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初恋~トルコ行進曲 [音楽(クラシック)]

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 師走に入って一週間ほどしたころ、気になりながら行けていなかった近くの鎮守の森に行ってみました。さすがにもう紅葉の時期は終わっていましたね。木々は葉を落とし、道に散った落ち葉が風に舞い上がって、折から降り注ぐ朝の光りにきらめいていました。

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 せっかくカメラを持っていったので、わずかに残った秋を探してみました。

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つづく


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1枚のレコード~エリー・アメリンク [音楽(クラシック)]

1-1-_DSC0585.JPG あまり代わり映えしませんが、畑の囲いの修復終わりました。春の嵐が過ぎてもしばらく風の強い寒い日が続いて、外で作業をするには神経に触りました。まるで3月のように暖かい日と寒い日が交錯しているこのごろです。

1-1-_DSC0568.JPG ほとんど花が散った桜の木に蜜を求めて、メジロが来ているかと思うと

1-_DSC0454.JPG 冬鳥のアトリが一羽だけ我が庭に残っています。

 修復を終えて畑は夏野菜の準備に入りました。

1-1-_DSC0588.JPG これはトマトの畝です。

1-1-_DSC0589.JPG 彼岸の入りの日に植えたジャガイモ、ようやく芽を出しかけています。

1-1-_DSC0593.JPG アスパラです。

1-1-_DSC0598.JPG エンドウ豆も花を咲かせ始めました。

1-1-_DSC0604.JPG ソラマメの花

1-1-_DSC0611.JPG イチゴの花です。

 畑で作業をしていると、奥の雑木林からいろんな鳥の声が聞こえてきます。ウグイス、シジュウカラ、ヒヨドリ、カラス、カワラヒワ、聞き分けられるのはそんなところです。

 周りの休耕地ではタンポポやカラスノエンドウ、カキドオシなどが茂り始め、ツバメが高速で滑空し始めました。家の裏でも巣作りの場所を求めてチュルチュルと鳴きながら飛び交っています。

1-1-_DSC0734.JPG 電線で一休み。渡ってきたばかりだからでしょうか、どことなく姿が精悍に見えますね。

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雨の音 [音楽(クラシック)]

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 梅雨らしく蒸し暑くなってきました。何となくだるくて、何をするにもおっくうさが先立つこのごろです。ついこの間まで、山を歩き回る自分を想像してリュックやトレッキングシューズが欲しいと思っていたのに、この前の裏山の散歩であのていたらく、今では山を歩き回る自分なんて想像できそうもありません。

 もっともあれからも仕事は休まず行っておりますし、草刈りや畑の作業などもしているので、格別体調が悪いわけでもなく、あのしんどさはあの日だけのことだったのだと思います。

 ただ、しのぎやすかった今年の梅雨もあの日を峠に、その後は高温多湿のじめじめしたいつも通りの梅雨になってきました。何となく身体が重く気分が乗らないのもそのせいだと思います。

 一方、九州では豪雨で被害が出ているようです。テレビのニュースで川から溢れた濁流が家屋を襲っている映像を見ると、つい1年半前の津波を思い出してしまいます。いつもは私たちを潤わせてくれる水ですが、ひとたび暴れると怖いですね。被災された方々の、一日も早い復興をお祈り申し上げます。

 

DSC_1951.JPG 妻が撒いたアサガオです。ようやく蔓を伸ばしてきましたがまだ花は咲きそうにありません。

DSC_1954-001.JPG 去年買った鉢植えのアジサイを株分けして庭の片隅に植えてみたのですが、どうも咲きそうにありません。近所の方に聞くと2.3年かかるそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

DSC_1992.JPG こちらは近所の公園のアジサイです。数年前にみんなで植えました。しばらくはシカの食害にあって花を咲かすことができなかったのですが、今は見事に咲きそろうようになりました。

DSC_1986.JPG アジサイの赤ちゃん

DSC_1996.JPG 同じ公園に咲いていました。

DSC_2001.JPG ザクロ(石榴)でしょうか。

DSC_2005.JPG 畦際に咲いていたミソハギ

 

