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 [読書]

 ちょっと怠けている間に、風薫る5月の暦も進んで残すところあと一日となってしまいました。ほんの少しの時間の違いなのに6月と言うとうっとおしい梅雨のイメージです。実際、5月末のこの数日、爽やかさをすっかり通り越して夏の気候になってしまいました。 

 今日は最近読んだ本の話でもしてみたいと思います。他の本を読んでいると堀辰雄「風立ちぬ」が出てきました。そういえば昔読んだけれど、どんな内容だったか忘れています。気になって再読したくなりました。

 「風立ちぬ」と言うと、今の人はジブリの「風立ちぬ」を連想するでしょうか。


 それとももう少し前の世代の人たちだと、やはりこちらでしょうかね。

 

 何度もタイトルが映画や歌に使われているくらい、この「風立ちぬ」という言葉には人を惹きつける魅力があるのではないでしょうか。ポール・ヴェレリの詩「風立ちぬ、いざ生きめやも」から取られています。私も高校生の頃、この言葉に惹かれて読んだような気がします。ほとんどストーリーを覚えていませんがキーワードとして恋人とか肺結核、サナトリウムという言葉が浮かぶだけです。


風立ちぬ

風立ちぬ

  • 出版社/メーカー:
  • 発売日: 2012/09/13
  • メディア: Kindle版

 ジブリの「風立ちぬ」で、小説も著者の堀辰雄も再度脚光を浴びたのではないかと思います。ジブリの映画は見ていないのですが主人公二郎はゼロ戦の開発者堀越二郎と堀辰雄をごっちゃにした人物なのだそうです。

 映画の舞台も大正時代だそうですが、堀辰雄が生きた時代も大正から昭和にかけてです。堀辰雄は明治37年生まれで没したのが昭和28年、48歳という若さでした。

 ただ読みなおしてみようと思っても、もう私の手元に本がありません。それで本屋さんに行ったのですが、文庫の棚を探しているうち、ひょっとしたら青空文庫に入っているのではないかと思い、スマホで検索してみたらありました。 

 この本が出版されたのは大正か昭和のはじめでしょうか。それから何十年かたって、文庫化されたものを私は読みました。それからまた40年あまりが経って、今では手元の小さなスマホで電子書籍として読めるようになるなんて、誰が予想したでしょうね。

 さて読みなおしてみて、ストーリーをほとんど覚えていないのは年月のせいばかりではないと気づきました。この小説、ストーリーらしき展開がほとんどありません。冒頭の絵を描いている場面から、恋人(婚約者)の父親との会話を経て、あとはずうっとサナトリウムでの二人の生活が描かれているだけなのです。

 いまどきのストーリー展開がめまぐるしい小説からすると物足りないこと甚だしい作品です。文章の調子も古典とまでは行きませんが、少し古臭さを感じます。

 ただ、物語の中で刻々と描かれている信州の風景の描写は美しいと思いました。信州のサナトリウムから見える浅間山、雲、風、光、単に描写するだけでなく、主人公とその婚約者の心理が投影されています。そこにこの小説の一番の美点があるように思いました。

 この時代、結核は死の病でした。そんな中、主人公の婚約者も空気の良い信州のサナトリウムで療養することで病を癒やそうとしますが病状は逆に深まっていきます。

 章の断片をつなぎあわせたようなこの小説は、若い時読んだ記憶ではセンチメンタルだったと思ったのですが、今回読みなおしてみてそれとは対極であることに気づきました。この小説では、恋人の病やその死を、泣くでもなく嘆くでもなく淡々と描いています。涙や悲しみという言葉も出てきません。 

 タイトルとともに美しい自然描写の中で、淡々と描かれる二人の生活、死への恐れは通奏低音のようにあるのですが、二人の心理の機微が美しい音色のように奏でられます。小説というより一遍の詩、あるいは静かなバロック音楽のようでした。 

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春待ち顔 [読書]

