草引きの合間に [その他]
遅れていた我が家の畑、2月の末にイチゴに追肥をしてマルチをかけました。その後、今年はちっとも葉が大きくならないので心配していましたが、このところの急な暖かさ、今日見てみたら葉は成長し花さえ咲いている苗がありました。
エンドウは3月半ばにようやく支柱をして追肥を施したばかりなのですが、もう花が開きました。
隣県の京都や奈良ではもう開花宣言があったようですが、滋賀ではまだ聞きません。我が家の桜の蕾、こんな感じです。ここ数日の暖かさで急に丸くなり膨らんで来ました。開花ももう間近でしょう。
エンドウ豆の支柱と追肥を終えてほっと見回してみると、畑のあちらこちらにオオイヌノフグリやホトケノザなどに混じって雑草が青々とはびこり始めていました。
冬の間、褐色一面だった畑の周りの休耕地もいつの間にか緑が浸食し、春の使者としていつも楽しみにしているオオイヌノフグリやハコベ、スズナ、ホトケノザなど小さく地味な花でいっぱいになっています。
休耕地はともかく、畑の中はそのまま放置しておくわけにもいきません。春の使者たちもここではたんに厄介者、容赦無く引き抜きます。
草引きをしている畑の奥は雑木林です。鳥たちの声がしきりとしています。雑木林は鳥たちのねぐらになっているらしく、カラスやハト、スズメ、ヒヨドリなどが出入りする姿をよく見かけます。
時々季節の野鳥、ツグミやモズなども、私のカメラから逃れてこの雑木林の暗がりの中に姿を隠します。その雑木林から今日は雛でも孵ったのでしょうか、ピヨピヨと高く賑やかな声がひっきりなしに続いています。
草引きや畑作業の時は、ポケットにスマホを入れて畑に出ます。気分によってネットラジオを聞いたり、アプリで音楽を聞いたりします。今日はお喋りがうるさく感じられたので、itunesに保存してあるお気に入りの音楽を聞くことにしました。
パソコンのitunesフォルダから専用ソフトでスマートフォンにコピー、SDカードに保存して、あとはウオークマンアプリで再生します。ほとんどが5.60年代のジャズです。
退屈な草引きも好きな音楽を聞きながらだと気が紛れます。ランダム再生にしているのでアニタ・オディやエラ・フィッジェラルドのボーカルからビバップやハードバップの演奏が無秩序に次から次へと流れます。
ある時、何の曲だったか、ふと何とも言えない懐かしい空気に包まれました。東京のジャズ喫茶で聞いていた匂い、雰囲気が突然蘇って私を包み込んだのです。時間もシチュエーションも違う中で音楽が介在するこの幸福な瞬間に私はひととき浸ります。
草を引くとき、堅い根に阻まれて草が途中でちぎれてしまいます。ちぎれた草が淡くむせかえる匂いを放ちます。それはまたいつのことか、もっと幼い頃、子供の頃にかいだ匂いを思い起こさせます。
草引きのような単純労働をしながら、一刻一刻いろいろな事を感じたり思い出したりする瞬間が私は好きです。いえ決して草引き作業が好きなのではありません。無心に何かしているとき、私の心を過ぎるいろいろな思い・・・それらの思い、感情、感覚はまさしく私が今生きている証のように思えるのです。
もちろん、いつもそんなことを思って草引きや他の作業をしているわけではありませんし、いつも過去の甘味な思い出に浸っているわけではありません。また思い出が常に甘いものばかりでもありません。
普段、私は欲しいものの多さの割にお金の少なさを嘆いたり、人や物の間をぶつぶつと愚痴などをこぼしながらあたふた生きているのが常なのです。だからよけい、そう言う瞬間が大事に思われるのかも知れません。
himanaoyajiさんのところでこちらは土筆はまだとコメントしたのですが、よく見てみたらしっかり生えていました。
どなたのブログだったか、苔に落ちた椿の花の写真が印象的でした。我が家には苔むした庭はありません。何の変哲もない地面に一輪、落ちていたのを珍しくマニュアルで撮ってみました。
白ばかりだった我が家のスイセン、妻が植えたらしい黄色のスイセンが咲き始めました。
タイヤ交換(春編)とジャガイモ植え [日々]
毎年恒例のお寺の法事「御忌法要」を終えてほっとしています。今年は進行役だったので、済むまではいろいろ気をもむ事が多かったのですが、無事終えてちょっと虚脱状態・・・というのは少し大げさかも知れません。