 夜は部屋で音楽を聴いています。今夜も雨です。窓を開けて網戸にしているせいで、音楽の向こうから地面や木々の葉を叩く雨の音が聞こえてきます。それほど強い降り方ではないので、季節が奏でる伴奏のようです。

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 そんなしっとりした夜に聞いているのは、ジャズではなくて図書館から借りてきたバイオリン小曲集のCDです。

 


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花のワルツ~ポータブル電蓄の思い出 [音楽(クラシック)]

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 建物は新しくなリましたが、我が集落、昔の趣をまだとどめている方だと思います。家々が旧街道沿いに連なって続き、その周りは田んぼと低い山です。

 山裾の方に、山肌を削った新興住宅地の屋根が散見します。田んぼは一見すると昔のままのように見えますが、10年ほど前にほ場整備事業があって、小さい畦や水路はなくなり、大きな区画の田んぼになりました。

 今では集落のほとんどのお宅が会社勤めをして生計を立てていますが、私が子供の頃、回りはみんな同じくらい貧しい農家の集まりでした。農業だけか、他に仕事を持ちながら、少しばかりの先祖伝来の土地を耕して兼業農家を営んでいました。

 その頃の農業は、今のように機械化されたものではなく、本当に人海戦術でした。田植えや稲刈りの忙しいときは、親戚同士が助けあって作業にあたっていました。その助けあいは、冠婚葬祭にも及びました。今でこそ希薄になりつつありますが、田舎の人間関係の繋がりの強さは、こういうところから来ているのだと思います。

 農業も今に比べると世間の所得が低かったせいか、自給のお米や野菜は十分生活の助けになり、収入の不足分をカバー出来たのだと思います。

 それだけに労働は過酷でした。農繁期、自分の田んぼを手伝ってもらったら、当然手伝って返さなければいけないので、稼働日は長期になりました。

 我が家も兼業農家でしたので、両親は農繁期は早朝から日が暮れてもなお野良仕事に出ていました。私の子供の頃の思い出のかなりの部分は、9歳下の弟と留守番したことで占められています。

 その頃は農閑期の冬でも夏の準備のための作業がありました。寒い冬の夜、土間にむしろを敷き、その上に座布団を敷いて、たぶん豆炭行火でも抱きながら、母は菰(こも)編みの夜なべ仕事をしていました。

 自分で田んぼや畑をしてみると、よく両親二人だけであれだけ広い面積を耕作していたなぁと感心します。今では、非農用地として空き地になっていたり、休耕地として草が生えているところ、駐車場として車を止めているところも全て田んぼと畑でした。あの頃は、土地を遊ばしておくことは許されなかったのでしょうね。

 そんな環境でしたから、いつもお母さんが家にいる非農家の家の子が羨ましかったと言う話は、以前したような気がするので、今日は別の話です。

 

DSC_0153.JPG その頃からある庭の柿の木に小さな黄色い花が今年も咲き揃いだしました。

 

 

 

 

 

 

 田舎なら昔はほとんどがそうだったように、我が家にも文化的な環境とか娯楽などというのはほとんどありませんでした。家にある読み物と言えば、新聞と農家の月刊誌「家の光」、娯楽はラジオでした。

 ラジオはニュース、ドラマ、歌謡番組、落語、漫才が主だったと思います。ドラマは私も楽しみにしていたのがいくつかありました。そして夜、子供が眠る時間が過ぎても布団に入ったまま眠れないでいると、居間のラジオから浪花節のしゃがれた声が聞こえてくるのでした。

 そんな時代が長く続いて、我が家にテレビが来るようになったのはやっと小学四年の頃です。それでも親戚が電気屋をしていたので、回りの家より少し早いほうでした。

 テレビが家に来るようになった頃、同時にいろんな電化製品が普及しだして、それまでの暗いけれどのんびりした時代から、華やかでにぎやかな時代に変わって行ったように思います。少しずつ生活が豊かになり、私も弟も成長しだしていました。

Sonosheet.jpg 中学三年の時です。長い間、我が家の娯楽を一心に背負っていたテレビ以外に、新しい娯楽製品が我が家にやってきました。と言っても、きっかけは娯楽ではなく高校受験でした。

