通夜に思うこと [日々]
先日、同じ檀家の方が亡くなられたので、お通夜に行ってきました。76歳、早い遅いは世間の物差し、ご本人にとってはどうだったのでしょう。
子供さんたちも所帯をもたれて、お孫さんもたくさん見られて、ご家族の中では順番通りの往生、人の欲望はきりがありませんが、傍目には十分な往生ではなかったかと思うのですがこればかりはわかりません。ましてや、遺されたご家族にとってはやはりいくつになっても大黒柱、辛い哀しい別れだったと思います。
亡くなられた方は、普段からお寺の世話などを率先してしてくださるご奇特な方でした。檀家のものは、今までこの方に甘えていた節があるので、これから大変です。
また、私たち夫婦が初めて檀家の年行事の当番に当たったとき、一緒に組んでくださった方でした。親のない私たちを何かと世話しリードして頂いたのを覚えています。
お通夜は、最近出来た葬儀社のホールで執り行われました。この葬祭ホールが出来る前は、私たちの所では自宅通夜、自宅葬儀が当たり前でした。
自宅だと夏でも冬でも家の建具を取り払い、集落の方々がお参りに来てくれる場所を作らなければいけません。家を建てる時もそのことを考慮して、田の字型に座敷を配置したものです。
向こう三軒両隣は夫婦で手伝いに行くのが決まり、組内のものはお通夜の日にお葬式の飾り物を拵え、葬式の日にはもちろん参列するのがあたりまえです。
冬のこんな寒い時期に執り行われる通夜やお葬式は、普通の一軒家では入れる人数も決まっていて、仕事で遅れていったりすると風が吹きすさぶ屋外、中に入れても土間であったりします。
通夜は僧侶の読経のあと、全員にお茶が振る舞われます。その後僧侶は退席し、残った参列者でご詠歌を唱えます。全体で1時間から1時間半かかってしまいます。
暗い夜、死者の弔いのために田舎家の座敷に集まった在所の人たちで、けだるげに唱和されるご詠歌と鐘の響きは、独特の哀感があります。
私も父を失った時は、このご詠歌が胸に沁みました。その後、しばらくは余所のお宅の通夜に行っても、父の死のことが思い出されたものです。
ただ、集落中のお通夜にお参りするのですから、そのうち哀しい記憶は薄れ、どちらかというと退屈さが増してきます。なにせ17番まであってこのご詠歌だけで30分以上かかるのですから。
ホールでは借りる時間の制限からか、ご詠歌は執り行われなくなりました。ホールでのお通夜、お葬式はすっかり様変わりし、全て葬儀社が仕切ってくれるので、遺族、親戚はもとより、近所、町内も楽になりました。
お通夜、お葬式にお参りするのもホールだとほっとします。明るくきれいなホールの正面には立派な祭壇が飾られ、館内は空調が効いています。ホールは椅子なので正座で足が痺れることもありません。
隣同士はいずれも集落の顔見知りの方ばかりです。始まるまでの間、あちらこちら席では雑談のざわめきがしています。
私の左隣の方は私より10歳ほど年配です。還暦が過ぎたらいつお迎えが来てもおかしくないから、あまり無理をせん方がよいよ、と忠告してくれます。私は苦笑いを浮かべながら、頷くより仕方ありません。
右隣の方は66歳、正面の遺影を見つめながら、もし自分の寿命がこの人と一緒ならあと10年しかないのか、などとしみじみととこぼします。
そういえば、不思議なことがありました。この方が亡くなった日のことです。或る電話番号を捜して自分のスマートフォンの電話帳を見ていたら、この方の自宅電話番号が目に止まりました。
そういえば、最近お見かけしていない、どこか具合が悪いとか聞いていたけれど、どうしておられるのかなぁと思ったところでした。
亡くなったのがその日の朝5時ということでしたから、私が電話帳を見ていた頃は、もうすでに亡くなっておられたのですね。
あとから思うと不思議なことは、時々あります。いつぞやも集落の或るご老人が歩いておられるのを久しぶりにお見かけしました。その方は脳梗塞で倒れられて長い間お見かけしていなかったので珍しいなぁと思いました。それから数日後です。そのご老人が亡くなられたと聞いたのは。お別れに集落を歩いておられたのでしょうか。
極めつけは、以前組内におられた方、諸事情で組を出られたのですが、身体を壊しておられると聞いていました。その方が、ある年、組内の新年会をしているときに、何を思ったのか新年の挨拶に来られました。
今までそんなことは無かったのですが、たまたまその時が、その方の親戚のお宅が宿だったので、それで挨拶に来られて、仏壇にも手を合わせて行かれたのかと思ってました。
ところがその年の夏、その方は亡くなられました。あとから思うと、あれもやはり我々組内の者にお別れに来られたのでしょうか。
順番はエラではありませんが、春を待ちこがれて・・・
そらへいさん
こんばんは。歳を重ねていきますと、自分もあと何年ぐらい生きられるのか、と思うことがありますね。まぁ、直ぐにそんなことは忘れるのですが。
でも、私も50歳を超える頃から、人間ドックで引っかかる箇所が増えていくのに直面すると、何時の間にか老いてきている自分に気付かされます。
私のところは、母が2度目の脳出血で入院していますが、今は少しづつリハビリしています。父は頭はしっかりしていますが、耳が遠いのと、背骨に圧迫骨折があって動くのに一苦労です。
