしました。

 何度か出入りしているうち、昼間新宿に用があったついでに店に立ち寄られたママとお会いすることがありました。また私達が遅くまで喋っていて、夕方出勤して来られたママとお会いすることもありました。私はややもすると半日以上をそこで過ごし、帰る方面が一緒だったのでkazuoさんと一緒に店を出ることもあるほどでした。

 そんなふうに「朝霧」との客とも友人とも定まらない関係が変化しだしたのは、私が失職してなかなか次の仕事が見つからず困っていた時でした。kazuoさんの計らいとママさんの好意でお店を手伝わせてもらえる事になったのです。

 私は、kazuoさんについて何日か見習いました。kazuoさんは簡単と言いますが、私にはカウンターの中のことも接客も経験がありません。まだまだと思っていたある日、普段の優しさからは想像も出来ないそっけなさで突然独り立ちさせられました。

 週の何日か、午後にkazuoさんが出てくるまでの間、店を任されました。繁華街新宿の雑踏にある薄暗い店内で一人、客を待つのは不安でした。はじめのうちは入り口のガラス扉が鈴の音とともに開くたびにビクビクしていました。

 メニューといっても、コーヒーをはじめとした簡単な飲み物と、kazuoさんが仕込んでくれていたカレーを温めて出すだけだったのですが、それでも昼時になるとあたふたして冷や汗ともつかぬ汗をかいたものです。

 その頃、お客さんでよく来てくれていたのが新宿通りに面したアメリカ屋靴店の店員さんたちでした。彼らは見習いの私にも気軽に声をかけてくれ、遅くて拙い応対にも暖かく見守ってくれました。

 時々は郷土の話や仕事の話などをしながら、彼らは短い休憩時間を思い思いの格好で過ごしていました。ちょうどインベーダーゲームの流行っていた頃のことです。

 今地図で見ると新宿通りにはもうアメリカ屋靴店もワシントン靴店も無いようですね。代わりに最近どこでも見かけるABCマートの名前があります。

 私は「朝霧」では昼専門のアルバイトだったのですが、ある時ママの旦那さんだった清水金一さんの法事とその頃清水金一さんをモデルにした小説が出たということで、その記念にお店に客を呼ぶことになり私も夜の「朝霧」を手伝うことになりました。

 その時の客に、小説の著者である色川武大さんが招かれていました。他にも有名な方がおられたようですが、私が知っていたのは浅草芸人仲間の逗子とんぼさんだけ、関敬六さんは遅れてきたのだったか、とうとう来なかったのか忘れてしまいました。

 色川さんは大きな身体を縮めて盛んに汗を拭きながら、部屋の隅っこにかしこまっておられました。なんでもその小説の中には、ママには気に入らないことが書かれていたようで、そのことをママが暗に皮肉ったりしていたようです。

 小説のタイトルは「浅草葬送譜」です。短篇集「あちゃらかばいッ」に収録されています。短編集のほかのタイトルにはママさんの気に入らないことが書かれているように思いましたが、「浅草葬送譜」は著者の清水金一へのオマージュのように思えます。

あちゃらかぱいッ (河出文庫)

あちゃらかぱいッ (河出文庫)

  • 作者: 色川 武大
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2006/02/04
  • メディア: 文庫


 昼専だった私ですが、その時をきっかけに夜のお店も時々手伝うようになりました。良い悪い好き嫌いにかかわらず、そうしないと生活費にならなかったのです。

 夜のお店に出るといっても私は何もできませんでしたから、おしぼりや氷の準備、簡単なアテの準備などをするだけで、ほとんどはママの好意だったのだと思います。

 店にはママと、ベテランのTさんというバーテンダー、それにホステスというのでしょうかA子さんがいました。夜のお店というと、とかく特殊な人が働いていそうに思えますが、どこにでもいるごくありふれた人たちでした。

 ところがある日のことです。バーテンダーのTさんが突然失踪してしまいました。そのせいで私とkazuoさんが昼と夜交互にお店に入ることになりました。

 kazuoさんの話によると、TさんとA子さんはいい仲だったのだそうです。ところがTさんが突然別の女と雲隠れしてしまったので、A子さんは相当ショックを受けているという話でした。

