変わり目の秋 [日々]
紅葉が真っ盛りです。今年の秋はお天気も良くて暖かい日が多い気がします。嫌でも外に出たくなります。久しぶりにカメラを持って、裏の鎮守の森と天井川の堤防を歩いてみました。
氏神様の参道の横には幼稚園があって、園児を送ってきた母親がまだ入園できない下の子を遊ばせていました。
回りを鬱蒼とした木々で囲まれていた氏神様は、来年の改修工事に伴って森が伐採されていました。そのせいで全体の印象が明るくなっていました。反面、重々しさや神秘性が薄れてしまったようにも感じられます。
ここ数年、紅葉の時期を逃していたのですが今年はバッチリです。しかも今年の紅葉はきれいです。天井川は普段水が無いので、川底に降りたりしていろんな角度から紅葉を写してみました。
神社回りを一通り撮り終えて、今度は野鳥の声に誘われるように天井川の堤防沿いを歩きました。
木の葉が音も無く静かに散る姿に、鳥と間違えて何度も身構えそうになりました。時折土手沿いに風が舞い上がって、いっせいに木の葉の吹雪が斜めに流れます。
撮れた鳥はジョウビタキとメジロ、森の中が暗くてこんな写真になりました。ウグイスの地鳴きも聞こえていましたが、身体は小さいのに声が大きいのですぐそこで啼いているかのように錯覚させられます。遠くの雑木林を渡る小さな影を見かけただけでした。
きらめいているのは、霜にはまだ早い朝露です。森の中の腐葉土の上や堤防の草の上を歩くと、柔らかな踏み心地が足裏に心地いいですね。
久しぶりのアオジです。寒くなると山でよく見かけるのですが、小さくて暗いところを好むのでなかなかちゃんと写真が撮れたことがありません。今回も焦ってぶれてしまいました。
暗い森の中の道を抜けると
メタセコイヤの並木道に出ます。
祖父と孫が散歩していました。女の子は私の前を通るとき私の姿に気づいてじっと見ていきましたが、祖父は私に気づきませんでした。彼は私の同級生です。
再就職して早一月が経とうとしています。この間に私の失業や再就職に合わせるかのように、身近な人たちが何人も亡くなったり、あるいは周りからいなくなってしまいました。
本当にゴトリと季節が動いたようなこの2.3ヶ月でした。そしてなんだか歳を取ってしまったような気がしています。それは何も、再就職先で自分が一番年上になってしまったからだけではありません。
それまで十年一日が如し、昨日も今日も変わらないような穏やかな日々を過ごしていたので、自分が歳を取っているのを忘れていました。それが、今回の事件で一気に季節が動いて、時の経過を思い知らされたような気がしています。
野鳥と再就職 [日々]
ジョウビタキの雄の鳴き声がヒィッ、ヒィッ、ヒィッとするので、カメラを持って家の外に出てみます。声はすれどもなかなか姿が見えません。耳を澄ますと頭上から聞こえて来るようです。見上げるとお隣のテレビアンテナや電信柱に止まっている姿を見つけます。
しばらくそこで鳴き続けている事もありますが、時にモズがどこからかやって来て、ジョウビタキを追い出します。そう言えば、お隣のテレビアンテナ、以前はモズの指定席でした。
モズより小さいジョウビタキは我が家の桜の枝に逃げます。しかし、そこでゆっくりする間もなく、またモズが後を追っかけてきたり、もっと大きなヒヨドリが高い声を上げて飛んできます。ジョウビタキはそのたびにせわしなげに羽根をばたつかせてもっと遠くに逃げていきます。
他愛もない野鳥たちのそんな営みを目で追いながら、その様子が私にはなにやら人ごとにも思えません。どこの世界も大きなもの、強いものがいるようで、小さなもの弱いものにはなかなか安住の地は無いようです。
とはいえ、今回の我がハローワーク騒動は思ったより早く、しかも静かに収束しました。足繁くハローワークに通ったり、新聞広告を見回したり、電話をかけたりすることもほとんどありませんでした。何枚も用意した履歴書写真や履歴書も一回使っただけで済みました。
なぜそんなに簡単に済んだかというと、世の中、捨てる神あれば拾う神ありなんですね。同時に解雇された元同僚が先に再就職をして私に声をかけてくれたのです。そこでは経験者、即戦力として優先的に採用してくれると言うことで、一度の面接と簡単な試験だけで内定をもらうことが出来ました。もちろん歳が歳ですし、条件は今までより悪くなりますが贅沢は言えません。
11月の初めの頃から働いています。仕事内容は基本的には同じなのですが、会社が違えばやり方が違い、回りの人たちも違うので何となくまだ落ち着きません。以前は年配者の多い落ち着いた職場でしたが、今回は若い人が多くて私は最年長、ある意味気楽であったりプレッシャーであったりします。
