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MJQ(モダン・ジャズ・クヮルテット)の思い出 [音楽(ジャズ)]

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 1974年4月20日MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)が8年ぶり3度目の来日公演を果たした最終日でした。もちろん、まだジャズ聞きかじり出しの若造だった私は、そんなことは知らずただその日が土曜で都合がよいと言うだけでその日のチケットを買ったのでした。

 それがMJQの最期の来日公演になるどころか、それから半年後の11月、彼らがほぼ四半世紀にわたる長い活動をやめてしまうなんて思いも寄りませんでした。(80年代にファンの要望に応えて再結成されはするのですが・・・)

 

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 この頃私は22歳でした。アルバイトを経て、実社会に出てまだ日が浅く、世の中のいろいろなことに戸惑っていた頃でした。

 その当時でも5万円あまりの給料は安かったと思います。中央線沿線、東中野駅前の家賃1.3万円のボロアパートで、鬱屈した思いをぶつけるようにジャズにのめり込み始めていました。

 ステレオはポータブルタイプの安いもので、かろうじてFMとレコードが聴けるという程度でした。レコードの枚数もまだ少なくて、当時の古いノートを見ると、もっと良いオーディオに買い換えるために金を貯めるべきか、レコードを買ってジャズをたくさん聴くべきか、生のコンサートに足繁く通うべきか、少ない小遣いの使い道に悩んでいる記述がたびたび出てきます。

 当時東京は、ジャズ、クラシック、ポピュラーを問わず外タレの来日ラッシュが始まりだしていました。私はと言えば、この年の2月にビル・エバンス・トリオのコンサートに行ったのが初めて接する生コンサートで、この夜が二度目でした。

 古いノートによると私は、当時新宿伊勢丹にあったチケットビューローで、ビル・エバンス、ハービー・マン、MJQ、アン・バートンと続くコンサートを前にして悩んでいます。その中で許された予算の中から、ビル・エバンスとMJQを選んだのは、まだジャズを囓り始めたばかりの若造としては、なかなか賢明な選択だったと我ながら思います。

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 会場は、隣駅にある中野サンプラザでした。チケットは奮発してA席なのですが、一階の26列6番と端の方の席でした。余談ですが、A席で3000円、当時新譜のレコードが一枚2500円ほどしていましたので、かなりリーズナブルな値段設定だったんだなぁと思います。

 

 会場はほぼ満員でした。ビル・エバンス・トリオの時もそうでしたが、MJQのコンサートも何となくジャズらしく感じなかったのは、広いコンサート会場と彼らの出で立ちのせいだったと思います。まるで弦楽四重奏団のように全員タキシード姿でした。

 そんな四人組から受ける端正な印象はそのまま演奏にも反映しているように思えました。とくに前半はその頃、彼らがよく演じていた、バッハの曲などもあったからか比較的たんたんと進んでいきました。2.3曲目に「リユニオン・ブルース」があったと思います。

 場所のせいか、ビル・エバンスのコンサートの時よりベースの音が聞きづらく、また、ミルト・ジャクソンのバイブの音にはかなりエコーがかかって聞こえていました。

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 休憩を挟んで後半になると、会場は少しずつ熱気を増していくようでした。とくに「イン・メモリアル」が良く、その当たりから乗ってきたのだと思います。

 それまで抑え気味に見えたミルト・ジャクソンが、抑えきれなくなった思いを一気に吐き出すかのようにものすごい勢いでバイブを叩きまくりだします。勢い余ってマレットを二度も落としてしまったほどです。

 それに比べるとジョン・ルイスはいつも冷静で、背筋を伸ばして、たんたんとピアノを弾き続けていました。バグス、君はどんどん歌いなさい、俺が後ろでちゃんと手綱を締めているから、と言わんばかりです。

 ガーシュイン「ボギーとベス」から「私の愛したボギー」「・・・」「サマータイム」などが演奏されると、会場から盛大な拍手がわき起こり、演奏はいよいよ盛り上がっていきました。