 A子さんは30歳くらいでしたでしょうか。あるいはもう少し上だったのかもしれないのですが、薄暗い室内での厚化粧、はっきりした年齢はわかりませんでした。彼女は夜の女性としては親しみやすい感じの女性だったと思います。

 化粧に覆われた顔は表面ツルッとしていてそこに細い目鼻だちがありました。美人ではないけれど、かと言って醜い顔とも言えないあっさりした顔立ちでした。どことなく郷里の叔母、母の妹に似ているように思えました。

 夜も手伝うようになった私はこのA子さんとどうしても一緒にいることが多くなりました。彼女は振られた女の哀愁を忍ばせると言うより、時折急にいなくなったTさんのことを罵ったり、自分の身の上を愚痴ったりしていました。

 私は何も知らないふうに装っていたのですが、いつも一緒にいると嫌でも距離感が縮まります。狭いカウンターで行き来していると頻繁に体が触れ合います。その触れ合い方がちょっと過剰じゃないかと思えたり、店が開けたあととか、店が始まる前とかにどこそこで食事しない、などと誘われたりするようになって来ると普通ではありません。

 叔母に似ていると思っていたくらいですから、私はA子さんに悪い感情を持っていたわけではありませんが、どうも私を誘っているのは、私が気に入っているというより男に振られた腹いせ、鬱憤晴らしのようにも思えます。それになんとない怖さも手伝って、私は無視したり知らんふりを決め込んでいました。

 そんなある日のこと、今度はそのA子さんまでもが失踪してしまいました。kazuoさんの話では、別の男と逃げたとも、バーテンダーのTが戻ってきてよりを戻したのだとも、いろいろ噂が乱れ飛んでいるのだそうです。

 いずれにしてもママは長い間面倒を見てきた二人に続け様に裏切られて、相当怒っていました。私はと言えば、普段そういう出来事とは遠い世界にいたので、夜の世界の深淵を思いがけず覗いたような気がしました。A子さんの失踪相手が私であったかもしれないと思うと複雑でした。

 そんなことがあったあと、kazuoさんによればTさんの後釜に私をという話もあったそうですが、もともと短期間の約束、私は逆にそろそろ引け時だと思いました。

 夜の仕事は時給が良かったのですが、こんな楽な仕事でお金を稼ぐことを覚えてしまったら、昼間汗水流して働いて得る安月給が馬鹿らしく思えてくるようになるだろうと思いました。まだ若くて自分に希望を抱いていた私は、別の仕事を見つけました。

 ほんの短い間でしたが世の中の、私が知らない世界の奥底の一部を垣間見た思いがしました。後から思うと、そういう世界にどっぷり浸かってみるのもまた悪くなかったかとも思うのですが、多分、小心者の私には耐えられなかったろうと思います。

 その後、私は元のお客とも友達とも分からない間柄に戻って、また「朝霧」に通うようになりました。新宿へ出ると路地の奥、狭い階段を上がって右手にあるガラス扉を覗きこむのでした。

 それからどれくらいの時が流れたのか、私はとうとう年貢を収めるべく、東京の数少ない友人やkazuoさんに別れを告げて、帰郷することにしました。

 帰郷して一年か二年後、上京する機会があり懐かしい「朝霧」に寄ってみました。kazuoさんは相変わらず狭いカウンターで、彼の言うカニの横歩きを続けていました。

 私が行った時、いみじくもかつての私がそこにいるかのように、一人の青年がカウンターで打ち解けてkazuoさんと話し込んでいたのでした。それを潮に、私は生活に忙しかったせいもありますが「朝霧」の事を思い出すことはなくなっていきました。

 それから十数年経った後です。私は50歳を迎えようとしていました。その年頃になってくると、何かの拍子にふと若い頃のことがいたずらに思い出されたりします。若気の至りと言ってしまえばそれまでの、つたなく頼りない自分のことが苦々しく思い出されるのです。