再就職が決るまでの間、約一月近く遊びました。遊んだと言っても、身体は楽でしたが精神的にはきつい日々でした。とくに眠りが浅く、一度目覚めるとなかなか寝付けない日が続きました。それも内定をもらうまででしたが。
内定をもらってから出勤日まで少し間があったので、こんな時しか長期休みが取れないので、旅行の計画が頭をもたげました。この機会に夫婦で旅行したり、あるいは日頃行きたいと思って行けていない北海道や東京や名古屋へ行きたいと思ったのです。
しかし、内定をもらったとは言えまだ失業の身、このひと月は少ない貯えを当てて暮らしています。せっかくのチャンスでしたが妻に言い出せませんでした。で、この間に出来た事と言ったら、またいつもの片付けとか、畑仕事ばかりでした。
そう言えば、一日だけ大阪へ出かけたことがありました。用事は親戚のお葬式だったのですが、朝早く出かけて少し時間あったので、途中、喪服姿のまま、ヨドバシカメラに寄ってみました。
久しぶりのヨドバシカメラです。売り場がいくつも分かれているのでどの売り場に行こうか迷いますね。まずは、パソコンのキーボードを見る事にしました。さすがにたくさんのキーボードが並んでいました。
試し打ち出来るようになっていたので、早速リアルフォースを試してみましたが、それだけでは絶賛されるような良さは実感できませんでした。他にもFILCOや知らないメーカーのキーボードがあって目移りします。
続いて、カメラコーナーにも降りてみました。欲しいと思うカメラやレンズがあるにはあるのですが、なんだか怖じ気づいてしまって足が前に進みません。結局あきらめて階上のオーディオコーナーに行きました。
そこへ行くとやはり生き生きする自分がありましたね。あこがれのタンノイやJBLのスピーカーが並んだ壁面、真空管アンプ、銀色に光る機器たちが並ぶ棚、匂いさえ懐かしく感じられて、三つ子の魂百までですね。ただ喪服姿の上、時間も無かったのでざっとしか見ることが出来なかったのは残念でした。
63歳のハローワーク [日々]
10月半ばに冬鳥のジョウビタキの雄を見かけました。去年は10月28日に見かけているので10日以上早いことになります。今年は夏の終わりが早く、少しずつ季節が前倒し気味に進んでいるのでしょうか。
そう言えば、今年は例年以上にカメムシを多く見かけます。こういう年は雪が多いのだと、近所の人たちは物知り顔に言い合っています。わが里山は、晩秋に向けて、紅葉の準備を進めているところです。
今より一月ほど前、金木犀の香りが辺り一面に広がって、その黄色い小さな花弁が木の下に敷き詰められ始めた9月末、私は突然職を失いました。正確に言うと、職場は廃業に追い込まれ、そこに勤めている全員が解雇と言うことになったのです。
あまり詳しく書くといろいろ差し障りがありますので、私の身に降りかかったことだけを書くことにします。
私は10年前にも長年勤めた会社が破産して解雇の憂き目に遭っているので、これで二度目と言うことになります。一度もそういうことに遭遇しない人が大勢いる中で、二度も三度もそういう目に遭う人間がこの世には少なからずいるのでしょうね。
ただ、私にとって今回が前回と違うのは、前回は倒産までの日々が真綿で首を絞められるように辛く苦しかったと言うことです。止めることも進むことも出来ず、進退窮まった日々でした。だから倒産を知ったとき、正直ほっとしたものです。
もちろん通い慣れた職場を去る寂しさ、毎月の決ったサラリーと積み上げたキャリアを失うつらさはありましたが、それ以上にもうここへ来なくて良いという解放感の方が強かったのです。
それに比べると、今回の職場には大きな不満はありませんでした。再就職してからのこの10年あまり、給料は下がりましたが日々はそれなりに楽しく過ごせていました。
また、時間にゆとりが持てるようになって、オーディオ熱が復活したり、写真で野鳥を追いかけたり、畑作業を楽しんだりする余裕のようなものが生まれました。貧しくとも生活に彩りと膨らみが出たように感じていました。
それが私たち従業員はあずかり知らない事情で、職場を去らなければいけなくなってしまったのです。夏の終わりの頃から不穏な噂は流れていたのですが、一方で希望的観測もあったので、まさかの急展開でした。
職を失うと言うことは、ただ単に仕事がなくなり給料が入らなくなるだけではなく、それまでの生活、毎朝起きて出勤するところ、そこでのあれこれ、仕事を終えて家に帰ると言った一連の流れを失うことでもあります。その喪失感はなかなかのものでした。