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  あまり長い間、引っ込んでいると忘れられそうなので出てきました。いえ、私ではなくオオイヌノフグリです。他の方のブログでお見かけしたので、もしやと思ってわが裏庭を見てみたらいつの間に咲いたのでしょう。思ったよりたくさん咲いていました。

 もっとも咲いていたのはオオイヌノフグリだけでした。その方のブログには、ほかにヒメオドリコソウハコベもありましたが、わが裏庭はまだ褐色の冬景色が濃いようです。

 ブログを休んだこの3週間、ずいぶんゆっくりできた気がしています。念願の本もぼちぼち読めていますし音楽も聴けています。寒い日、ストーブのそばでお気に入りの音楽を聞いたり、本を読めるのがすごく幸せに思えました。

 中途半端のままになっていた、旧XPパソコンから新7パソコンへのデーター移行もようやく完了しました。今まで二台のパソコンに囲まれていてうっとおしかったのが、パソコン一台だけになって机の周りはずいぶんすっきりしました。

 古いパソコンは、まだXPが何とか動くので母屋に持って行きました。ただ動作がかなり重くなっているので一度リカバリをしようとしたら、ハードディスク内にあるはずのリカバリプログラムが見つかりません。

 どうもこのあたりから調子がおかしいのです。フォルダがあることは確認していたので、バックアップCD捨ててしまってました。メインのパソコンではないのでこのまま使い続けるしかなさそうです。

 さらに追い討ちをかけるように、先日下書きしてあったブログ記事がどこを探しても見つかりません。なかなか更新の意欲が沸かなくて、やっと書き出したものだったのです。

 ウインドウズ7には強力な検索機能があるそうなので、パソコン内を検索してみましたが出てきません。そんなつもりはないのですがおそらく保存しないで終了してしまったのでしょう。

 ブログを休んで時間に余裕を持てるようになったのは良いのですが、反面少しだらけて緊張感のない日々を送っている気がします。忙しさと充実は紙一重、余裕とだらけも紙一重なのかもしれません。

 ここへ来てなんとなく浮かぬ気分が続いているのは長い冬のせいでしょうか。ブログを書かなくなってリズムが狂ってしまったのでしょうか。せめて暖かくなってくれたらと春待ち顔のこのごろです。

つづく


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奇妙な模様~二十歳の原点 [読書]

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 あんなに待ちわびた桜も、もう葉桜です。花吹雪が舞って思わぬところまで飛んできて、家の外に放ってあった古い靴に、カタツムリとともに奇妙な模様を作っていました。

 さて、今回は前回アップしようと思っていた最近読み直した本の感想です。先日、song4uさんのブログで久しぶりに目にして、図書館で借りて一気に読みました。

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 「二十歳の原点」
 著者は当時立命館大学の三年生だった高野悦子さん。彼女が残したノートを父親が編集して1971年に出版されました。もう40年あまり前のはなしです。この本が出版されたとき、私はちょうど二十歳でした。

 読みはじめたとき、つい今の自分、60歳になった大人の目線で読んでしまっているのに気づきました。分別くさい感想など今更何の役にも立ちません。20歳の目線に戻って読み直しました。

 そうすると、そこに書かれていることは、かつての自分であること、40年前にすっかり置き忘れてしまった自分であるを気づかされました。

 若さ故の自意識過剰、矜持、コンプレックス、孤独感、焦燥、そうしたいろいろな思いが何の脈絡もなく、感情の赴くままに詰まっています。かつての自分がそうであったようにです。

 

 この本をはじめて読んだのはいつ頃だったのか記憶がありません。私はへそ曲がり、ベストセラーは冷めてからでないと読まないようにしていました。ですからこの本を読んだのもたぶん発売2.3年後、ひょっとしたらもう少し後だったかも知れません。

 著者と同時代人であった私は、この本を読んだとき自分にあまりに近すぎたせいか、かえって反発したのでしょうか。今回読み直したときほど共感を感じた記憶がありません。あるいは、自死した著者を意識的に遠ざける自己防衛反応が働いていたのかも知れません。

