送る [日々]
また久しぶりの更新になってしまいました。もう1月も終わりですね。
あまり正月らしい気分を味わえなかった今年の初めでしたが、ようやく落ち着いた日々が戻ってくるようになると、無性に鳥を撮りに行きたくなったり、レコードが聞きたくなったりしました。
飢えこそ究極の欲求ですね。その時、撮った写真や聞いたレコードのことでも報告しようと思っていたら、昨年末から体調を崩していた義母が今月半ばに亡くなりました。
暮れには医者に危ないと言われていて、宮守りと重なるとまずいなぁと思っていたのですが、義母は何とか持ちこたえてくれました。
12月の半ば頃から私たちの呼びかけにもほとんど反応がなかったのに、年が変わると目が開きだして、3日には目をはっきり開けて、話が出来るまでになったのです。
これには私たちも驚いて、一瞬奇跡が起こったのかと思いました。いつも人ごとには冷静な妻も、さすがに自分の親のことになると欲目が出るのか、、この分なら100歳まで生きられるのではなどと私に言うのでした。
それからしばらく、義母は起きたいとかお茶が飲みたいとかわがままを言うまでになっていたのですが、1月半ば、一日中牡丹雪が舞う寒い日、皆に見守られて息を引き取りました。
享年93歳、義父を亡くしてからも元気に暮らしていたのですが、次第に足腰が悪くなり数年前からベッドと車椅子の生活でした。
いつも何かしら冗談を言わないと気が済まない面白いおばあさんでした。なかなか役者で私たちがしばらく顔を出さないと、元気のない振りをしたりボケた振りをするのです。
でも、しばらく喋っているうちに何でもしっかり知っていることや、元気な仕草が出たりして芝居がばれます。また耳の遠さも、大事な事はしっかり聞こえていて、その使い分けの巧さに妻と二人でよく笑ったものでした。
12月、義母が体調を崩して反応が無くなる少し前に言ったことが印象的でした。妻が義母を励ますために、「おばあさんは足以外は何処も悪いところがないのやから元気出しな」と言うと、義母は「老人病や」と答えたのでした。そのときは、そんな言葉をすぐ返せる義母を凄いなと思ったのでしたが、この頃すでに意欲が減退していたのでしょうか。
妻の実家は私たちのところよりまだ少し奥になるのでもっと田舎です。お葬式、宗派は我が家と同じだったのですが、お寺や地域が違うと、やり方も少しずつ違って戸惑うことがしばしばでした。
20年近く前の義父の時は、葬儀は自宅、何もかも手作りの葬儀で大変でしたが、今は葬儀場を借りて葬儀屋さんが何でもしてくれるので、遺族としてはずいぶん楽でした。
ここは、妻の実家の「さんまい」です。さんまいとはどういう字を当てるのか、山に埋葬するから「山埋」でしょうか。義父の時は、ここへ土葬したのですが義母は火葬、骨はお寺の墓に入るのでここにはおりません。
それでも初七日から四十九日までの中陰中、七日ごとに遺族はここへお参りして線香を上げます。かつては、葬儀の列(ソウレンと言いました)が家からここまで歩いて、この場で葬送の儀式が行われました。
棺桶を置く石の台です。私たちの山埋にも似た石がありますがもう少し大きかった気がします。棺を担いだ列はこの石の周りを3回ほど回り、石の上に棺を置いてから、僧侶の引導を渡す儀式が行われます。
山埋の入り口に六体地蔵があるのも、規模は少し違いますが私たちの山埋と同じです。そばを道路が通っていて山埋の入り口は明るく道路から丸見えです。
私たちの山埋の入り口も昔は木々に覆われて鬱蒼としていましたが、今は切り開かれて明るくなっています。ここもかつてはもっと薄暗かったのではないかと思います。
これで私たち夫婦には親と言う存在がいなくなりました。これからは私たちが子供たちから介護されたり、看取られたりする番のようです。
お義母さまのご冥福をお祈り申し上げます
幾つになっても親との訣別は寂しく辛いものです
私はまだ親が遠くで行きているように錯覚することがあります
もう5年も経っているのに。
初七日から四十九日まで7日おきにお線香を上げに通うのですね
土地によって葬儀の方法が違い
その内容に改めて日本の葬儀が種々多様なのを実感しました
by めい (2015-01-30 22:57)
今日、ぼくも会社の同志を送りました。
64歳でした。あまりにも早いです。
今はただ、全身の力が抜けてしまったような感覚です。
無から生まれて、無に還る―
ひょっとしたら、ただそれだけのことなのかもしれません。
しかしそこには、朝日があり夕陽があり、晴天があり豪雨があり、
そよ風も台風も、灼熱も大雪もありました。
そのひとコマひとコマが、まるでスローモーションのように甦ります。
合掌。