長年勤めた職場を定年で辞めていく人の気分もこんなものだろうかと思いました。ただ、定年は自分でそのときを読めますが、私の場合は急だったのでよけい寂しさや悔しさが募りました。
まだまだ働くつもり、いや働かなければいけないので、果たして60歳を越えて新しい職が見つかるかどうか不安です。ただいつまでも感傷に浸っていても仕方ありません。いくら嘆いてみても、もう以前の生活に戻ることは出来ないのですから。
あきらめると今度は以前の時ほどは、追い込まれていない自分に気づきました。10年前と比べると、子供たちも独立し、年金もわずかですが受けているので経済的、精神的にも今の方が楽です。歳を食っている分、不安もありますが反面、失うものはありません。
離職票を持ってハローワークに行きました。約10年ぶりに行く地元のハローワークは、建物はもちろん、室内のレイアウトから、その頃からはやり出した検索用のパソコンの台数まで何ら変わっていませんでした。
受付からいろいろな手続きまで、以前来たときよりスムーズに感じられたのは、役所の手際が良くなったと言うより、こちらが経験済みだからでしょうか。それにしても60歳を過ぎて尚、またハローワークに来るはめになるとは思ってもいませんでした。
受付を済ませ求職票などに必要事項を書き込むと、一番奥のカウンターで別の職員と対面します。そこで私が書いた求職票を元に、40代の男性職員がいろいろ質問しながら私のデーターをパソコンに打ち込んでいきます。
用意してきた失業手当の振込先銀行口番号は無駄になりました。なんと10年前のデーターがいまだ残っていたのです。別のハローワークへ行った同僚は、3年間しかデーター保管していないと言われたそうなんですが。
投げかけられる質問に答えながら、手続きは順調に進んでいっているように見えました。あるとき、その男性職員はキーボードを打つ手を止めて、一瞬、画面に見入りながらひとりにやっと笑いました。その後、彼は何も質問しなかったので、そのときはそれがどういう意味か分からずやり過ごしたのですが、後でその笑いが凄く気になりました。
以前はそのテーブルで給付の時期や額を教えられた気がしたのですが、今回は2階の認定手続きの部屋に案内されました。そこも見慣れた場所でした。ただ以前は壁に掛かった黒板に失業手当不正受給の事例が載っていましたが、今回はそれがホワイトボードに変わっていました。
今度は30歳前後の若い男性職員が応対してくれました。失業手当を受けると年金が止まるが、どちらにするか問われます。失業手当は60歳を過ぎていると、給付の単価上限が60歳前の人より一日あたり千円ほど安くなります。ここでも60歳以上は不利になっています。
職員が手元の電卓を叩いて試算してくれました。その結果、年金額より多かったので失業手当を選択しました。私の場合、会社都合なので一週間の待機を経るだけで、28日後支給されます。もちろん、以前の収入に追いつくはずはありません。昔のように、年金も同時に受け取れたらかなり助かるのですが。
それから2週間後に雇用保険の説明会がありました。説明会場はいっぱいの人でした。少しは改善されているのでしょうが、失業者の数、相変わらずですね。若い女性の姿が目立っていましたね。全体に若く、私のような高齢者は数人でした。
約2時間の説明会が終わって会場を出ようとする時、担当者に次の仕事が決ったのでどうすれば良いか質問している人がいました。白髪の目立った年配の人でしたが、私にはひどく羨ましく思えました。その人を横目に会場を出て行きながら、自分にもそんな日が来るのだろうかと、10年前に思ったことをまた思ったのでした。
六十肩? [日々]
暑さ寒さも彼岸までの彼岸を迎えても、去年は残暑がなかなか去らなかったのに、今年は彼岸が来る前にもう秋が届いているような気配です。家の裏に咲く彼岸花も今年はいつもより少し開花が早かったような気がします。
今年の彼岸花、なんだか赤さが足りないなぁと思っていたら、妻も白いと表現しました。珍しく夫婦で意見が一致しました。多分、ここのところ雨が降っていないせいではないかと思っていたのですが、よその休耕地で咲く彼岸花は赤いのです。
除草剤のせいかもしれません。毎年のこと今年だけ白かったり赤色が薄いというのも変ですが。
さて、今日は体調の話です。私は幸いなことに、今まであまりあちらが痛いこちらが痛いといったことがなく過ごしてきました。それで知り合いや先輩の方々が肩や膝の関節などが痛いというのを聞くと、よく笑ってからかったりしていたものです。
ところが去年の秋だったでしょうか、左を下にして肘を着き寝転がってテレビを見ていたら、同じ姿勢を長い間続けたからでしょうか、左肩が詰まったような違和感を覚えました。