 私が高校受験の頃、我が県は少数派だったと思うのですが、7科目制を取り入れてました。主要五科目の英数国社理の他に、体育と音楽が試験にありました。

 野球小僧だった私は体育と美術は好きでしたが音楽が大の苦手でした。その頃もすでに内申書というのがあって、年々重視されるようになってきているなどと脅されていたので、普段の成績が期待できない私は、なんとしても本試験を突破しなければと思ってました。

 音楽のテストには、ペーパーテストの他に鑑賞がありました。今で言う英語のヒアリングテストのようなもので、課題曲が会場に流され解答を記入するのです。6曲ほどの共通鑑賞曲があったのですが、この聞き分けが音楽の素養のない私にはいかにも難関に思えました。また、点数配分も比較的高かったと思います。

 もちろん音楽の授業で、鑑賞曲を何回か聴かせてくれるのですが、合計6曲を数回聞いただけでは私の悪い耳は、聞き分けられませんでした。唯一覚えられたのは、ハチャトゥリアン「剣の舞」くらいなものでした。

 「剣の舞」が出題される可能性は6分の1ですが、もっとも印象的で誰でも覚えやすいその曲を出題していては正答率が相当上がってしまうので、おそらくそれは出題されないだろうと思いました。

 今は英語のヒアリング用にCDが販売されていたりしますが、その頃も、鑑賞曲を全て収めたソノシートが販売されていました。それを何回も聞いたら、さすがに耳の悪い私でも何とかこの難関を突破出来るのではと思いましたが我が家には再生装置がありません。

 で、両親に受験のために必要だと言って、買ってくれるように頼み込みました。自分たちが無学なため苦労していると思っていた両親は、私たち兄弟への教育には、自分たちを犠牲にしても惜しまないところがありました。

 その頃の金額でいくらしたのか、父はこういうものは税金がかかっていて贅沢品なんだとぶつぶつこぼしながらも、親戚の叔父にポーターブル電蓄を頼んでくれました。

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 叔父が持ってきてくれたのは、ナショナル製のポータブル電蓄だったと思います。たぶんもうソリッドステートだったと思うのですが、ボディは白と青のツートンでプラスチッキーなものでした。

 コンパクトでLPをかけるとレコード盤がボディからはみだしてました。ピックアップも今のレコードプレーヤーのアームのように凝ったものではなく、針圧調整などなかったと思います。

 33回3/1と45回転、78回転のスリースピードで、ピックアップの先のレバーを回転させるとLP用の針と、SP用の針に使い分けられるようになっていました。

 赤くて向こうが透けて見えるぺらぺらのソノシートはそんなに高くはなかったと思います。その時聞いた音楽が、学校の授業で聞く以外初めて聞く電蓄の音であり、また初めてのクラシック音楽でした。

 ソノシート収められた6曲の鑑賞曲はほとんど忘れてしまいました。覚えているのはハチャトゥリアンの「剣の舞」と、出題曲、チャイコフスキー「クルミ割り人形」から「花のワルツ」だけです。

 ワルツなんて、その頃は両親がテレビで聞いていた芸者ワルツくらいしか知りませんでしたから、ソノシートで予習していなければ、私にはとても答えることが出来ない曲でした。おかげで無事、正解して高校にも受かることが出来ました。

 高校に行けるようになって、電蓄は本来の娯楽品になりました。町の高校通うようになった私は、時々レコード店に寄り道して当時流行っていた歌謡曲などを買って聞くようになりました。

 このポータブル電蓄には、もう一回登場してもらうシーンがあるのですが、それはまた次のお話に取っておこうかと思います。

 

チャイコフスキーの花のワルツ


 そう言えば、偶然ですがチャイコフスキーもCで始まると思ったら、Tchaikovskyと、Tが割り込んでますね。


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手紙 [音楽(クラシック)]

 手紙、と言うと私の世代などは、何となくときめくものを感じるのですが、パソコンや携帯のメールが当たり前になった昨今、すっかり縁遠くなってしまった気がしています。

 私が若い頃は携帯電話はおろか、固定電話さえそれほど潤沢ではなくて、手紙が重要な通信手段でした。好きな人や友人からの手紙を心待ちにしていましたね。あの待つときのわくわくした思い、ときめき、白い封筒の上に綴られた青いインクの懐かしい文字、封筒の厚みと重み、決してメールでは味わえるものではありません。