 ただ、本の中で、京都の有名なジャズ喫茶「しあんくれーる」が何度か出てきたことだけを記憶していました。

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 著者、高野悦子さんは1949年生まれで私より二つ上です。この本で綴られている1969年という時代は学園紛争の真っ只中の時でした。彼女は大学2回生から3回生、私は高三の受験生であり大学入学したところでした。

 それまで受験勉強に邁進していた私は、この頃すでにバランスを失って、社会問題研究会や部落問題研究会に誘われるままに参加し、「友よ」などを歌ってました。

 本の中で、彼女がなぜ大学に来たか、と自問する場面がありますが、その時同じように私を捕まえていた思いは、なぜ大学に行くか、でした。

 こんな問いは今の若い人から考えたら笑い話です。いえ、それどころかそれから9年後、弟が大学に行くときすでに誰もそんなことは思いもせず、皆、迷わずに受験勉強をし当然のごとく、大学に行きました。

 しかし、あの時代、私たちにとっては重要なテーマだったのです。そこから自己を懐疑し、否定して乗り越える。弁証法的に言えば止揚していくのです。

 大人たちにこの思いをぶつけると、返ってくる答えは決まっていました。それは大学に行ってから考えればよい、と言うものでした。


 すでに大学生だった彼女は、なぜ大学に来たのかと言う問いを自らに突きつけながら、大学生活を送らなければいけません。自分を疑うこと、自分を否定しながらなおも生き続けなければいけない矛盾が生じます。こうして彼女はバランスを失っていきます。

 学園紛争がこの時代の若者にとって、特別過酷であったかどうか。日本、世界中を巻き込み、有無を言わさぬ戦争や飢餓に比べれば、全ての若者を包括しない学園紛争がどれほどのものだったのか。

 独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。---あとから思えば全てが自明の理であることを、彼女は真摯に見つめ続けます。いつの時代もそうであるように、若さというのは、賞賛され美化される一方でこれほどに過酷であったかと思います。

 「君は代々木系か反代々木系か」と言う問いを不信な敵意に満ちたまなざしで投げかけられる。しかも一年間、同じ机で学んだクラスの友達からその眼ざしを受けると私は寂しく悲しくなる。真剣に不信も無力感も感じてはいるが、何の態度も表明できずにいる無力な私、どっちもどっちだと考えることで辛うじて己の立場を守っている私。

 多くの学生は、この寂しさと屈辱感に耐えられず闘争に身をゆだね、エスカレートしていったのではないでしょうか。彼女もそんな独りだったのだと思います。

 この当時、学生運動をすることは当然のように思われていました。むしろどのセクトに属するかが問題視されたほどです。

 私の大学でもデモの当日になると、学生寮には大きな嵐が吹き荒れたようでした。嵐が過ぎ去ると、大勢の仲間たちを連れ去っていきました。もちろんただ見物に行っただけの者もいたのですが。

 寮に残された面々と来たら・・・私は決して彼らに与する者ではありませんでした。むしろデモに参加していった連中や仲間にこそ共感していました。私が好きだった友人satoはこの闘争の先頭を切っていました。それでも私は一緒に行動することが出来ませんでした。

 その頃、ノンポリであること、行動しないことは一種の悪でしたね。そしてその罪悪感、敗北感のようなものは、その後もずっとのしかかり続けるのです。

 1970年11月、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地でアジ演説をして割腹自殺を遂げます。私は、寮の近く、いつも行く焼きそば屋のおばちゃんとテレビ中継を見ていました。この頃からです。急速に学生運動は衰退しやがて沈静化していきます。

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 今「二十歳の原点」をあらためて読み直してみるとその言葉の端々に、共感とともにあるもどかしい思いが交錯します。その頃私たちが一生懸命思っていたこと、捕まっていた思い・・・でもそうではなかったんだよ、と言いたくなります。

 彼女は、アルバイト先の若者が得ている給料より自分が受けている仕送りの方が多いことに気づきます。安穏な下宿を離れ、独りで生きていこうとしながら、誰かを求め続けます。