by song4u (2015-01-30 23:17)
お母様のご逝去、お悔やみ申し上げます。
やはり御寂しいですよね。
でも奇跡的に回復されてお話が出来たのは
良かったですね。
お葬式の様子は地域によって変わるのですね。
初めて聞くことばかりです。
これからはご夫婦で思いやってお過ごしくださいね。
by yoko-minato (2015-01-30 23:23)
そらへいさん、こんばんは。
お義母様のご冥福をお祈り申し上げます。
最後の最後に、ご家族への挨拶をと、元気を出されたのでしょうね。
きっと、思い残すこと無く、旅立たれたと思います。
by プリウス (2015-01-30 23:27)
何かと大変であったでしょうが、ご苦労様ででした。
私は父親を送った時、あまりにもやることが多過ぎて
悲しむ暇なく盆まで突っ走りました。
だから今もって思い出に浸る事は無いです。
余命宣告されていたので、こちらも心の準備があったのかしらね。^^
by たいへー (2015-01-31 07:32)
私の父母はすでに他界しましたが、妻の父母が年をとってきました。いずれそういう時が来るであろうと思っています。お疲れが出ませんように・・
合掌
by takenoko (2015-01-31 08:58)
92歳の実母を思うと、そらへい さんのお気持ち実感として分かります。
by katakiyo (2015-01-31 10:14)
ご義母様の逝去お悔やみ申し上げます。
地方によって葬儀やそれにまつわる風習が随分と違うものなのですね。都会は簡素化がどんどん進んでます。
by kei (2015-01-31 15:09)
お義母さまが途中で回復された時の話を読んでいて
海水魚の餌のやり方を病室で母に話していた父のことを思い出しました。
結果的に、それが父の遺言だったのですが。
昨年秋、がんの告知をされてから、いろいろなことを考えました。
>無から生まれて、無に還る
songさんのコメントに、大きくうなずいてしまいます。
by cafelamama (2015-01-31 17:20)
お義母さまのご冥福をお祈り申し上げます。
歳には勝てませんよね、我が家もいろいろと有ります。p(^-^)q
by himanaoyaji (2015-01-31 17:38)
南無阿弥陀仏
by 夏炉冬扇 (2015-01-31 18:42)
めいさん
こんばんは
いくつになっても親は親、別れてみるとありがたみが分かりますね。
もう庇護してくれる存在はなく、庇護すべき存在を思います。
順番だからそれはそれでいいのですが。
四十九日まで浄土宗(他の宗派もそうかもしれません)では中陰と言うそうです。
これは妻の所の方が簡便で、私たちのところでは
坊さんをはじめ近所、親戚が7日ごとに家にお参りされます。
我が両親の頃は、食事の支度もしていましたが
最近は菓子程度になりました。
by そらへい (2015-01-31 20:09)
song4uさん
こんばんは
64歳と言えば、今年私の年齢です。
明日は私かも知れないのですね。
ご冥福をお祈りします。
人は死んでしまうとあっけないものですね。
でも、田舎故か、葬式の段取りなどをしていると
いつも人一人が死ぬのは大変な事なんだなぁと思います。
これは社会とのつながりから別れる行事なのでしょうね。
去る者は日々に疎し
生きている人たちは生きるのに忙しく、つれないものですが
せめて私たち遺族の思い出の中ではいつまでも生き続けて欲しいものです。
by そらへい (2015-01-31 20:18)
yoko-minatoさん
こんばんは
12月のあのまま亡くなっていたら
私たちの中に悔いの様なものがあったのですが
そんな思いを救うように復活してくれ
話が出来たときは本当に嬉しかったですね。
いつも冗談ばかり言っていた義母ですが
私たちのことを思って頑張ってくれたのかも知れません。
私の子供の頃の葬式の思い出は
よくテレビである古い映画のシーンのように
野面を葬式の列が行くものです。
いつか、ブログに書いてみたいと思います。
by そらへい (2015-01-31 20:23)
プリウスさん
こんばんは
ありがとうございます。
ほんとうに最期に皆に別れを告げるために
復活してくれたのだと思います。
ほんとうに瀕死の床にあっても
あんなことってあるのですね。
さすが、親ですね。
by そらへい (2015-01-31 20:26)
たいへーさん
こんばんは
私の両親や義父の頃に比べると
葬儀場を使ったりして田舎の葬式も簡略化が進んでいますが
それでも、いろいろなしきたりが残っていたりして
人一人が亡くなるというのは大変なことですね。