 

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 今年のお正月番組で映画「おくりびと」が放映されました。その中で主人公がチェロを弾く場面があり、見ているうち無性にチェロの曲が聴きたくなりました。

 私が持っているレコードやCDにもバッハの無伴奏チェロ組曲などがあるのですが、少しイメージが違います。それでいつもの中古店で中古レコードを買いました。ピエール・フルニエ「白鳥/チェロ小品集」です。

 アンプは真空管A-3500を選びました。レコードはステレオ録音ですが、カートリッジがモノラルDL-102なのでモノラルで聞きます。スピーカーは、未だクラシック向きのスピーカーを見つけられていないので、スキャンダイナA25MK2です。

 チェロの演奏は時に、ごりごりと押しまくるような力の漲った演奏もあるのですが、今回のフルニエの演奏は柔らかくて暖かみのある低音がふぁーっと広がって、すごく耳あたりの良いものでした。小品集と言うだけあって、楽曲も短く親しみやすいものばかりです。

 ひと通り聞き終わって、レコードをジャケットにしまおうとすると、何かあたるものがあります。ライナーノートでも入っているのかとのぞいてみると、中に一通の封筒らしきものが見えます。

 封書には住所も宛名もありませんでした。少し厚みがあります。レコード店の広告、あるいはチケットでも入っているのかと思いながら開けると、中からは折りたたまれた二枚の便箋が出てきました。

 手紙はHappy Valentainと言う横文字で始まり、そのまま横書きで「Kちゃん、これからもよろしく・・・」と続きました。

 女性から男性に送られた御礼の手紙のようです。送り主の女性のお父さんがご病気で、そのことを宛先の男性Kさんが心配したり励ましたりしたことへの御礼と、父親の病気に対する心配、看病する母親への気遣いが綴られています。

 文面には相手さんの名前や女性の署名もありますので、全文を掲載できませんが、内容は浮ついたものではなく、ちょっと深刻な感じです。

 それにしてもなぜ、この手紙はレコードジャケットというおよそ手紙をしまうには不似合いな場所に入れられていたのでしょう。

 以前、サッチモの自伝を中古本で買ったとき、中からサッチモが亡くなったニュースを伝える新聞記事の切り抜きが出てきて、前の持ち主のサッチモに対する憧憬の深さを感じたのでしたが、今度はちょっと趣がちがいます。

 考えられるのは、この手紙がこのレコードに添えて贈られたので、そのまま一緒にしまっていたのかも知れないと言うこと。

 あるいは、おそらくこの女性に好意を寄せていただろうKさんでしたが、その後それ以上発展することもなく、そのままになってしまい捨てることも出来ずそんなところにしまっていた。または別の女性と結婚してしまい、思い出の手紙をレコードジャケットの中に隠していた、そんなところでしょうか。ひょっとしたらこのレコードにも何らかの思い出があったのかも知れません。

 いつ頃の手紙なのか日付も入ってませんが、私とそんなに違わない世代の方ではないかと思います。封書には郵便番号は5桁の枠が印刷されているので、1998年より前かと思いますが、それよりレコード自体がもっと古いものなので、そこから年代を類推する方が適当という気もします。

 このレコードは1969年録音のものですが、発売日はわかりません。グラモフォンのスペシャル器楽曲のレコードというシリーズで1300円の廉価盤になっています。おそらく1970年代に出たものには間違いないと思います。

 父親の病気が心配で、仕事も手に付かないとこぼされている文面からして、女性は学生ではなく、働いておられると言うことがわかります。深夜入りという文面があるので、看護婦さんででもあったのでしょうか。あとは、固有名詞では石切神社と言う言葉が出てきます。検索してみると、東大阪に存在するようですね。

 東大阪の方がこちらに何らかの理由で引っ越してこられて、このレコードを処分されたのか、それとも、東大阪で売られたレコードが巡り巡って、私の手元に届いたのか。

Image0018-1.JPG (こんな封筒です。心当たりの方は仰ってくださればお返しします)