 世の中の仕組みや人情の裏表が少しわかってくるようになるからでしょうか。私は、「朝霧」での出来事が、ほとんどママとkazuoさんの好意であったことに思い至りました。

 そして当時の私はそのことにちゃんと気づいていただろうか、ママさんやkazuoさんにきちんと礼を尽くしていただろうか、案外ドライに店を去ってしまったのではなかったか、と気になるのでした。

 そんな折り、久々に東京に出張する機会がありました。それまでも何回か上京していたのですが、「朝霧」は最初に行っただけでした。今回は無性にママさんに会いたい、会ってお礼が言えたらいいなぁと思いました。

 久しぶりに行く新宿駅の雑踏も新宿通りの賑わいも、周りの建物や看板こそ違え全体の印象はかつてと少しも変わっていませんでした。

 伊勢丹の一つ手前の路地を入っていくと、そのあたりとおぼしき場所に「朝霧」の看板は見当たりません。いくつか並んだ雑居ビルのそことおぼしき狭い階段を上がりました。

 狭いけれど私の記憶よりずっときれいな階段を上がって右手、二階の入り口は、「カレーの店ガンジー」となっています。思い切って中に入ってみると、店内は「朝霧」の印象よりずっと明るく内装も違っています。

 しかし、厨房や窓などの配置は「朝霧」と同じです。ただ窓際にカウンター席が設けられています。昼をかなり過ぎていたせいで店内は空いていました。私は厨房を覗きながら店を横切って窓際のカウンター席に向かいました。厨房にkazuoさんの姿は見つけられませんでした。
 
 水を運んで来たウェイトレスにカレーを注文しました。何のカレーだったか忘れてしまいました。カレーを待つ間、左脇にある柱に貼られたポスターを何気なく見ました。
 
 淡い薄緑の柔らかな色調のポスターは、ママこと朝霧鏡子さんが出演した「恍惚の人」の宣伝ポスターでした。ママはぼけ老人役だったと思うのですが、そこに映っている朝霧鏡子さんは白髪のとてもおしゃれなおばあさんでした。

 このお店がかつての「朝霧」に間違いないことがわかりました。しかも、ママは元気で女優に復帰されている事までわかって、なんだかすごくうれしい気持ちになりました。

 注文のカレーを持ってきた先のウェイトレスに、kazuoさんのことを聞いてみましたが彼女にはわからないらしく、厨房の中の人を呼びました。

 その人の話ではkazuoさんは夜にならないと出てこないという返事でした。私は夜には帰らないといけないので、京都駅で買ってあったお土産を店員さんに預けて私が来たことを伝えてもらうことにしました。

 カウンターでいただくガンジーのカレーは懐かしい味がしました。甘くて後から辛さが追っかけてきます。見た目も味も昔に比べるとずっと洗練されているのですが、ベースはやはり懐かしいkazuoさんの味でした。

 懐かしいカレーをいただきながら、清水金一と結婚してからずっと芸能界から足を洗っていたママが女優に復帰したことがうれしくて、そんなことを久しぶりにkazuoさんと語り合いたかったと思いました。

 

 あとで調べてわかったのですが、映画ではあの新藤兼人監督の「午後の遺言状」にも出ておられたようです。また私が行ったとき、「恍惚の人」はすでに放映を終わっていたように思います。
 
 ママさんは「恍惚の人」出演を最後に亡くなっています。私が「カレーの店ガンジー」に行ったのはいつだったかはっきりしません。あのとき、ママはまだ存命だったのかどうか、今ではもうわからなくなってしまいました。

 

 「カレーの店ガンジー」は、ぐるなびや食べログなどでも紹介されてなかなか有名なようです。私が最後に行った時も店の入口に雑誌アンアンで取り上げられた記事が貼られていました。ネットではすべらない話でお馴染みの宮川大輔さんが取り上げていたようにも思います。

 今回、検索してみたらなんとYouTubeに店内の様子をアップしている動画がありましたので貼り付けておきます。

 


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