私はこの頃になって、第一子が生まれたとき
喜びの電話を義母にしたことなど、
いろいろ思い出すことがあります。
by そらへい (2015-01-31 20:32)
takenokoさん
こんばんは
親になれば親の、子になれば子の
それぞれ役割がありますからね。
いずれ皆にくることではありますが
まずは順番通り、ことが済んでくれるのが大切かと思います。
by そらへい (2015-01-31 20:35)
katakiyoさん
こんばんは
92歳、一歳違いですね。
お元気にされているのでしょうか。
子供にとって親は唯一
いつまでもいて欲しいものです。
by そらへい (2015-01-31 20:39)
keiさん
こんばんは
田舎もここ10年あまりでずいぶん葬式も簡素化されてきました。
とくに葬儀場を使うようになって顕著です。
昔のしきたりが残っているところはちょうど今、その端境期
中途半場になっています。
by そらへい (2015-01-31 20:41)
cafelamamaさん
こんばんは
死の間際にもそうしたドラマがあるように
どんな人の生にもドラマは少なからずあるのですね。
死というか、生というか、あまりにもあっけないものですが
何か食い込ませたいと、若い頃粋がっていたことを思い出しました。
>無から生まれて、無に還る
そうなのでしょうが、なかなか達観できない自分がいます。
by そらへい (2015-01-31 20:51)
himanaoyajiさん
こんばんは
面白いことばかり言っていたばあさんでした。
足が悪くなってから歩けなくなって気の毒だったので
この辺が限界だったのかも知れません。
by そらへい (2015-01-31 20:57)
夏炉冬扇さん
こんばんは
ありがとうございます。
by そらへい (2015-01-31 20:58)
そらへいさん、お悔やみ申し上げます。
信仰が違うので死に対する思いも違いますが
私も、5年前、義母と母を相次いで亡くしたとき
つくづく「死は不自然」と思ったものでした。
たった今まで息をしていた何も変わらない母たちが今はもう息をしていない。何も見た目に変わらないのに「生と死」にへだてられている。
永遠に生きられるように人間のつくりはできているのに・・・
しかし、失ってみてありがたみは増しますね。
まだ寒い日も続きますご自愛ください。
by sigedonn (2015-02-01 10:24)
お義母さまお悔やみ申し上げます。
僕も親父の時は葬儀屋がやってくれましたが、預金や、PCのパスワード等、色々ありました。
でも、そらへいさんが落ち着かれてきたという事で音楽が聴ける環境にはなりつつあるのではないでしょうか。
by ski (2015-02-01 18:21)
sigedonnさん
こんばんは
私は歳のわりに臨終に立ち会ったことがあまりなくて
きっちり立ち会ったのは実の母と義理の母だけ
これも何かの巡り合わせでしょうか。
本当に炎が消えていくように呼吸が途絶えて行きますが
眉間の皺が消えて顔が穏やかになっていきます。
その顔を見て、我我遺族は死を納得できるような気がしました。
親の庇護に勝るものは、見当たりませんね。
自分が年老いても、重病の床にあっても
恒に子供のことを心配しているのが親ですね。
by そらへい (2015-02-02 21:08)
skiさん
こんばんは
私も父を亡くしたときは、急だったのでいろいろ大変でした。
今度は、私が息子に面倒見てもらわないといけないので
いろいろ整理しておく必要性を感じています。
今年は年の初めからいろいろあって、
今のところ、なかなかゆっくり出来そうにない感じです。
by そらへい (2015-02-02 21:12)
年末、お正月といろいろおありだったのですね。
そして瑞々しいいのちの誕生と。
最近はほんとうに覚悟するようになってきました。
10年があまりにも早い感じがして、、、。
過ぎ去った日々はあっという間な気がしますが、
育てる日々はなかなか大変なような。
お孫さんの健やかなご成長をお祈りします、
そしてご夫婦の健康と。
最後になりましたがお義母様のご逝去、お悔やみ申し上げます。
by watmooi (2015-02-07 23:14)
watmooiさん
こんばんは
ありがとうございます。
本当にいろんな事があって、
時間もそれに連れどんどん経っていって
残された時間がどんどん減っていっているのを感じます。
まだまだやらなければいけないことがあるので、
健康で身体が動く限りは
頑張らなければと思ってますが
どうなるでしょう。
by そらへい (2015-02-09 20:29)