それからです。その違和感はいつか痛みに変わっていきました。腕を上げると引っかかるような感じがあったり、ある角度で痛みが走ったりするのです。
世間の人達が言う、これが四十肩、五十肩というやつかと思いました。私の場合、60歳を過ぎているので六十肩と呼ぶのだろうかと思いました。
今まで、慢性的な関節の痛みを味わったことがないので、これにはちょっと苦労しましたし、不便を感じました。まず左肩を下にして寝ることができません。寝返りの途中、痛みで目が覚めたり、ある角度に腕を伸ばすと鋭い痛みに襲われます。今まで何も意識することなくできていた服の着替えも痛みを避けるように注意を払ってする始末です。
普段は痛くも痒くもないのでつい無意識に左腕を使ってしまい、突然鋭い痛みに見舞われます。私は右利きなのですが、思った以上に左腕を使っていることを認識させられました。
あるとき、中学の同窓生の集まりで、久しぶりに会ったmasa君が私の隣で別の同級生に左肩の痛みを訴えているのを聞いて思わず聞き耳を立ててしまいました。
彼は中学時代、スポーツマンで鳴らした男です。その彼が私と同じ左肩の痛みを訴えていると聞いておかしくなりました。お互い歳には勝てないなぁと思ったのです。
もっとも彼の場合、私のようにテレビを見るのに左肩を下にして寝転がっていたからではなく、やはりスポーツマンらしくスキーで転んでからだそうです。
私は病院には行きませんでしたが、彼は病院に通っていました。通院すると保険が降りるとか、腕を水平に伸ばして上に少し上げた時、痛んだら六十肩だと教えてくれました。また、右利きのものは左肩がなりやすいと言ってました。まさしく私も左肩、しかもその角度で痛いのです。
いつも痛いわけではないのですが、使うときに痛みが走るので困りました。特に寒い時は差し込むような鋭い痛みに襲われることが多かったですね。冬の間は、寒くなるにつれ症状が悪化していっているようで不安でした。
経験者に聞くと、1.2年でいつの間にか治っていたということでしたし、医者に行ってもすぐには改善しないとも聞きます。普段は左を使わないようにと用心しているのですが、右手がふさがっていたり両手を使って作業をしたり、重いものを持ちあげなければいけない時などに困ります。
次第に痛みが深刻化していくように思えた頃、お風呂に入っていると症状がいくぶん和らぐように思えました。それで毎日シップで温めることにしました。それから少し症状が軽減した気がしました。
シップ治療のまま、季節はいつしか春に向かって行きました。するとシップのせいか、暖かい気温のせいか症状が次第に軽くなって行くように感じられました。違和感は少しあるものの、鋭い痛みに飛び上がるというようなことはなくなっていきました。
季節がすっかり暖かい頃になると、普段はほとんど忘れていて、せいぜい腕を不用意に上げたり、動かしたりした時六十肩だったことを思い出す程度でした。
ただ、ゴールデンウィーク過ぎ、営農の田植えで一日苗運びをした時、苗箱を両手で持つのですが、翌日左肩だけに強い疲労感が残りました。それでまだ完治していないのだなぁと思いました。
暑く開放的な夏が来ると、汗はかきますが関節や筋肉の動きはスムーズで柔軟になります。左肩の痛みも違和感もほとんど気にならなくなりました。たまに冷房が効きすぎた部屋とか、肩を動かしたちょっとした瞬間に思い出す程度です。
ただ、今年は秋の訪れが思いのほか早くて、朝晩にはもう寒さを感じる日もあります。今のところ大丈夫ですが、本格的に寒くなって来ると再発しないかちょっと心配です。
先日会ったmasa君ももう肩の痛みは訴えていませんでしたが、今度は腰が痛いと腰を少し曲げて歩くのでまた笑ってしまいました。スポーツマンでいつも颯爽としていた彼だけにそのギャップが面白いのですが、同時に中学の時以上に親近感を感じるのです。
お茶の花も彼岸花に時期を合わせるように咲き出しました。
先日、畑仕事をしていたら百舌鳥のけたたましい鳴き声を初めて聞きました。今年は秋が追っかけてくるように早い気がします。
お盆 [日々]
もう何度かこのブログでアップしている写真なのですが、我が家のお盆の仏壇です。13日の夕方、お供えと飾り付けを終え、お灯明を灯し、鉦を叩いてご先祖様(私達のところではおしょうらいさん)を迎えます。
廊下に吊るした提灯に火を入れて迎えます。たいへーさんはこのちょうちん作りのために先月はかなり忙しい思いをされたようです。