ともかくそんなことをしている間に季節はもう3月も半ばが過ぎてお彼岸です。久々に暖かい日、車のタイヤをスタッドレスからノーマルタイヤに戻しました。
去年の12月半ば、この春のタイヤ交換を頭に思い描きながら冬タイヤに交換したものでした。あれからもう三ヶ月が経ったのですね。私の回りにはそのときイメージしたように、庭はおろか畑にもホトケノザやオオイヌノフグリ、ハコベ、ヒメオドリコソウなどの春の雑草の花が咲き、頭上では桜が芽を膨らませ椿も咲き始めていました。
この三ヶ月の間、当然ですがクリスマスがあり、お正月などがありました。今年の冬は寒い日が多くて、毎日雪がちらついたり、吹雪いて積もったりしました。タイヤを交換しながら、今年も何とか無事に冬を乗り越えられたんだなぁと言う感慨にちょっと浸っていました。
お彼岸と言えば、墓参りですがその前にしなければいけないことがありました。ジャガイモ植えです。彼岸までに植えると言うのがこの辺の習慣です。もちろんもっと早く2月に植えておられる方もあるのですが私は延び延びになっていました。
畑作り、2坪ほどの面積から始めてもう6.7年になるでしょうか。ジャガイモを作り出したのはその翌年からだったと思います。秋植えなどもしていましたが、葉が病気になって枯れたり、実が小さかったりで失敗ばかりだった記憶があります。
ここ3年ほどでようやくまともにジャガイモが採れるようになってきました。それで余裕が出てきたと言うわけではないのですが、前から気になっていた栽培方法に今年チャレンジしてみることにしました。
それは逆さ植えです。普通ジャガイモは種芋の芽のある方を上にして植えます。これを反対にして芽のある方を下にして植えると、芽は下に伸びてから上に伸びてくるので強い芽だけが育って芽かきする必要が無いと聞きました。
それだけの理由で逆さ植えに興味を持っていたのですが、sarusanさんやcafelamamaさんがこの逆さ植えを実践されているのをブログで拝見して驚きました。かなり浅植えでしかも黒マルチをされているのです。
私はただ単に逆さに植えるだけと思っていたのでちょっとショックでした。改めてネットで調べてみると、情報源が同じなのかどなたも土に押し込む程度の浅植えに黒マルチをされています。
この方法だと、まず追い肥と土寄せの必要がないそうです。土寄せはジャガイモが地表に露出して日に当たると緑化するのを防ぐためにする作業なのですが、マルチをしていると当然日が当たらないので土寄せする必要がありません。
他に利点としては、収穫の時、芋掘りをしなくて良いそうです。マルチをはがすとそこに芋が転がっていて芋掘りならず芋拾いになるそうです。もちろんマルチをするので草の管理も楽になります。正直、私はこの点に一番に引かれました。
準備してあった畝に、一個50gほどに切った種芋を切断面を上にして土に軽く押し込みました。芋と芋の間に堆肥と化成肥料を置いて軽く土をかぶせておきます。少し慌てた作業だったので、種芋の切断面の乾燥不足がやや心配です。
逆さ浅植え、調べてみるといいことだらけであまり失敗例がありません。いや、ひょっとすると収穫期の6月には私のこのブログで失敗例、第一号を発表しているかも知れません。
二つ畝を作ったので一つを逆さ浅植え、一つを通常栽培にしても良かったのですが、マルチの便利さに引かれて二つとも逆さ浅植えにしてしまいましたので失敗したら全滅ですね。
冬の間、畑ほったらかしだったので畝の間の草が気になりますが、防草シートをめくるだけできれいに取れました。証拠は次の写真です。
この栽培法の肝はどうやら芽が伸び始める頃のようです。このときマルチに穴を開けて芽を出してやるのを忘れたり遅れたりしないようにしないと、芽がマルチ内の高温で焼けてしまうそうです。後は収穫期、こちらも遅いとやはりマルチの熱で腐ってしまったりするそうです。
我が家のスイセン、早い年だと年内に咲く事があるのに、寒さのせいか肥料のせいか今年は今頃満開です。
冬の名残は春の兆し [自然]
パソコンやオーディオでインドア遊びばかりしていても身体がなまるばかりなので、久しぶりにカメラを持っていつもの裏山へ出かけてみました。
まず、ルリビタキがよく来る橋の近くまで行きました。今日は同じ木にそれより小さい鳥影が数羽ちょこまかと動き回っていました。カメラを持って近づいていくと、何の鳥か確認する前に逃げていってしまいました。
