風 [読書]
ちょっと怠けている間に、風薫る5月の暦も進んで残すところあと一日となってしまいました。ほんの少しの時間の違いなのに6月と言うとうっとおしい梅雨のイメージです。実際、5月末のこの数日、爽やかさをすっかり通り越して夏の気候になってしまいました。
今日は最近読んだ本の話でもしてみたいと思います。他の本を読んでいると堀辰雄の「風立ちぬ」が出てきました。そういえば昔読んだけれど、どんな内容だったか忘れています。気になって再読したくなりました。
「風立ちぬ」と言うと、今の人はジブリの「風立ちぬ」を連想するでしょうか。
それとももう少し前の世代の人たちだと、やはりこちらでしょうかね。
何度もタイトルが映画や歌に使われているくらい、この「風立ちぬ」という言葉には人を惹きつける魅力があるのではないでしょうか。ポール・ヴェレリの詩「風立ちぬ、いざ生きめやも」から取られています。私も高校生の頃、この言葉に惹かれて読んだような気がします。ほとんどストーリーを覚えていませんがキーワードとして恋人とか肺結核、サナトリウムという言葉が浮かぶだけです。
ジブリの「風立ちぬ」で、小説も著者の堀辰雄も再度脚光を浴びたのではないかと思います。ジブリの映画は見ていないのですが主人公二郎はゼロ戦の開発者堀越二郎と堀辰雄をごっちゃにした人物なのだそうです。
映画の舞台も大正時代だそうですが、堀辰雄が生きた時代も大正から昭和にかけてです。堀辰雄は明治37年生まれで没したのが昭和28年、48歳という若さでした。
ただ読みなおしてみようと思っても、もう私の手元に本がありません。それで本屋さんに行ったのですが、文庫の棚を探しているうち、ひょっとしたら青空文庫に入っているのではないかと思い、スマホで検索してみたらありました。
この本が出版されたのは大正か昭和のはじめでしょうか。それから何十年かたって、文庫化されたものを私は読みました。それからまた40年あまりが経って、今では手元の小さなスマホで電子書籍として読めるようになるなんて、誰が予想したでしょうね。
さて読みなおしてみて、ストーリーをほとんど覚えていないのは年月のせいばかりではないと気づきました。この小説、ストーリーらしき展開がほとんどありません。冒頭の絵を描いている場面から、恋人(婚約者)の父親との会話を経て、あとはずうっとサナトリウムでの二人の生活が描かれているだけなのです。
いまどきのストーリー展開がめまぐるしい小説からすると物足りないこと甚だしい作品です。文章の調子も古典とまでは行きませんが、少し古臭さを感じます。
ただ、物語の中で刻々と描かれている信州の風景の描写は美しいと思いました。信州のサナトリウムから見える浅間山、雲、風、光、単に描写するだけでなく、主人公とその婚約者の心理が投影されています。そこにこの小説の一番の美点があるように思いました。
この時代、結核は死の病でした。そんな中、主人公の婚約者も空気の良い信州のサナトリウムで療養することで病を癒やそうとしますが病状は逆に深まっていきます。
章の断片をつなぎあわせたようなこの小説は、若い時読んだ記憶ではセンチメンタルだったと思ったのですが、今回読みなおしてみてそれとは対極であることに気づきました。この小説では、恋人の病やその死を、泣くでもなく嘆くでもなく淡々と描いています。涙や悲しみという言葉も出てきません。
タイトルとともに美しい自然描写の中で、淡々と描かれる二人の生活、死への恐れは通奏低音のようにあるのですが、二人の心理の機微が美しい音色のように奏でられます。小説というより一遍の詩、あるいは静かなバロック音楽のようでした。