14日、住職が棚経に各檀家を回ります。それから15日かけて親戚が仏壇に参ってくれます。我が家は英霊があるので、区の代表者も遺族の家も回って来ます。
親戚が我が家に参ってくれるということは、当然私も親戚をお参りしないといけません。お正月も親戚を新年のあいさつに回りますが、今はほとんど玄関先で済ますことが出来ます。しかし、お盆のお参りは仏壇のある間まで上がらないわけには行きません。
これが結構面倒なのです。私は歳も歳ですしすでに二十年ほど前に五重を受けているのですが、未だにこの風習になれません。人前で念仏を上げるほど修行できていないと称して、いつも鉦や木魚だけ叩いて帰ってきます。
お供えの野菜です。ほおづき以外は全部家の畑で採れたものです。若いころの私しか知らない両親は、皆私が作ったものだと聞いて、さぞ驚いていることでしょう。
明日の朝、おしょうらいさんは豆腐の船に乗ってあの世に戻って行かれます。この松明を河原で燃やして送ります。夜は公園で恒例の盆踊りが催されます。暑い暑いと言っていた今年の夏もいつの間にかもう盆を過ぎようとしています。
墓参り2014 [日々]
田舎の行事の一つ、墓参りが今年も終わりました。毎年、墓参りの日は朝からカンカン照りつける暑い日が多いのですが、今年は台風の影響でしょうか、珍しく朝から曇り空で雨さえ心配されていました。
日が照らないので気温の上昇は収まっていましたが、ここ数日続く蒸し暑さは相変わらずです。私は去年と今年役にあたっているので朝6時半からお寺に出勤して受付、その他雑用係をしていました。じっとしているだけで汗ばみ少し動くと汗が流れました。
お昼すぎ、心配された雨もなく、時折薄日がさす中、今年も無事、お墓参りと初施餓鬼の行事が済みました。毎年、おなじみの年中行事の一つなのですが、運営する側に回ってみると、今年も無事終わったことに何とも言えない安堵感を覚えます。
直会で食事とビールを少しよばれて夕方ようやく家に帰ると、見計らったように雨が降り出しました。九州や四国、あるいは北海道などで大変な雨が降っているようですが、当地はここ10日ばかりまともな雨がありません。人も畑もカラカラだったので、恵みの雨でした。
同時に、気温がうんと下がってこのところ手放せなかった扇風機が今夜は休んでいます。室温計は27度です。普通なら27度でもかなり暑く感じるのですが、連夜の30度超えの後ではひどく涼しく感じられるものです。
暑さと墓参りの疲れで今夜もブログの更新は諦めていたのですが、この涼しさに誘われて久しぶりのブログ更新の文章を書いています。ただ、更新する予定がなかったので、写真が一枚もありません。
これは去年の墓参りの画像です。今年と打って変わって朝から強烈な日差しが照りつける暑い日でした。毎年、この時期、寺の境内で咲き誇るサルスベリ、なぜか今年は花が少なかったように思いました。
椿の実のなる頃 [日々]
梅雨も後半、台風の影響もあって蒸し暑さいっぱいのこの頃です。高温多湿のお陰で草木もよく育って、家の裏は雑草がはびこり、桜や柿、椿の木などで鬱蒼としています。
シジュウカラの幼鳥がこのところ裏庭によく来ているのでカメラを持って出たのですが、ちょこまかよく動く上桜の葉の影に隠れて姿が見えません。諦めてじっとしている椿の実を撮ってみました。いくつも実が付いていますが、この一つだけがつややかに光っていました。
椿の実で思い出すのは、以前、参加していたブローチというブログで、子供の頃椿の実の中の黒い種に穴を開けて笛を作った話をしたら、作り方をネットで調べて子供さんと一緒に実践された方があったことです。もうずいぶん昔のこと、そしてそのブローチもこの6月で閉鎖となりました。
7月10日19時前の写真です。この時点で台風8号は潮岬付近を東に向かっていたと思うのですが、私達のところではこんな空になっていました。雨はもちろんのこと、風もすっかり収まっていました。
少し気になって畑を見に行きました。それほど風もひどくなかったので大した被害はないだろうと思いましたが、チェックしてみると、囲いの屋根にかけてある防鳥ネットの一部が破れていました。カラスが入るには小さすぎますが雀には十分な大きさでした。
他にキュウリの支柱が傾いたり、トマトの主枝の先が2本途中で折れていましたが被害といえるほどでもありません。この程度で済んでよかったと思います。
それより我が家のトマト、大玉トマトはもう花が6.7段まで付いています。しかし、そのすべての段の実が順調に成長しているわけではありません。せっかくなったのに、虫に食われたり、尻腐れ病にかかって摘果しないといけないのが幾つもありました。