 彼女がそこでしかありのままの自分を吐露出来なかったノート、いつも自分を見つめ自分に語りかけていた孤独なノート、私が彼女に共感を抱くのは、この本が同時代であるとともに、そのノートによって構成されているからかも知れません。

 なぜなら私も自分自身に話しかけるように20代の自分をノートに綴っています。もちろん、内容は、彼女ほど高尚ではないのですが、時々彼女の叫びが私のノートの中のフレーズと重複します。

 今回ほぼ40年ぶりに読み直し、読み終えたときの寂莫とした寂しさ、やりきれなさのようなものに行き当たって、そういえば以前読んだときに感じた思いもこんな風だったと思い出しました。

 song4uさんによるとこの本が古書店で80円で売られていたそうです。彼女が命を賭して過ごしたあれほどの日々も、40年という歳月の果てに、風化してしまうのは仕方ないことなのかもしれません。

 ここに書かれていることは、独りの若い女性の普遍的な思いなのですが、今の若い人が読むと当時の時代背景である学園紛争が理解できないかも知れません。

 この当時世間を、とくに学校を席捲していた学園紛争が、あの忌まわしい浅間山荘事件だけで総括されてしまうとしたら、それは残念ですね。


 この頃、音楽は洋楽邦楽を問わず、花盛りだったような気がします。歌謡曲は当然、放っておいても耳に入ってきます。3度目のブレイク中の由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」もこの頃でした。寮やアパートの部屋では吉田拓郎を筆頭にフォークソングが流行っていました。

 洋楽ではビートルズの解散がささやかれ、ボブ・ディランや、ジョーン・バエズの反戦歌の向こうから、ビートルズに次ぐ流れであるかのように、サイモン&ガーファンクルが流れはじめていました。「二十歳の原点」の中でも、ジャズやクラシックの記述に混じって、著者が「スカボロフェア」を口ずさみながら夜道を帰る場面があります。


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ブルーノート・コレクターズ・ガイド [読書]

DSC_4215.JPG ブルーノート・レコードのレーベルと言えば、左の写真にある白に青色が入ったデザインです。これは創業者のアルフレッド・ライオンが彫刻家マーティン・クレイヴに依頼したものだそうです。

 

 

 

 

DSC_4219.JPG ところが私が持っているブルーノート・レコードの中に、このデザインとは違うレーベルのものがあります。主に1970年代に買った輸入盤(当時ブルーノートは輸入盤しかなかったそうです)で、レーベル全体が濃い紺色に塗りつぶされ、黒字のデザイン文字の中に音符のマークが繰りぬかれています。

 またこの紺色レーベルのレコードは、オリジナルのレコード番号の前に8が付いて、5桁になっているのが共通した特徴です。

 元々がモノラルのレコードであるのに、ステレオになっているということ自体、いかがわしげです。編集されて擬似ステレオ盤として再発売されたのでしょうね。1970年代初めの頃と言うと、ステレオどころか4チャンネルなんて言われていた時代です。ステレオ以下、つまりモノラルでは太刀打ちできなかったのかも知れません。

 それにしてもオリジナルと違うレーベルデザインのブルーノートが存在すると言うことが気になります。まさか、偽物ではないのでしょうがこのレーベルのことはあまり聞いたことがありません。

 

ブルーノート・コレクターズ・ガイド

ブルーノート・コレクターズ・ガイド

  • 作者: 小川 隆夫
  • 出版社/メーカー: 東京キララ社
  • 発売日: 2006/03
  • メディア: 単行本

  で、ちょっと調べてみようと、図書館の音楽書籍のコーナーで見つけたのがこの本です。ぱらぱらっとめくってみたら、レーベルの写真が載っていたので、何かわかるかもしれないと借りることにしました。