 いろいろ想像を巡らせることができますが、私にとって気になるのはこのレコードがどういう経緯で中古店に流れたかと言うことです。

 単にレコードを聞かなくなったから処分したのだったら、彼はレコードジャケットの中にこの手紙をしまっていたことを忘れてしまっていたのでしょう。

 ひょっとして彼は亡くなってしまい、遺族の方がそんな手紙が入っていることも知らず、遺品のレコードコレクションを処分したのではないでしょうか。

 実は私も、自分が死んだらこのオーディオセットやレコード、CD、書籍などはどうなるのだろうとよく考えるのです。息子も娘も引き継ぎそうもありませんし、ましてや妻はまたつまらないものを集めてといつもこぼしているくらいですから、きっと十把一絡げで中古屋さんに処分されるのでしょうね。

 もっとも、オーディオにしてもレコードにしても、数ばかりで金目のものはありませんから、中古店に売ってみても、線香代くらいにしかならないでしょう。ひょっとしたらいつも回ってくるゴミ回収のおじさんに持って行ってもらうかも知れません。

 それでも、オーディオのいくつかとレコードやCD、書籍はこれからもまた誰かの手に渡って、何かしら役立つことがあるかも知れませんね。そのときに受け取った相手が戸惑わないように、間違っても手紙など入れておかないように気をつけようと思います。

 ピエール・フルニエの適当な演奏が見つからなかったので、ジャクリーヌ・デュ・プレ白鳥です。


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「冬の旅」 [音楽(クラシック)]

 今もあまり変わりありませんが、私が子供の頃、映画を見るには遠くの町までバスや電車に乗って行かなくてはいけませんでした。

 その代わりと言っては何ですが、当時は巡回映画というのがあって、小学校や中学校の講堂や体育館に全生徒が集まって映画を見ました。教育的な映画が多かった気がしますが、中には中村錦之介主演の「織田信長」とか「宮本武蔵」などの娯楽時代劇もありましたね。

  確か中学校の時、今、山田洋次監督吉永小百合さん、鶴瓶さんでリメイクされている幸田文さんの「おとうと」とか、同じ市川 崑監督の「東京オリンピック」などを見た記憶があります。

 シューベルトの生涯を描いた「未完成交響楽」(たぶん、1959年版)を見たのもこの頃だったと思います。ストーリーはほとんど覚えていないのですが、音楽家シューベルトが若い友人たちに囲まれて過ごす楽しい牧歌的な場面を覚えています。

 シューベルトが恋をしてその思いを歌に託し、友人の歌手に歌ってもらうのですが相手の女性は歌っている友人の胸に飛び込んでいくと言ったストーリーだったような気がします。失恋したシューベルトが楽譜を前にして愕然とつっぶす場面が印象に残っています。

 この時のシューベルトのイメージがけっこう強かったせいか、私はその後あまりシューベルトが好きになれませんでした。暗さやなんとないだささのようなものを彼に感じてしまうのです。

 たとえば、弦楽四重奏の「死と乙女」などはちゃんと聞いたことがないのですが、ともかく出だしから暗いと言う印象で、とても全曲付き合う勇気がもてません。

  それに比べると、歌曲やピアノの曲は、同じ暗い色調に彩られていても、一つ一つが短くて、どこか悲しく浮き立つようなところがあって、映画の印象とは逆に嫌いにはなれません。

 

シューベルト:歌曲集 冬の旅

 むしろ、「冬の旅」などは学校で習った懐かしい曲が多いのと、ロマンチックな題名に憧れさえ感じました。左の写真のCDとはジャケットが違うのですが、レコードでフィッシャー・ディスカウイエルク・デームスの「冬の旅」は何度も聞きました。

 

 

A面 菩提樹 さすらい人 野ばら 死と少女 君はわが憩い 水の上で歌う 楽に寄す

B面 セレナーデ きけきけ、ひばり 春のおもい 鱒 憩いなき恋 夕映えに 魔王

 

  ところで、私自身の冬の旅はどこへも行く予定がありません。仕方がないので買ったばかりのニコンD5000を携えて、家の裏の冬を旅しました。また30日限定のスライドショーにしてみましたので、クリックしていただくと展開されます。

 


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