とくに尻腐れ病はここ数年、悩まされています。こんな風になってしまいます。
尻腐れ病、原因はカルシウム不足だそうです。それで、今年は苗の小さいうちから、葉に直接薄めたカルシウムを散布していたのですが、それでも克服できませんでした。
カルシウム不足になる原因はいくつかあるそうです。本当にカルシウムが不足している場合、地中にカルシウムがあっても、他の肥料成分が強くて根がカルシウムを吸収できない場合、あるいは水不足で水分と一緒にカルシウムを吸い上げられない場合等です。
我家の場合は水不足かも知れません。ここ二三年、トマトは水をやらなくて良いと聞いてあまり水やりしていませんでした。尻腐れ病が発生した時期と呼応します。
それでも尻腐れ病になっていない大玉トマトがようやく色づいてきました。もう少しで収穫です。
オクラも実をつけ始めました。
ミニカボチャです。
トウモロコシも、もう少しで収穫です。
奥のスイカは来週くらいで収穫期を迎えそうです。今年のスイカは着果が悪くて三つしか実がなっていません。それも早めに着果したものばかりです。お盆に間に合わせようと受粉を遅らせたのが皆だめになりました。最近はもう花もあまり咲きません。
サトイモとサツマイモ、どちらも順調と思います。
妻が夕飯の支度ができたと呼びに来た頃、畑の西の空に月が出ていました。
5月あれこれ [日々]
4月は珍しく出かけることが多かったのですが、月が変わって5月はまた元のように近く回りをウロウロしているそらへいに戻っています。
陽気が良くなってきて外での用事が増えてきました。草刈り、夏野菜の植え付け、田植えとここのところバタバタしています。皆さんのところへの訪問も滞りがちです。
先週は営農の田植えでした。お天気は良かったものの風の強い日で、帽子を飛ばされたり風に煽られて田んぼに落ちそうになったりしました。
今年は田植機が更新されたので、作業はスムーズと言うかハイピッチで進み、予定より一時間早く植え終えることが出来ました。ただスピードが上がった分、苗渡しなどの補助作業は追われる始末、結構忙しかったです。一日中、しゃがんだり立ち上がったりする動作の繰り返し、翌日は案の定、太もも裏が筋肉痛に見舞われました。
単調な補助作業の合間、畦際の野草や飛び交う野鳥が気になったりしますが、他の人の手前、作業をサボって写真を撮るわけにも行きません。後日、日を改めてカメラを持って出かけました。
タガラシ 山で見るキツネノボタンに似ていますが田の畦なのでタガラシかと。
ムカシトンボ? 夏日の暑い日だったからでしょうか、もうトンボです。
麦畑でも水田の畦でもヒバリがひっきりなしにさえずっていました。
昼前の上りの電車が天井側のトンネルに吸い込まれていきました。
両親や昔の人達は、野良仕事に時計は持ってきませんでした。電車(当時は汽車かジーゼル機関車)の行き来で時間を計っていたのです。お昼前の電車が通ると、母たち女の人は早めに仕事を切り上げて昼飯の支度に帰ります。父たち男の人は、支度ができるまで野良仕事を続けてから帰りました。
私も昼前の電車を切りに家に引き上げることにしました。
家に帰ってくると、なんと一羽のヒバリが迎えてくれました。苦労して田んぼで撮ったヒバリよりずっと手前で撮ることが出来ました。
桜とまたSSD換装 [日々]
先週ブログをアップしたときまだ蕾だった我が家の桜がこの一週間の間に開花、その後も安定した暖かい日が続いてもう満開間近になりました。
積雪があったりして今年の3月はいつまでも寒かったので桜は遅いだろうと予想していましたが、ここのところ4月並の暖かさが続いたおかげで、結局去年より数日遅いものの平年より1.2日早い開花でした。
ただ満開にはまだもう少しの時間が必要なようです。日当たりの関係なのか、まだ蕾がたくさん残ってる枝があります。そればかりか他の枝ではもう消えている昨夜の雨のしずくがまだ残っている花がありました。
以前に比べるとややボリュームに欠ける気がするのは、まだ満開になりきっていないせいもありますが、やはり去年太い枝を二本も切ったからだと思います。
心配しましたが今年も満開の桜を咲かせてくれています。それどころかその枝の切り口のひとつから、青い芽が吹いていました。
こちらは根元際の幹から咲いた花
あいにく今日はお天気は少し荒れ模様です。時々日は差すものの桜を引き立てる青空が見られなかったのは残念です。気温も花冷え気味です。満開間近の明日、明後日あたり、良いお天気になればよいのですが。
いずれにしても毎年の事ながら、桜が咲くと何となく嬉しいものですね。車で走っていると山間や川沿いにぽかりぽかりとピンク色のふんわりした塊が連なっていて、訳もなく心浮き立ちます。