歳をとるというのは苦しいことばかりなのかとも思ってしまいますが、順番だから仕方ないですね。
今、出来ることは、今、やるようにしたいと思っているこのごろです。
by something (2012-02-24 22:53)
平成23年度はどういうわけか、葬儀参列の機会が多い年でした。
いずれも会社関係ばかりなのですが、途中から、本当に多いなあ・・・
と感じております。
最近は100%セレモニーホールですね。
ご自宅での通夜・葬儀は、ここ10年ぐらい経験がありません。
家族葬と言いますか、親族だけで執り行われるものも多いようです。
誰もが一度は通る道、逃れようはありません。
その日をどう迎えるのか、ぼくなどはまだ全然考えておりません。
恐らく、この先も敢えて考えることをしないような気がします。
理由は簡単。考えるのが怖いからです。^^;
by song4u (2012-02-25 00:44)
僕のまわりでも年々こういうことが増えてきました。昨年も2人、そこに居て当たり前だと思っていた方が去っていきました。若い頃にフォークシンガーの誰だったかが言っていたのですが、「青春は人生のウォーミングアップ」 人生なんて最後はお別れ、青春時代の恋愛での別れは、その準備体操だってことだったのですが、最近よくこの言葉を思い出します。
自分もいずれ去っていくことを考えると不安だったり、怖くてしょうがないこともありました。恥ずかしながら今でも時々・・・。口ではどう言おうと、生への執着は人間である以上当たり前ですが、避けられないなら、せめてごまかしのない自分の確固たるものさしを持ってその全うと、子供達の成長を慰めに逝くしかないのかなぁ。
by b.b.mk2 (2012-02-25 10:50)
何気ないことがお別れの挨拶になってしまうこと、
そして、それが不思議な巡り合わせだと思うことがありますね。
by cafelamama (2012-02-25 11:15)
家族の一員が減ることって、ホント辛いことですよね。
新しい家族が増えることは最大の喜びなんですが・・・。
by yukky_z (2012-02-25 12:37)
日本の古きよき伝統ですね。
詠歌はいつまでも伝承して欲しいと思います
by 駅員3 (2012-02-25 13:15)
somethingさん
こんにちは
お通夜の席で、私の前や前後に座っておられる方々
年上の方が多くて、遺影を見つめながら皆さん何を
思っておられるのか。
もちろん、私もですが・・・
>歳をとるというのは苦しいことばかりなのか
寝たきりになりかけている義母が、こぼしています。
もちろんこれまでの道のり、良いこともいっぱいあったはずなのですが
本当に一刻一刻、残り少なくなってくるので
若いとき以上に時間大切ですね。
by そらへい (2012-02-25 13:24)
song4uさん
こんにちは
私は圧倒的に職場より地域ですね。
次に親戚です。
まだまだ自宅葬儀ありますが、田舎にもセレモニーホールが出来てきて
利用される方が増えてきました。
昔の冠婚葬祭は、地域でお互いさまという意識があって
助け合って皆で執り行いましたが、今はお金がかかるようになってきました。
いろいろな人たちが私の舞台に登場しては去っていき
最期は、とうとう自分の舞台の幕が降りるのでしょうね。
当たり前ですが、その時までは出来るだけ元気でいたいものです・・・
by そらへい (2012-02-25 13:33)
b.b.mk2さん
こんにちは
いろんな人が現れては去っていく
そのうち自分自身が去ってしまい全てのライトは消える・・・
のでしょうね。
「青春は人生のウォーミングアップ」
面白い言葉ですね。確かに青春時代には人生のいろんな思いが凝縮しているような気がします。死についても、ひょっとしたらいちばん遠いのに、いちばん意識する時期でもあります。
かえって、歳を取ってきてからの方が鈍感になっている気がします。
なんだかだと、ごたごた言いながらそこまで生きていくのでしょうね。
その時が来たとき、しまった、なんて思いたくはないけれど
かといって、良かったと思えるかどうかも自信がありませんね。
by そらへい (2012-02-25 13:42)
cafelamamaさん
こんにちは
本当に皆、あとから思うことなのですが、
あ、あれがお別れだったのか
と思うことがあります。
by そらへい (2012-02-25 13:44)
yukky_zさん
こんにちは
今までいた家族がいなくなる欠如感というのは、
けっこう強い者がありますね。
娘が家を出て行ったのとは、違います(笑)
by そらへい (2012-02-25 13:46)
駅員3さん
こんにちは
このご詠歌はいろいろなところで形態もいろいろあるようですね。
私たちのところは、このままでは消えていってしまいそうです・・・
全体に葬儀の形式もずいぶん変わってしまって、ご詠歌は最期に残った部分なのかも知れません。
都会ではとっくに過ぎてしまった時代という波が
ようやく田舎にも届こうとしていると言うことでしょうか。
by そらへい (2012-02-25 13:52)
そらへいさん、こんばんは!!