 かなり分厚い本ですが、巻末はブルーノート・レコードのディスコグラフィになっているので、実質は150ページほどです。面白くて一気に読みました。

 内容は著者、小川隆夫氏がいかにしてブルーノート・レコードのコンプリートコレクターになったか、その馴れ初めから現代に至るまでを自伝的に綴ったものです。

ゲッツ/ジルベルト   読み始めてすぐ著者が私と同世代と言うことがわかりました。巻末の著者の経歴を見ると1950年生まれとあるので、私より一歳上なだけです。しかし、それにしては中学生ですでに「ゲッツ/ジルベルト」を聞き、マイルス・デイビスの初来日コンサートに行ったと言うのは驚きです。

 私が中学生の頃、我が家の音楽環境はテレビしかありませんでした。当時、どのチャンネルでも歌謡曲のベストテン番組があり、どんなにがんばってもポップスの香りがするのはグループ・サウンドか加山雄三くらいのものでした。

 同世代でありながら、この違いはいったいどこから来るのか、いぶかりながら読み進むうちに分かってきました。著者はお医者さんの息子でしかも東京は成城育ちの方でした。

 この環境が彼をして、ブルーノート・レコードのコンプリートコレクターに仕立てていったことは間違いなさそうです。彼は中学生、高校生にして小遣いでいくばくかのレコードを買える身分でした。

 かつ彼の周りには渋谷など東京の大都会があり、様々な情報を仕入れることができる店と人のつながりがありました。そういう土壌の上に、ブルーノートに対する愛情と憧憬、収集に対する情熱と、それに伴う資金があって成し遂げられたのだと思います。

 15年にも及ぶコレクションの結果、著者はアルフレッド・ライオンからブルーノートのコンプリートコレクターであることを認められたそうです。また、整形外科医でもあり、ジャズに関する著作やレコード・プロデュース、DJなどもこなしてるそうです。

 面白かったのは著者がアルフレッド・ライオンにオリジナル盤について質問したくだりです。ブルーノート・レコードには数々の不思議があるそうなのですが、その中のひとつ、レーベルにある溝(グルーヴというそうです)の有無について質問すると、ライオンは「なぜそんなことが重要なんだね?」と訝しがったそうです。

 コレクターやマニアにとって大事なことも、直接、音や音楽には関係ないこと、当然のことながら、作った本人はそんなことぜんぜん気にしていないのですね。

 全体的に日本のマニアはオリジナルにこだわりますが、欧米コレクターは聞ければよいというひとが多いそうです。その結果、精巧に作られた日本の再発盤がアメリカの中古店、オリジナルコーナーに混じっていたりすることもあるとか。

 ほとんどのブルーノート・レコードを集めつくした著者はさすがにオリジナル盤に対する優れた目利きと見解があり、いくつかのチェック項目を持っています。

 レコードが録音された時期が特定できるアドレス、録音技師ルディ・ヴァン・ゲルダーRVGの刻印の有無、Rマーク、額縁ジャケット、グルーヴ・ガード、ジャケット・コーティング、ジャケット・デザイン、スタンパー、ディープ・グルーヴ、フラット・ディスク、耳マークなど多岐にわたっています。

 ほぼ完璧なコレクションを極めた著者だから言えるのだと思うのですが、これだけしてもなお、ほんとうのオリジナル盤は発売されたそのときに買った人でしかわからないと言っています。こうなるとオリジナルコレクションももう神の領域ですね。

ハンク・モブレー  ブルーノートのプレミアム・レコードになると、マニアやコレクターは数十万円も出すことがあるのだそうです。ちなみにブルーノートでいちばんのプレミアムレコードは1568番の「ハンク・モブレイ」なんだそうです。

 どんな演奏か、今ならレコードを持っていなくてもCDで聞くことができますね。

 

クール・ストラッティン [12 inch Analog]  また、ブルーノートでトップ・セールスを記録しているのは、ソニー・クラークの「クール・ストラッティン」だそうです。あの例のジャケットデザインですね。

http://www.youtube.com/watch?v=-j0k8EnNcT8

 