4月に入って今年も桜が咲いたのは嬉しいのですが、今年の4月は消費税が上がりましたね。皆さんは、何か買いだめしたり駆け込み購入されたものがありましたか。
私は、いくつか欲しいものがありましたが消費税アップ前を契機に購入するまでには至りませんでした。思いついて買ったのはプリンタインクくらいです。それとちょうど月末に給油時期を迎えた車のガソリン購入だけでした。
Samsung SSD840EVO ベーシックキット120GB MZ-7TE120B/IT (国内正規代理店 ITGマーケティング取扱い品)
- 出版社/メーカー: 日本サムスン
- メディア: Personal Computers
デスクトップパソコンのSSD換装のあと、引き続きノートパソコンのSSD換装を行ったのは消費税アップを意識する前の2月頃だったと思います。
前回、デスクトップパソコンのSSD換装の顛末をブログにアップしたところ、肩を凝らせたりはらはらさせてしまったりしたようですが、今回のノートパソコンのSSD換装は物足りないほど簡単に終わりました。
ThinkPad X61 (7675-A63)
Core2 Duo T7250(2GHz) /
1GB(空1) PC2-5300 80GB(SATA)/ -/ -
12.1V型TFTカラー液晶 / XGA(1024×768)
WinXP Pro
16,800円 (税抜 16,000円)
私のノートパソコンは古いシンクパッドx61です。何年生か分かりません。以前、ヤフオクで買ったX60が5年ほど経って液晶が写らなくなったので去年買い換えました。
今回はシンクパッドの中古を専門に扱っているBe stockと言うお店で去年購入しました。ここのお店ではXPからウインドウズ7へのOSアップグレードやSSD交換なども格安でやってくれています。
SSDの交換前に、XPのサポートが切れるのでウインドウズ7にアップグレードすることにしました。シンクパッドのX61はドライブレスなので自分でするとなると、外付けドライブとウインドウズ7が必要になります。外付けドライブに5000円、ウインドウズ7が安いDSP版でも10000円ほどするので、ここはBe stockに頼んで8500円でアップグレードしてもらうことにしました。費用もさることながら技術的にも自分でするより安心です。
私のx61はCPUがCore2 Duoとウインドウズ7にはやや非力、OS交換後少し動きが遅くなった気がします。元々のハードディスクの容量は80GBです。ほとんどネット接続専用で、大事なデーターはクラウドに格納されているのでそれでも余裕たっぷりです。
従って交換するSSDはデスクトップの半分の容量120GBにしました。もちろんBe stockでOSの入れ替えと同時にしてもらうことも出来たのですが費用が15000円するのでこちらは自分でやります。
USBシリアル変換ケーブルは前回のデスクトップキットの物を再利用出来るのでノートキットを買う必要はありません。ベーシックキットだと8000円台で済みます。コピーソフトもデスクトップ用が利用できると思っていたら、これは付属していました。
提供されているコピーソフトはCDメディアなのですがシンクパッドx61にはドライブがありません。しかし今はUSBメモリという便利なものがあります。デスクトップパソコンでCDの中身をUSBメモリにコピーして、そのUSBメモリからシンクパッドにインストール出来ます。
さて実際の作業ですが、実を言うとシンクパッドのメモリは交換したことがありますがハードディスクはありません。私の記憶ではノートパソコンのハードディスクの交換はキーボードを外したりして大変という印象だったのですが、今はむちゃくちゃ簡単なんですね。メモリでもハードディスクでも増設や交換を前提にしているようです。
しかも今はYouTubeという便利なものがあって、そのものズバリ、シンクパッドx61のハードディスク交換の画像がアップされていたりします。作業の前にこれを見ておけば安心、100人力です。
元々のハードディスクは80GB、交換するSSDが120GBですから事前にしておかなければいけない作業は何もありません。変換ソフトでコピーしたCドライブの内容をSSDにコピーして、後はYouTubeの動画通りの手順を踏んで換装は終わりです。
x61のCPUのせいでしょうか、SSD換装後の印象はデスクトップほどめざましいものではありません。それでも立ち上がりは40秒ほどでストレスなく立ち上がりますし、ネット等の動作もきびきびして快適です。