会社内の方々の御家族の葬儀参列がしょっちゅうありますが、やはり葬祭式場ですね。
御自宅は”お通夜だけ”と言うケースもあります。
おそばにいらした方ほど、”虫の知らせ”があるのかも知れませんね。
日頃から、お付き合いを大切にされていた方だからこそ、、かも知れませんよ。
by プリウス (2012-02-25 20:28)
プリウスさん
こんばんは
お通夜だけ自宅ですか。ところによっていろいろなんですね。
それにしても、我が県、セレモニーホールが雨後の竹の子のごとく林立
かつて結婚式場がこんな感じで広がりましたが、それに比べると寂しいことです。これも少子高齢化の現れでしょうか。
禁煙の方はいかがですか
ブログの方はいかがですか。
by そらへい (2012-02-25 20:34)
今晩は。
先ほどまで「役回り」でお寺さんにいました。
私の故郷の田舎のお葬式、自宅葬がほとんどです。自宅のほうは葬祭場ですね。それぞれ長短がありますが、難しいところです。
自分の葬儀はどんなやり方にするか時折考えます。
田舎のお寺にお世話になることとだけは確かで、ご院家とは懇意なのでそこのところは安心です。
by 夏炉冬扇 (2012-02-25 22:38)
夏炉冬扇さん
こんにちは
お寺でのお役目ご苦労様です。
こちらでも、流れは葬祭場ですが、まだ時々自宅の方もおられます。
本人の希望もあるのでしょうが、やはり遺された遺族の都合、意向なんでしょうね。
なかなか生きる方に忙しくて、自分の始末まで考え及びませんね。
by そらへい (2012-02-26 13:01)
田舎の葬式って、大変ですよね。
同じ滋賀県でも、葬式のやり方って違うんでしょうね。
ウチは、葬式の当日に初七日もやっちゃいます。
by しばちゃん2cv (2012-02-26 21:53)
しばちゃん2cvさん
こんばんは
そちらのほうが進んでいるというか簡略化されているのですね。
葬式当日、初七日まで済ませるのは
以前は考えられませんでしたが
こちらでもようやく普及してきました。
特にホールですると、そうなる傾向が強いようです。
by そらへい (2012-02-26 23:55)
こどものころ、祖父がなくなって、葬儀のあと何回も家に親戚や
町内の人があつまってご詠歌を歌ってたのを思い出しました。
こどもながらに、とても不思議な感じだったのをおぼえてます。
今はもうそんなのもなくなってるのでしょうね
うちの親は大変だからホールでやってくれといって、会員に
なっていつでも・・・て用意してますが・・・
by ken (2012-02-27 23:20)
お義母さんの葬儀は、親族だけの家族葬でしたが、
ゆっくりお別れの時間が持ててよかったです。
身内の気楽さからか、
葬儀にもかかわらず笑いが耐えませんでした。
禅語に、ゆきつく所へゆきついた自分の人生、
「畢竟帰処」という言葉がありますね。
ご苦労されたお義母さんへのご褒美でしょうか、
告別式には、満開の桜が咲き誇っていました。
by kasumi (2012-02-28 12:12)
kenさん
こんばんは
私の両親は当時、自宅しか選択肢がなくて
家で済ませましたが、実際大変でした。
嵐が通り過ぎるようでした。
私も、自分の時は、ホールで済ましてくれれば
と思います。
by そらへい (2012-02-28 19:07)
kasumiさん
こんばんは
お義母さんとの、素敵なお別れをされたようですね。
本来そうあるべきものだと思います。
最近、家族葬とか、いろいろな葬儀の形が出てきているようで
良い傾向だと思います。
かつて、日本人は結婚式にお金をかけすぎと言われたことがありますが
今は、お葬式にお金をかけ過ぎと言われているようです。
色々な因習やしがらみにとらわれがちな田舎ですが
これからは、新しい葬儀が催される様になることを期待したいものです。
by そらへい (2012-02-28 19:16)