追いかけて別の木で動いているところを撮ることが出来ました。何のことはないメジロでしたね。でも、撮ったのは久しぶりだった気がします。
近くの墓地の入り口にある六体地蔵です。しかし実際は十四体祀られています。六体地蔵が二組と小さな地蔵さんが二体です。なぜか分からないのですが古い地蔵さんがここにまとめられたのかも知れません。
お墓参り行くときは、まずここにお参りしてから自分の家の墓に行くのが習わしなのですが、我が家の墓、近くまで車で行けるのでつい、パスしてしまうことが多いです。
今朝は久しぶりに霜の降りた朝でした。私が行った時は、もう日が昇ってずいぶん経った頃だったのですが、それでも山の影にはまだ霜が残っていました。朝日に暖められて、鳥たちがしきりに飛び交う姿が目につきました。
群れを見つけて追いかけた暗がりの道の真ん中で数羽動いていました。あまり近づくと逃げられるので、見当をつけてシャッターを切ったら、この鳥がかすかに写っていました。黄色い頭、ミヤマホオジロだと思います。
他にもカシラダカ、アカハラ、ヤマガラなどがいそうでしたがうまく捉えることが出来ませんでした。
鳥との追かけっこをあきらめてと言うか、新たに鳥を追い求めて裏山へ上がっていきました。久しぶりの裏山だったせいかいつもと様相が違って見えました。
まず去年の大雨の跡がまだあちこちに残っていました。土砂、岩石の吹きだまりの跡、切り出された材木の残り、作業のためか今までなかったところに新しい道が切り開かれていたりしました。
この横にある林道は普段でも雨が降ると川になってえぐられています。去年の大雨で杉林まで被害が広がったのでしょうか。手前まであった杉林が大きく伐採されて空が広くなっていました。
折り重なった木々の下あたりに、以前リンドウの花が咲いていました。ここ数年は行く時期が悪かったのか、見ていないのですが、この状態ではもう見られないかも知れません。
このあたりは在所の山と個人の山が混在しています。私が子供の頃は林業がまだ盛んだったのか、牛が切り出した材木を引いていたのをかすかに覚えています。
秋だったか冬だったか、両親が山へ柴拾いに行くのについて行ったことがあります。当時はまだ家におくどさんと言う竈(かまど)があり、風呂もご飯も柴に火をつけ薪を燃やして炊いていました。
両親が薪や柴を集めているそばで遊んでいると、時折、山の方から汽車が通る音が聞こえてきました。大きくはっきり聞こえるので、私は長い間、山を越えたところに鉄道が走っているものと思っていました。
それからも里で遊んでいると聞こえる事があり、そのたびに私は山間を走る汽車を夢のように想像するのでした。実際は山裾の田んぼの中を走る汽車の音が山に反響していただけなのですが、なぜか私は大きくなって地図で確かめるまで誰にもそのことを話しませんでした。
高い木の上で、ホオジロがひとしきりきれいな声で囀っていました。普段はチッ、チッと小さな声ですが、縄張りを主張しているのでしょうか。
山は常緑樹が多いのに、ここだけ緑が無くて細く白い幹が乱立しています。何の木の群落なのでしょうか。ところどころ、木肌が赤くなっているのはシカによる食害だと思います。
歩いて行く山道の左右の林で、時折鳥影が飛び交います。声がすることもあれば影が動くだけのこともあります。山道の先、林からカケスがギャーと鳴きながら道を横切って反対の林の中に飛び込んでいきました。
地鳴きの方が多いのですが、沢沿いの灌木の間からウグイスの声がしていました。まだあまりうまくありませんし声も小さめです。相変わらず声ばかりで姿は影も見えませんでした。
以後、山で気になった物をとりとめも無く写し取ってみました。
シダ類の枯れた跡でしょうか。魚の骨を連想します。
鳥の食べ残し
さて、ここから春のたより
今日はあまり上まで登りませんでした。連写をするものでメモリカードの残がなくなってきたのです。もっと大きな容量のメモリカードに換えないと行けないと思いながらサボっていたつけが回ってきました。明らかにいらない画像を消して、帰り道のシャッターチャンスを確保です。
麓の元公園だった空き地でモクレンが新しい芽を膨らませていましたが、今頃はこんな物だったでしょうか。今年は春の訪れが遅いような気がするのですが。
冬鳥のツグミですが我が家の裏にはいつも今頃姿を見せます。冬の終わりと春の訪れを告げに来ているかのようです。