 どの曲のときだったか、演奏中に観客席中央から手拍子が上がり次第に広がっていきましたが、会場全体までは広がり切りませんでした。

 コンサートの予定の曲目がすべて消化されて、MJQは自ら「トゥルー・ブルース」を演奏してくれました。その間に時間は、終了予定の9時が過ぎてしまいました。

 舞台袖から司会のいソノてルヲさんが出てきて、これで今夜のコンサートが終わったことを告げるのですが、誰も席を立とうとはせず、拍手は鳴りやみません。

 メンバーは二度ほどカーテンコールに応えて出てきましたが、挨拶するだけで楽器の前には立とうとしません。会場から「アンコール」の声が上がりました。

 やがて拍手は手拍子に変わっていきました。しかし、ステージの照明が消え、ああもう駄目かと思ったとき、三度目に彼らが登場して、それぞれの楽器の前に立ちました。

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 ジャズ聞きかじりの若造にとっては、過ぎるほどの素敵な夜でした。残念ながらこのときの来日コンサートの模様はレコーディングされていないようです。来日盤が出ているのは8年前の1966年来日時のものです。

ラスト・コンサート(完全盤)  それより半年後の11月25日、ニューヨークのリンカーン・センターのアベリー・フィッシャー・ホールで行われた最期の演奏が「ラストコンサート」として発売されています。演奏スタイル、選曲等もこちらの方が私が行ったコンサートに近いと思います。

 記憶力、とくに音楽に関しての記憶には自信が無いのですが、このブログを書くために何回か「ラストコンサート」を聞いているうちに、ミルトジャクソンのバイブや会場の拍手から醸し出される雰囲気が、35年前の夜を少しずつ蘇らせてくれるような気がしてきます・・・

 

(なお、ここに掲載した写真は当時のチラシやコンサート会場で販売されていたパンフレットのものを利用しています)

 

 


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kurakichi

私はMJQとは出会えなかったので 素晴らしいMJQとの出会いがあった空兵ーSさんがうらやましいです。
by kurakichi (2009-11-13 20:26) 

クンツ

こんにちは。
1974年のコンサートの記憶がすべて蘇るようなブログに感動です。
小遣いの使い方の悩みは一緒ですね。
何気なくレコードを回しているのにふと思い出す場面ってありますね。
まだJazzに深入りしていないこの頃前後のサンプラの思い出はcool&gangを見に行きました、soul&funky少年でした。
by クンツ (2009-11-14 00:00) 

たいへー

名前のみ記憶してます。
東京に居た頃は安物のラジカセで「エアチェック」専門で、
レコードも買えなかったですね。
質屋でプレーヤーを買ってから、ようやく・・・という感じでした。
でも、音楽はいっぱい聴きましたよ。
そのお陰で、今は立派なマニアになりましたが・・・^^;
若い頃、システムを組んで聴かなかった事が、
逆に今良い状態になっているのかもしれませんね。
by たいへー (2009-11-14 08:03) 

stone-9

コンサート会場の様子が、
まるでその場に居たかのように伝わってきました。

1974年というと最初に勤めた会社をやめて、
フリーター(その頃はこの言葉は無かったと思いますが)
のような生活をして頃です。
お金が無くなると質屋通いで、しまいにはLPレコードも質草にて、
MJQの「COLLABORATION」もその中に入っていたと思いますが、
何故かレコードだけは流すことはなかったです。(笑)
by stone-9 (2009-11-14 11:38) 

空兵ーS

kurakichiさん
こんばんは

直前のビル・エバンスご一緒できていたのに、残念ですね。
この頃は、本当に凄いミュージシャンの来日ラッシュでしたからね。
良い組み合わせが重なっていることもあったような気がします。
レコード一枚分とさして変わらない値段で行けたのは
今から思うとラッキーでした。

by 空兵ーS (2009-11-14 21:07) 