 この本の中で、ブルーノートと言うレコードの存在は、ひとつの奇跡として語られています。まず創業者でありかつ優れたプロデューサーだったアルフレッド・ライオンの存在なくしてありえないことでした。そして彼の相棒でもあり、写真と経営管理を行ったフランシス・ウルフの存在、伝説的録音技師、ルディ・ヴァン・ゲルダー、カバーデザインを担当したリード・マイルス、この人たちが集まって稀有なレコード、ブルーノートが完成したのです。

 ブルーノートには、若いジャズ・ミュージシャンのエネルギーが詰まっています。はじめクラシック・ジャズからレコーディングしていったライオンは、やがてモダン派の若手で粋のいい無名ミュージシャンを使う方向に切り替えて行きます。そして彼らによってブルーノートの名声とともに、次代のハード・バップが形作られていったのです。

 そんなジャズのエネルギーの塊みたいなレーベル、ブルーノートの魅力に著者がはまり込んでいったのも無理のないことと思います。

 残念ながら、この本には、私が疑問を抱いた紺色のレーベルについては、一行も書かれていませんでした。おそらく、語るに値しない存在、少なくともコレクションには遠くかけ離れた存在には違いないのだろうと思います。

 ブルーノートのレーベルについては、かなりいろいろな種類があるようです。私が持っている青ベタ盤(などと呼ばれているそうです)レーベルについては、ネット等でただいま調査中、またわかり次第アップしたいと思っています。

 

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「新・エヴァンスを聴け!」 [読書]

 今年は春が遅いとか、不順だとついこの間まで言っていたような気がするのですが、いつの間にかもう7月、いつもの蒸し暑い梅雨のど最中となりました。

 以前、tempoさんがブログで紹介されていた「新・エヴァンスを聴け!」ようやく読み終えました。この一月あまり、眠る前に枕元でぼちぼち読んでいたのですが、つい眠気に負けてしまうことが多く、思いの外手間取ってしまいました。

 

新・エヴァンスを聴け! (ゴマ文庫)

新・エヴァンスを聴け! (ゴマ文庫)

  • 作者: 中山 康樹
  • 出版社/メーカー: ゴマブックス
  • 発売日: 2007/12/05
  • メディア: 文庫

 

他にも、マイルスを聴け!〈Version8〉 (双葉文庫)ジョン・レノンを聴け! (集英社新書)超ブルーノート入門 ―ジャズの究極・1500番台のすすめ (集英社新書) など音楽関係の著作が多数あります。

 「新・エヴァンスを聴け!」で、紹介されているビル・エヴァンスのアルバムは187枚です。1ピアニストが出したアルバムの枚数としては凄い量ですが、その中には、ブートレグ(海賊盤)や、エヴァンスが発売を許可していなかったものや、エヴァンス没後に発掘された音源などをアルバム化したものなども多く含まれているようです。

 著者はこれらのアルバムを年代順に、音楽の専門的な分析と歴史的背景なども交えて一枚一枚、一曲、一曲丁寧に論評しています。
 
 エヴァンスの魅力はその「かっこいいフレージング」にあると言います。「ワルツ・フォー・デビー」に代表される知的でリリカル、繊細でロマンチックなイメージは、エヴァンスの一面を捉えたものでしかないと言い続けます。

 著者はエヴァンスのアルバムの中でYou Must Believe in Spring を絶賛しています。エヴァンスだけではなく、ピアノトリオの傑作、マイルス・デイビスにおける「カインド・オブ・ブルー」のようなものとまで言っています。私はこのアルバム持ち合わせておりませんが、一度聞いてみたいと思います。

 エヴァンスの生涯はその情緒的なイメージとは違って、ジャズや音楽に対して激しく情熱的であったと説きます。生きながらえることよりも、音楽に忠実であること、寡黙で男らしく、ハードボイルド的でさえあったと言っているようです。

 私はエヴァンスと言えば、世間のおおかたと同じく、「ワルツ・フォー・デビィ」「ポートレイト・イン・ジャズ」「エクスプロレイションズ」「サンディ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」と言った、リバーサイド四部作のイメージしか持っていなかったのですが、少し前に「The Tokyo Concert」を聞いて、あれっと思ったことがあったので、この本を読んでいくうちなるほどと思わされることがありました。