シンクパッドにはハードディスクを衝撃から守るセンサーのようなものが着いていたと思うのですが、SSDでは不必要になりますね。持ち運びも多少乱雑に扱っても大丈夫、発熱もあまり感じられません。軽さは元々軽いので、交換による差は体感出来るほどではありませんでした。
タイヤ交換(春編)とジャガイモ植え [日々]
毎年恒例のお寺の法事「御忌法要」を終えてほっとしています。今年は進行役だったので、済むまではいろいろ気をもむ事が多かったのですが、無事終えてちょっと虚脱状態・・・というのは少し大げさかも知れません。
ともかくそんなことをしている間に季節はもう3月も半ばが過ぎてお彼岸です。久々に暖かい日、車のタイヤをスタッドレスからノーマルタイヤに戻しました。
去年の12月半ば、この春のタイヤ交換を頭に思い描きながら冬タイヤに交換したものでした。あれからもう三ヶ月が経ったのですね。私の回りにはそのときイメージしたように、庭はおろか畑にもホトケノザやオオイヌノフグリ、ハコベ、ヒメオドリコソウなどの春の雑草の花が咲き、頭上では桜が芽を膨らませ椿も咲き始めていました。
この三ヶ月の間、当然ですがクリスマスがあり、お正月などがありました。今年の冬は寒い日が多くて、毎日雪がちらついたり、吹雪いて積もったりしました。タイヤを交換しながら、今年も何とか無事に冬を乗り越えられたんだなぁと言う感慨にちょっと浸っていました。
お彼岸と言えば、墓参りですがその前にしなければいけないことがありました。ジャガイモ植えです。彼岸までに植えると言うのがこの辺の習慣です。もちろんもっと早く2月に植えておられる方もあるのですが私は延び延びになっていました。
畑作り、2坪ほどの面積から始めてもう6.7年になるでしょうか。ジャガイモを作り出したのはその翌年からだったと思います。秋植えなどもしていましたが、葉が病気になって枯れたり、実が小さかったりで失敗ばかりだった記憶があります。
ここ3年ほどでようやくまともにジャガイモが採れるようになってきました。それで余裕が出てきたと言うわけではないのですが、前から気になっていた栽培方法に今年チャレンジしてみることにしました。
それは逆さ植えです。普通ジャガイモは種芋の芽のある方を上にして植えます。これを反対にして芽のある方を下にして植えると、芽は下に伸びてから上に伸びてくるので強い芽だけが育って芽かきする必要が無いと聞きました。
それだけの理由で逆さ植えに興味を持っていたのですが、sarusanさんやcafelamamaさんがこの逆さ植えを実践されているのをブログで拝見して驚きました。かなり浅植えでしかも黒マルチをされているのです。
私はただ単に逆さに植えるだけと思っていたのでちょっとショックでした。改めてネットで調べてみると、情報源が同じなのかどなたも土に押し込む程度の浅植えに黒マルチをされています。
この方法だと、まず追い肥と土寄せの必要がないそうです。土寄せはジャガイモが地表に露出して日に当たると緑化するのを防ぐためにする作業なのですが、マルチをしていると当然日が当たらないので土寄せする必要がありません。
他に利点としては、収穫の時、芋掘りをしなくて良いそうです。マルチをはがすとそこに芋が転がっていて芋掘りならず芋拾いになるそうです。もちろんマルチをするので草の管理も楽になります。正直、私はこの点に一番に引かれました。
準備してあった畝に、一個50gほどに切った種芋を切断面を上にして土に軽く押し込みました。芋と芋の間に堆肥と化成肥料を置いて軽く土をかぶせておきます。少し慌てた作業だったので、種芋の切断面の乾燥不足がやや心配です。
逆さ浅植え、調べてみるといいことだらけであまり失敗例がありません。いや、ひょっとすると収穫期の6月には私のこのブログで失敗例、第一号を発表しているかも知れません。
二つ畝を作ったので一つを逆さ浅植え、一つを通常栽培にしても良かったのですが、マルチの便利さに引かれて二つとも逆さ浅植えにしてしまいましたので失敗したら全滅ですね。
冬の間、畑ほったらかしだったので畝の間の草が気になりますが、防草シートをめくるだけできれいに取れました。証拠は次の写真です。
この栽培法の肝はどうやら芽が伸び始める頃のようです。このときマルチに穴を開けて芽を出してやるのを忘れたり遅れたりしないようにしないと、芽がマルチ内の高温で焼けてしまうそうです。後は収穫期、こちらも遅いとやはりマルチの熱で腐ってしまったりするそうです。
我が家のスイセン、早い年だと年内に咲く事があるのに、寒さのせいか肥料のせいか今年は今頃満開です。