空兵ーS

クンツさん
こんばんは

古いノートとあるかなしかの記憶を元に書いてみました。思い起こしながら「ラストコンサート」を聞いていると、本当にそのときが蘇ってくるようでした。

中野サンプラザは、いろんな催しをしていましたね。通用口に若い女性が群がってアイドルが出てくるのを待ち受けていました。
私は他のジャズも行きました。何でも見てやろうだったので、チャイコフスキーの「白鳥の湖」もここで見ました。それぞれになんか得るものがあり、感動しましたね。みんな懐かしい思い出ですが・・・
by 空兵ーS (2009-11-14 21:17) 

空兵ーS

たいへーさん
こんばんは

音楽を聞くのに必ずしも立派なオーディオシステムが必要とは限らないですね。小さなラジオやラジカセでも音楽は十分聞けると思います。
ミュージシャンがそれほどオーディオにこっていない事実でわかります。
ただ私の場合は、耳が悪いので補正してもらうためにオーディオシステムに頼っているようなところがあります。
ステレオがないとき、狭いアパートで、安物のAMラジオから突然流れてきたジャズに思わず耳を傾けたことを思い出します。
by 空兵ーS (2009-11-14 21:30) 

空兵ーS

stone-9さん
こんばんは

そうですね。当時はまだフリーターと言う言葉はなかったですね。
アルバイターなんて言われていたことがあったような・・・
私も質屋さんにはお世話になりました。
初めは腕時計でしたがあまりまとまって貸してくれないので、チューナー持ち込んで何度か出し入れするうち流してしまいました。
残念でしたがそれくらいお金がないときでした。
MJQのコンサートの思い出を書いたら、はからずも、当時の自分の貧しい生活を思い起こす羽目になってしまいました。


by 空兵ーS (2009-11-14 21:38) 

y-tanaka

おはようございます。
MJQいいですよね、大好きです、
働き始めた頃を思い出しました、初任給2.5万円
5千円の4.5畳のアパートから社会人スタートしました、
エアコンなど当然有りません、35円のコカコーラ(お店で冷えてるやつ)
が買えませんでした(当然冷蔵庫など有りません)

近くにオーディオ専門店が有り、その頃からジャズ大好きになりました。
by y-tanaka (2009-11-15 06:39) 

駅員3

そうそう、私の持っているMJQのCDのジャケットにタキシード姿で演奏している姿のものがあります。
マリンバのむせび泣くようなビブラートと、静かでありながら、その情熱を感じさせる熱い演奏は素晴らしいものですね。

空兵-Sさんは、私よりもちょっとお兄さんなんですね。
私も22才でJazzにであいました。
小学校3年の時からClassicを学んできた私には、JazzやRockは退廃的な音楽にさえ思えました。
22才で、Jazzピアニストで編曲家の一之瀬義孝先生に出会って、コード進行から始まって、フェイクのしかた、はたまた日本人の糠味噌臭いリズムを如何に直すかなど、手取り足取り教わったのもついこの前のようなきがします。
今晩家に帰ったら、のんびりブランデーでもころがしながら、MJQを楽しみます[CD][ウィンク][ぴかぴか(新しい)]
by 駅員3 (2009-11-15 17:55) 

空兵ーS

y-tanakaさん
こんばんは

冷蔵庫もエアコンもありませんでしたね。
私が足繁くジャズ喫茶に通った理由の一つは、アパートに差す強烈な西日を逃れて、エアコンにあたりに行くことでしたね。ジャズ喫茶はいろんなジャズのレコードが大きなシステムで大音量で聞ける事がいちばんでしたが、エアコンに当たれて粘れることも重要な要素でした。
私のアパートは、急に水が出なくなることがあって、自炊もまともに出来ませんでしたね。
by 空兵ーS (2009-11-15 19:53) 