 そのことについて、詳しくはまた今度書こうかと思います。

 


追記
 誤解を招く事になってしまいました。中山氏が高く評価しているのはアルバムタイトル
「You Must Believe in Spring 」の方で、1977年録音です。
そのアルバムの冒頭がこちら「B Minor Waltz」です。


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ショック! [読書]

 サッチモことルイ・アームストロングは少年時代に銃をぶっ放して、少年院送りになり、そこで彼の身を助けることになった、コルネットを教わったのだそうです。

 この話は有名なことなのかどうか、私は知りませんでしたがこの逸話は興味を引きました。この頃の彼の生涯を語った伝記「ニュー・オルリーンズの青春~サッチモ」があるというので、捜してみました。

 古い本らしく書店には無いし、図書館にもありません。アマゾンで検索してみるとマーケットプレイスでわずかに一冊だけ引っかかりました。480円の本が3000円あまりしました。3000円というとレコードやCDが二枚買える勘定ですが、この際仕方ありません。

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 裸足で走り回っていた子供の頃、ホンキー・トンクとパレード、6人の継父の話、年末の祭りに銃をぶっ放したこと、最初は冷たかったがやがて彼にコルネットを教えてくれた少年院の教師、少年院を出て、ほかの仕事をしながらも少しずつ歌とトランペットで腕を上げていったこと、葬式とストリーヴィル、彼を魅了した先輩ミュージシャンたち、彼の周りの飲んだくれや荒くれ、そしてとうとう尊敬するジョー・オリバーに誘われてシカゴへ旅立って行くところで話は終わっています。

 自伝ですがサッチモが書いたと言うより口述筆記されたものを訳されているみたいです。終始明るい口調なのですが、案外読みづらかったのは時代のせいでしょうか。

 寝る前に少しずつ読んでいたので思ったより時間がかかりました。若い頃は、面白くなると寝るのも惜しんで読みふけりましたが、今は眠さに負けてしまって、なかなか読み進めませんでした。

 読み終えて、しばらくその辺に放っておきました。さすがに片づけなければいけなくなって、先日安ものスチール本棚の、音楽関係の書籍の所を探っていたらよく似たグレーの背表紙が目にとまりました。思わず手に持っている「ニュー・オルリーンズの青春~サッチモ」と何度も見比べてしまいました。

 そうです。この本すでに持っていたんです。いつ買ったのか。どこで買ったのかもさっぱり覚えがありません。もちろん読んだ記憶もありません。若い頃の私は、一度手にした本はよほどのことが無い限り、読むようにしていたのですが、まったく記憶がありません。

 おそらく20代の頃買ったのでしょうか。書棚にあった本もどうやら古本で購入しているようで、巻末に購入者の判を消したマジックの後がありました。

 歳をとっていくと言うことは、それだけ覚えることが増え、逆に忘れ去っていくこともどんどん増えていくことなのでしょうが、それにしてもまるっきり覚えが無いと言うのも困ったものです。

 そういえば、この間も寺島靖国さんのオーディとジャズの本を図書館で借りようとしたことがありました。家に帰って本棚にあるのに気づいて危ないところだったと思ったのですが、こちらの場合は図書館の本なので借りても実害はありませんでしたが。

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 こうして横に並べると、どちらが先に買った方かさっぱり分かりません。どちらも奥付は、昭和45年、2月25日、第1刷り発行です。サッチモが亡くなる半年前の発行ですね。発行元は音楽の友社です。訳者の鈴木道子さんは「ボブ・ディラン」も訳されているようです。

 ただ、今回、買った本の中にサッチモの死を惜しむ朝日新聞夕刊の記事の切り抜きが入っていました。あいにく日付は分からないのですが、たぶんサッチモが亡くなった1971年7月6日直後の記事だと思います。この本を持っていた人は、サッチモのファンだったのでしょうね。今ならこの間のマイケル・ジャクソンの訃報を思い起こさせます。

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