空兵ーS

駅員3さん
こんばんは

この記事を書く頃から、ずっと当時を思い出しながら、「ラストコンサート」を何度と無く聞いていますが、何度聞いてもいいですよね。
確かに
>静かでありながら、その情熱を感じさせる熱い演奏
ですね。

ちょっとじゃなくてかなり年上かもしれませんね。
それにしても駅員3さんは何にしても本格的ですね。私など小学校で習ったハーモニカやスペリオパイプで四苦八苦してましたよ。
ジャズを初めて聴いたのは20歳の頃ですが、それまでの音楽環境があまりに貧しかったですね。そのコンプレックスがあって、ジャズとかクラシックに背伸びしながら惹かれていきましたね。
今でも聞くのが精一杯で、音楽の素養はまるっきりです。
音楽と音楽家には「永遠の憧れ」があります。
by 空兵ーS (2009-11-15 20:05) 

なちゃ

若い頃に行ったコンサートの思い出、いいですね。忘れられません。
僕はナベサダでした。
当時FMで録ったライブ音源は家宝です。
by なちゃ (2009-11-16 11:50) 

空兵ーS

なちゃさん
こんばんは

これも一つの出会いですね。
レコードも良いですが、やはり生は独特の世界がありますね。そこに当人達が実際に演奏しているのですからね。
プレーヤーと聴衆の違いこそあれ、同じ会場の空気を吸っているわけで・・・
MJQのメンバーが当然とは言え、皆亡くなっているのは今更ながら、ショックです。

私はよく確かめもせず、ほとんどカセットテープを処分してしまいました。
by 空兵ーS (2009-11-17 20:04) 

kasumi

こんにちは。
画面いっぱいのパンフレット、熱い思いが伝わってきます。
MJQの皆さん、若いですね~・・・。
1974年でしたら、わたしは20歳、
グレングールドに夢中だった頃です。
相方はボム・ジェームスやリー・リトナーが好きでした。
そんな二人が、「ジャズ」といったものを深めた切っ掛けが、MJQでした。
1981年、武道館コンサートの「アゲイン」、
その頃流行ったレーザーディスクですけど・・・(笑 
30年過ぎても、その感激は冷めることはありません。
まして苦労時代は尚更です。その時代のレーザーディスクは、
結構高値でしたし・・・ DVD化した今では、アルバムと一緒に眠っています♪
by kasumi (2009-11-18 16:56) 

空兵ーS

kasumiさん
こんばんは

MJQの武道館公演のレーザーディスク「アゲイン」
再結成は1981年と聞いていましたが
いきなり日本公演があったのですね。
日本での人気の高さが伺えます。
グレン・グールドやリー・リトナー、ボブ・ジェームスに惹かれていた
お二人の興味をジャズへ傾倒せしめたMJQの魅力わかる気がします。
1981年、その前年、私は田舎に帰郷しました。
古いレコードを聴きながらも、反対に
少しずつジャズやオーディオから遠ざかり始めた頃です。
by 空兵ーS (2009-11-18 20:26) 

ビアンカ

ご訪問 & nice ありがとうございました。
by ビアンカ (2009-11-19 13:14) 

空兵ーS

ビアンカさん
こんばんは

こちらこそありがとうございます。
by 空兵ーS (2009-11-20 23:49) 

アックン

こんばんは、MJQの1974年の来日コンサート。私は19歳でした。
コンサートは、中野サンプラザと郵便貯金ホールで行われましたが
郵便貯金ホールの音響は素晴らしく、特に印象的だったのはパーシーヒースのベースでした。もちろん現在のようにピックアップなしの生のウッド・ベースの本当に素晴らしい音でした。この模様は当時「4チャンネルゴールデンステージ」というFM番組で放送されましたが「Aマイナーのブルース」、「レジェンダリー・プロフィール」、「イン・メモリアム」などでその力強く美しいトーンを余すところなくとらえていました。ぜひアルバム化して欲しいコンサートでした。
by アックン (2011-12-26 22:25) 

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